粟野城

所在地・・・栃木県鹿沼市口粟野(旧粟野町)
築城年・・・不明
築城者・・・足利忠綱?平野範久?
主な城主・・・平野氏
粟野城の築城
粟野城は(藤姓)足利忠綱によって築城されたと言われているが、確たる証拠がない。また、1338年、 足利尊氏に従っていた平野範久が築城したという話もある。
平野氏
平野氏は北朝方であったが、小山氏に攻められて小山氏に属することになった(小山氏は義政の時に南朝方になるので、おそらくその時であろうか)。
1382年、鎌倉公方足利氏満は粕尾城に立てこもった小山義政の討伐へと乗り出した。小山義政の乱の3度目である(小山義政の乱については「下野の中世史」の「名門、小山氏滅ぶ」参照)。この合戦は激戦であった。激戦の末、粕尾城は落城し義政は自害した。平野氏は生き残り、佐野氏を頼ることになる。
戦国時代、1523年宇都宮忠綱が鹿沼地方を制圧。その後南下し、皆川城を狙った。川原田で皆川宗成を討ち取ったが深追いせず、兵を宇都宮城に返した。この頃から、平野氏は宇都宮氏に帰属することになる。
平野氏は宇都宮広綱の死後、宇都宮氏を離れ再び佐野氏に属したが、皆川広照に粟野城を攻められ、平野氏は唐沢山城に逃げた。
1572年、佐野宗綱は粟野城を攻め、平野氏を城主に復帰させた。ところが、1575年に皆川広照は再び粟野城を攻めこれを落城させた。1584年に平野氏は粟野城を奪還するも、またしても1588年に皆川広照が粟野城を攻め落城させた。
1590年、上杉軍が皆川城を攻めこれを落とした。粟野城もこの時攻められたようで、その後廃城となった。
<現在の状況>
土塁が所々によく残っているという印象を受けた。「○○の土塁」とか書かれた標識もあるため、どの遺構か一目で分かるし、案内板も詳しく書いてある。
オススメ度 ★★★☆☆