赤見城


所在地・・・栃木県佐野市赤見町(旧佐野市)
別称・・・町屋城
築城年・・・1175年
築城者・・・足利俊綱
主な城主・・・足利氏、戸賀崎氏、佐野氏
足利俊綱
足利俊綱は赤見城を1175年に築いた。俊綱は足利城を子の忠綱に譲り、1178年から赤見城に移ったという。
1181年、源頼朝の叔父である志田義広が頼朝に反旗を翻す。足利俊綱は志田義広からの援軍要請に応じるものの、志田義広軍と対した小山朝政(同じ藤原氏)からの援軍要請をも受けた。俊綱・忠綱父子は意図的に遅れて小山に到着、この時すでに勝敗は決しており、小山朝政軍の勝利であった。
この俊綱の動きを頼朝は怒り、和田義盛に俊綱追討を命じた。俊綱は忠綱とともに頼朝軍と戦うものの、家臣であるはずの桐生六郎によって殺された。桐生六郎は頼朝方に内通していたのである。
赤見城落城
足利俊綱の死後、赤見城は廃城になった。その後、戸賀崎氏が城を修復して居城とする。
1559年、赤見伊賀守(戸賀崎氏の子孫)は佐野氏と対立した。どうやら、佐野泰綱の怒りを買ったようで、夜陰に乗じて泰綱は赤見城を攻めた。赤見伊賀守は奮闘し、やがて力尽きて常陸に逃れた。
<現在の状況>
場所が分かりづらい点が気がかりだが、土塁と堀の跡は実に見事である。
オススメ度 ★★★★☆