トップ県央の城上三川町>上三川城

上三川城

 

本丸大手口。当事石垣があったかどうかは定かではない。  本丸を囲む土塁。城はとても良く整備されている。

 

 本丸を囲む堀。時代と共に次第に埋め立てられている。   本丸を囲む堀。堀に沿って本丸を一周すると、巨大な城郭を錯覚させられる。

 

所在地・・・栃木県河内郡上三川町大字上三川

築城年・・・1249年

築城者・・・横田頼業

主な城主・・・横田氏(今泉氏)

 

上三川城の誕生

 上三川城は、1249年、宇都宮頼綱の二男横田頼業(初代)が築城した。頼業は横田城を居城としていたが、地形や、結城、芳賀家の関係、それに政策上の都合などから、上三川城を築いて子孫代々の居城とした。8代城主元明の時、横田から今泉に姓を変えた。

多功の戦い

 いくつかの戦いの中で有名をはせたものに、1558年の「多功の戦い」がある。
 越後の上杉謙信が上野から下野に駒を進めた。謙信は宇都宮城を落とすため、まず、宇都宮氏の有力支城である多功城、上三川城に進撃。この時、今泉氏を含めた宇都宮氏の軍勢が多功城主多功長朝を応援し、上杉方の先陣佐野小太郎の他、数多くを討ち取ることに成功した。
 この戦いで、今泉勢の武勲は高く評価された。(多功の戦いの記述は
児山城のところにも載せてありますので、そちらもご覧下さい)

上三川城の落城

 14代城主、今泉高光の時に主家の宇都宮家で嗣子問題が持ち上がった。
 宇都宮国綱には男子がいなかったので、豊臣秀吉は五奉行の浅野長政の三男長重を国綱の養子にしようとし、家老職にあった高光はこれに大賛成した。しかし、国綱の実弟である芳賀高武は、他家からの養子に反対。
 そして1597年5月2日、芳賀高武は上三川城に夜襲をかけた。城主今泉高光と城兵はよく応戦したが、遂に力尽き、高光は城を出て菩提寺長泉寺で自害、上三川城は落ちた。

 

 

<現在の状況>

 上三川城は、とても良く整備がされていて好感触をもった。本丸跡は芝生が一面にあるだけだが、外側から眺める城内は、巨大な城郭であるような錯覚に陥ったくらい、とても良かった。しかし、堀の水は汚くて、そこだけが残念だった。

オススメ度 ★★★★

 

上三川城の所在地→