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榎本城

 

本多忠純

 1605年、本多忠純が榎本城に入った。本多忠純は本多正信の3男、本多正純の弟である。
 忠純は大坂冬の陣、夏の陣で活躍し、1万石を加増されて2万8千石となった。
 1622年、宇都宮釣天井事件が起き、正純は出羽へ流された。忠純にもその波がおよんだのか、幕府から呼び出されて江戸へ向かった。ところが、利根川を渡っている時、忠純は草履取りの半助というものに刺されて死亡、半助自身も主人の後を追って自害した。半助は、対岸の栗橋で忠純を捕まえる用意があることを知り、忠節の思いから主人を刺し殺したのである。
 この事件を知った幕府は、榎本城を没収することに決めた。その後、本多忠純の跡継ぎとして、加賀前田家の本多阿波守の2男主税助が忠純の養子となり榎本城主となったが、主税助は駿府城代を命ぜられている間に病死してしまった。そのため、相続人がいなくなった榎本城は廃城となった。
 

 

<現在の状況>

 案内板と石碑が建っているところは、堀と土塁がよく残っていた。また、それ以外にも広範囲にわたって断片的に遺構が確認できた。

オススメ度 ★★★☆☆

 

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