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薬師寺城

 

薬研堀

 

所在地・・・栃木県下野市薬師寺(旧南河内町)

築城年・・・1229〜1231年

築城者・・・小山朝村   

主な城主・・・薬師寺氏

 

薬師寺氏について

 薬師寺城を築いた小山朝村は、小山氏3代目朝長の次男である。朝村が薬師寺城を築き、薬師寺氏を名乗った。
 

薬師寺氏の活躍

 薬師寺氏の中でも特に活躍した人物は、6代目の公義である。
 公義の時代は南北朝の動乱期で、公義は足利尊氏の家臣である高師直の信任を得て、武蔵守護代となった。師直の勢力が、次第に尊氏の下で拡大されていくと、公義も出世していった。
 師直には師泰という兄がいたが、この兄弟の奔放ぶりを尊氏の弟直義は不快に思い、師直を殺そうとした。1349年のことである。ところが、この行動は失敗し、直義は兄のもとに逃げ込む。尊氏はこれを仲裁し、直義を政務から退かせた。
 しかし、今度は逆に師直が直義を殺そうとする。そして、1351年に直義と尊氏・高兄弟は戦い、直義が勝利した。尊氏・高兄が弟敗走する中で、薬師寺勢は奮戦。この後、世をはかなんで薬師寺公義は高野山に登って出家している。
 

公義の還俗

 足利尊氏・直義兄弟の仲が再び悪化すると、公義は還俗して下野に帰った。公義は宇都宮公綱を尊氏の味方にさせ、直義を破った。また、1352年に鎌倉を攻略しようとした新田義興(新田義貞の子)と尊氏の戦いでは、薬師寺一族は大きな手柄を立てた。
 薬師寺氏はそれ以後、宇都宮氏に属することになるが、1597年14代勝朝のとき、宇都宮氏とともに領地を没収された。

 

 

<現在の状況>

 現在の薬師寺城では、堀が唯一残っているが、ゴミ捨て場と化しているのがとても残念だ。

オススメ度 ☆☆☆☆

 

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