児山城

所在地・・・栃木県下野市下古山(旧石橋町)
築城年・・・1334〜37年
築城者・・・児山朝定
主な城主・・・児山氏
児山氏について
児山城は1334〜37年に宇都宮頼綱の四男である多功宗朝の二男(または三男)朝定が、児山郷を領して築城した。そして、姓を児山と改め、児山肥後守朝定と名乗った。朝定には男子がなかったので、女子を鎌倉の名族、三浦駿河守義行に嫁がせ、その五男で外孫の朝行を養子とした。しかし、その後の児山系図を知る資料はほとんどない。ただ一つ、児山氏が1558年までの約220年間続いたことを明らかにしたのが「多功の戦い」である。
多功の戦い
越後の上杉謙信は、第三回の川中島の戦いの後、その軍勢を上野から下野に攻め入らせた。まず、小山高朝を労せずして降参させ、さらに壬生綱雄を攻め落とした。勢いに乗った上杉の軍勢は宇都宮城を落とすため多功城にコマを進めた。この戦いに多功城主長朝、その子房朝をはじめ、一族の児山兼朝、石崎周防守、野沢将監らが宇都宮、真岡、今泉の軍勢を加えた3千余騎で応戦、敵の先陣佐野小太郎をはじめ数多くを討ち取ることに成功した。児山兼朝は石崎周防守道季らと抜群の武功をたてたが、宇都宮城の祖母井信濃守吉胤、矢板周防前司、野沢将監らとともに討死した。この兼朝の戦死によって児山氏は滅び、児山城は廃城となったといわれているが、多功氏の家臣帳によれば、1590年代児山三郎左衛門菊朝(知行260石)、児山太左衛門(知行260石)の存在が確認されている。
<現在の状況>
児山城は、遺構がかなり良好に残っている。しかし夏は草木が生い茂り、城を一周するのは困難だ。寒い時期に児山城を訪れることをオススメする。
オススメ度 ★★★★★