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鷲城

 

      堀。幅約10メートル、深さ約6メートル。この堀跡を見るだけで、鷲城の堅固さが分かる。

土塁。鷲城は遺構が良好。      櫓台。

 

所在地・・・栃木県小山市大字外城

築城年・・・不明

築城者・・・小山政光

主な城主・・・小山氏

 

小山氏の居城

 小山政光によって築かれた鷲城は、小山氏の強大な勢力の上に増改築された。小山氏11代義政の時代には、小山氏の居城の役割を果たしていた。しかし、「小山義政の乱」で落城した後、祗園城の支城に格下げとなった。

小山義政の乱

 小山義政の乱とは、1380〜1383年に3度起きた鎌倉公方足利氏満と小山義政の戦いのことである。
 小山義政は、1380年5月、宇都宮基綱と雀宮の茂原で戦った。この戦いは、小山氏と宇都宮氏、両者の勢力を結集させた戦いであり、すさまじい戦いだったといわれている。この戦いで小山義政は、宇都宮基綱を討ち取り宇都宮勢を破ったが、この合戦が鎌倉公方足利氏満の反感を買うところとなった。足利氏満は関東8国に触れを出し、大軍を率いて鷲城に迫った。この時、小山義政は宇都宮氏との合戦で兵力を消耗していたため、やむなく降伏した。
 小山義政は降伏した後、3ヶ月で祗園城をはじめ、各支城の大改修に着手し、戦闘の準備を整えたため、足利氏満は翌年の1381年に再び触れを出した。その範囲は、関東8国をはじめ、伊豆、相模、奥州までのび、前回よりも多い大軍で鷲城を攻めた。半年の篭城の末、義政は降伏。鷲城は合戦で戦火に焼かれ、小山氏の支城に格下げされた。
 小山義政は、足利氏満との戦いにより、50万石以上の所領と、5千を超える一族、郎党を失った。だが、小山義政は足利氏満と最後の合戦をするため、祗園城に火を放ち、一族を率いて粕尾城に立てこもったが、ひとたまりもなく敗れ 1382年自害した。

 

 

<現在の状況>

 各所に案内板があり、とても見やすい。きちんと整備もされているが、堀にはゴミが捨てれているのが残念。ただ、そこだけを除けばとても良い。

オススメ度 ★★★★

 

鷲城の所在地→