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羽生田城

 

土塁。この土塁を登ると眼下にすごい堀が現れる。   堀。林の中の為、写真が暗くて分かりづらいが、深さは約7、8メートルくらい。

 

所在地・・・栃木県壬生町大字羽生田

築城年・・・1501〜1503年

築城者・・・壬生綱重

主な城主・・・壬生氏

 

羽生田城の誕生

 羽生田城は、壬生氏2代城主綱重のときに築城された。綱重は父胤業に協力して壬生家の基礎を築き、領地の安定に努めた。
 その後、壬生氏4代城主綱雄が壬生城の修築をした際、支城の羽生田城の改修を行われた。綱雄は当時、築城術の名家として知られている 人物である。

壬生氏の主な戦い

1523年、宇都宮忠綱は鹿沼綱勝を滅ぼた後、さらに南に進撃し皆川宗成と戦った。この戦いで宗成は戦死、壬生綱房(3代目)は宇都宮家の重臣として鹿沼城を攻略した手柄により、鹿沼城主に栄進する。これが壬生氏の北進への第一歩となる。
 4代目壬生綱雄の時は最盛期で、主家宇都宮氏から宇都宮城を奪い取り、1557年12月まで下野の覇王として威をふるってった。
 しかし、壬生氏最後の義雄の代になると、壬生氏一族の間で騒動が起こっている。宇都宮氏家老団は、主家を裏切った壬生綱雄を苦々しく思い暗殺を計画した。その計画に綱雄の叔父壬生徳節斎を抱き込み、1576年2月の天神祭の日、綱雄を暗殺させた。当時壬生城にいた綱雄の子義雄は、小田原北条氏の力を借りて、徳節斎を今市に追い詰めて殺し、父の仇を討ったのである。
 義雄はその後鹿沼城に入り、豊臣秀吉に包囲された北条氏の小田原城防備の任についたが、開城とともに自害した。これにより壬生家は滅び、羽生田城も廃城となった。

 

 

<現在の状況>

 羽生田城は、本丸跡に小学校が建っているが、小学校の横にある林の中に、上記の写真では分かりづらいが、良好な堀と土塁が残っている。ただ、これほどの遺構が残っていることを知る人は、少ないのではなかろうかと個人的に思う。この遺構がありながら、羽生田城を林の中にとどめておくのはもったいない。

オススメ度 ★★☆☆☆

 

羽生田城の所在地→