6章 迷宮からの脱出

肌が火傷しそうなほどに熱い湯を浴槽にたっぷりと張り、二人は長い時間を掛けて
互いの躰を隅々まで洗い清め、肌から弾かれた水滴を、乾いた布でよく拭い去った。
一晩の交歓と楽しい会話は終わりを告げ、
窓の外が明るくなる頃に、悪い魔女は囚われの女剣士の部屋を出た。
別れ際、魔女の皇は、自分の耳飾を外してエレーンに差し出した。
「これを……」
掌の上で、七色の色彩に輝く涙滴型の宝玉。
宝石に閉じ込められたような炎が、虹色に目まぐるしく色を変えながら踊っている。
傍目にも貴重な品だと直感して、エレーンは躊躇った。
「受け取って欲しい」
魔女の皇が言葉を続ける。
「今日の想い出に。もう一つあるから……」
エレーンは、おずおずと静謐に輝く、虹色の宝玉を受け取った。
なんか嬉しくなり、きゅっと力を込めてそれを握る。
「ありがとう……大切にします。ヤーマ」
魔女の皇は、左の耳に残るペアの宝玉に指先を触れた。
「私のこれは……今日から、ペンダントにする。
それを見る度に、貴女がもう一つを持っている事を思い出すから」
二人は、最後にもう一度だけ軽い接吻をかわしてから、別れを告げた。

久しぶりの、それも強烈な悦楽の余韻の為、
エレーンの躰のには、未だに酔ったような感覚と強い痺れが残っていた。
精気を根こそぎ吸い取られたかのように躰が重く、ふとすればよろけそうになる。
酷く睡眠を取りたかったが、胃袋が激しく己の存在を主張して抗議して来るので、
エレーンは欲求に従い、同フロアにある食堂へと向かった。
それが良くなかった。

柔らかな茶と灰の色彩の木壁で取り囲まれた、穏やかな雰囲気の小さな食堂。
其処には先客がいた。緑色の魔女リンデワルトと、その仲間たち。
食堂に入ってきたエレーンを見かけても、リンデワルトたちは、
そこに存在しないもののように完全に無視して会食を続けた。
正直、金髪の剣士にもそれは有難かった。
疲労困憊している体を動かして、目の前に出された野菜と穀類主体のスープを
ゆっくりと啜っていく。
食事が終わるとリンデワルトは立ち上がった。
会話しながら、エレーンの背後を通り過ぎようとして、緑の魔女が立ち止まった。
エレーンは不覚にも不意を付かれた。
背後から、餓えた大型の肉食獣のような、獰猛で剥き出しの殺気が襲い掛かってきて、
金髪の剣士の躰が、凍りついた。
動いたら、殺られる。そう思ってしまった。それで、指一本動かせなくなった。
だが、例え予期していたとしても、対応できたかどうか。

エレーンの首筋で、リンデワルトが顔を近づけ、くんくんと鼻を鳴らして、
匂いを嗅ぎまわっていた。
「……あの方の、匂い」
その掠れきった声を、何と形容すればいいのか。
金髪の剣士の全身の毛穴が、ざわっと鳥肌立った。
下腹の方から、じわじわと熱が退いていく様な、冷たい恐怖が広がっていく。

「……売女め」
言葉の内に込められた汚泥のように沸騰するリンデワルトの憎悪の感情に、
金髪の剣士は気死しそうになって、小さく喘いだ。
泣きそうな、その癖、臨界点ギリギリまで圧力を高めた爆発寸前の溶岩のような制御不能の感情が、
翠の魔女の躰の中で渦巻いているのが、不思議とはっきりと感じ取れた。
エレーンの胃袋が、凍りつくような嫌な緊張感に支配される。


「これ以上、面倒な奴が城に増えても厄介だわ」
言い放つリンデワルトのその冷たい声は、しかし激しい動揺の為か、
高低がまるで一致していない。
小枝から、石をも砕く茨の鞭を作り出していく例のピシピシという破裂音。
「この場で、消えてもらう」

……きぬぎぬの逢瀬の直後に、嫉妬に狂った横恋慕の魔女に殺されるのか。
兵士として自分の死を様々に予期してきたエレーンだったが、
こんな死に方は想定のうちに入ってなかった。

翠色をした殺気の塊が動き、襲い掛かってくるまさにその寸前、
「姫様としたのね?エレーン」
サリアソリュートの、友人の赤毛の魔女がクスクスと笑う声がした時には、
安堵の余り躰から力が抜けそうになった。
「……匂いで分かるわ」
完全に不意を付かれたのだろう。
リンデワルトの殺気が混乱し、複数の対象に分散した。
エレーンの躰に冷静さが戻った。
瞬時の隙をついて、片手をつき、素早くテーブルを飛び越えると、
緑の魔女の射程から安全な距離を取った。

そこには、赤毛の魔女とシェラティオス。そして武装した数人の魔女がいた。
武装した魔女たちは、衛兵なのだろうか。
全員が漆黒の金属で出来た胸鎧と、剣や槍などで完全武装し、
黒い制服の肩口には、翼ある黄金の蛇の紋章が刻まれている。

背後を完全にとられたリンデワルトは、冷や汗をかきながら動こうとしない。
赤毛の魔女は、緑の魔女と一団をその背後から牽制し続けている。
翠の魔女の仲間たちも、動けない。
サリアソリュートの純粋で透明な殺気の余波を受けて、
彼女たちは浅く喘ぎ、逃げる意志も封じられたかのように、
歪な石像の様に凍り付いて、無様に立ち尽していた。
「あんたがイラついているのは、それね……リンデワルト」
翠の魔女へと向けるサリアソリュートの精悍な声には、
嘲りと揶揄の響きが明確に現れていた。
「幾ら想いを向けても振り向いてくれなかった姫様が、よりによって人間を抱いた。
嫉妬しているのでしょう?……たかが人間に」

リンデワルトの表情が、憤怒で、いびつなまでに醜く歪んだ。
人間の表情というものが、怒りと言う感情をこれほどまで露にできる事を
エレーンは驚愕と共に初めて知った。
緑の魔女の、灼熱の感情が破裂しそうになった。サリアは、剣を持った腕に力を込める。
緑の魔女が暴発する。
エレーンも、赤毛の魔女と見守っていた他の魔女達も、翠の魔女の仲間さえも
そう思った時に、

リンデワルトは哄笑した。
その表情からは、怒りが急速に引き、消え去っていた。
緑の魔女の意外な行動に、サリアソリュードの顔には、当惑の感情が浮かんでいた。
思わぬ成り行きに、エレーンもあっけに取られて緑の魔女を見つめた。


「ああ、おかしい」
狂ったように笑い続け、おかしくて堪らないといった様子で、
涙目を指で拭き、リンデワルトは赤毛の魔女に向き直った。
「サリア、そんなにこの人間が気に入ったのね?」
掛けた声には、親しみの感情さえこもっている。
リンデワルトが、ニィっと笑う。悪意の滴る、人を傷つける喜びに満ちた嗜虐の笑み。
「一つ、いい事を教えてあげるわ。サリア」
緑の魔女の思惑を測りきれず、当惑しながらも警戒の構えを崩さずに、
赤の魔女は応答した。
「サリアソリュートだ。リンデワルト」
「貴女の恋人、何と云ったかな。ああ、そうそう、レイダーよね。彼を殺したの……」
金髪の剣士を指で指し示し、影のない嬉しそうな笑顔で、
その事実が相手を酷く傷つける事を確信して、
「そこなエレーンよ」
緑の魔女は赤の魔女に告げた。

赤髪の魔女の表情が固く凍った。
「出鱈目だ。戯言を……」
自分の言葉が、赤の魔女をひどく傷つけているのを楽しみながら、
緑の魔女は、邪悪な喜びを抱いてクスクスと笑う。
「訂正しろ……リンデワルト」
「そう思うなら、姫に聞いてみなさいな」
一言だけ告げて、リンデワルトは素早く踵を返した。
呼び止める間もなく、足早に食堂から立ち去っていく緑の魔女を、
取り巻き連中が慌てて追いかけた。
後に残されたのは、呆然と立ちすくむ金髪の女性と、彼女を凝視する赤毛の魔女。

「エレーン、聞きたい事がある」
深刻な表情をして、赤毛の魔女が金髪の剣士に向き直った。
その声音には恐いものが含まれていて、
エレーンの躰は、意志とは関係無いところで緊張し、
否応無しに目の前の魔女を脅威として認識した。
「赤い髪の男を切ったか?身長は、そう56、7メルテほど。
右頬に刀傷があって、かなり剣を使う」
魔女は、何かを恐れているような眼差しをエレーンに向けていた。
突然の質問に、金髪の剣士は、困惑しながら応えた。
「……分からない。……覚えはないよ」
「……そうか」
サリアソリュードが傍目にも明らかにほっとした様子で、安堵の息をついた。
それで目の前の赤毛の魔女が、既に、自分に対して壊したくないだけの
好意を抱いているのだと知って、エレーンは少しだけ嬉しくなった。
「リンデワルトの奴……」
サリアソリュートは言いかけて、はっと何かに気づきかけたかのように、
再び口を閉じた。
「そうだ……これと同じ刺青に見覚えは?」
赤毛の魔女は、腕輪を外して青い刺青を見せる。
蒼白い肌の上でも鮮やかに映える、北方の山岳民族特有の戦化粧。
そういえば、サリアソリュートの赤い髪は彼らによく似ている。
そう思いながら、エレーンの中で二つの連想が繋がった時、
二ヶ月ほど前に戦った、盗賊たちの首魁である北方人の姿が脳裏に蘇った。
「思い出した……もしかして、右頬にこう抉れた傷がある。」
指で自分の頬に、傷の軌跡をなぞると、サリアソリュートの顔が今度こそ固く強張った。
「レイダーだ」
力なく視線を伏せ、赤毛の魔女は陰気な声で呟いた。
「彼を……切ったのか?」
エレーンは、この場から逃げ出したくなった。
それでも、赤毛の魔女の知己を切ったのだとしたら、彼女には応える義務があるだろう。
「……ええ」
肯定したエレーンの声を、聞きたくなかったとでも云うかのように
赤毛の魔女が首を振った。
「彼はヤーマを切ろうとした。それをわたしが阻んで……」
「同じ部族に生まれた……私の恋人だった。……追いかけてくれたのだな。」
沈痛な表情で呟いた赤毛の魔女の言葉に、エレーンは先日から感じていた、
微妙な違和感の正体を突き止めた。
今の言い草は、まるで……
「彼は人間だったわ。同じ部族って、どういうこと?貴女は魔女でしょう?」
金髪の剣士の疑問に、サリアソリュートは渋い顔で応えた。
「魔女か。だが、元は私も人間だった」
エレーンは、呆然と聞き返した。
「なん・・・ですって?」

「ああ、人間の盗賊だった」
魔女のその言葉に、きゅっとエレーンの胃が縮まった。
「人が魔女に、そんな……そんな話、聞いたこと無いわ」

「人を仲間に出来るほど力ある魔女は、そう多くはいない」
サリアソリュートが首を振りながら、己の知る限りの事を教えた。
「普通の人間に知られてなくても、不思議ではない」
先ほどの復讐なのか。何故、そんな事を告げるのか。
彼女の責ではないと分かってても、冷然と事実を告げる赤毛の魔女が
エレーンには憎たらしく思えた。

「事実、あの少女に……姫に出会う前の私は、れっきとした人間だった」
食堂の椅子に浅く腰掛けると、赤毛の魔女は事の始まりを掻い摘んで話しはじめた。
「商人の屋敷を襲って、連れ出した人質の中にあの少女が居た」
淡々とした調子で言葉を続けた。
「私に良く懐いて、力のない魔女だと……魔女でも子供なら可愛い者だと、
そんな風に最初は思った。お前と同じだ」
赤毛の魔女が、エレーンの顔を見上げた。
酷く真剣な眼差しが、これは冗談ではないと語っていた。

「どこに行くにも付いて来て、可愛らしい仕草で一緒に寝る事を求めてきた。
徐々に心を許したある日、突然に正体を現して仲間を皆殺し、
私を打ち倒して、犯しぬいた」
自負と尊厳を打ち砕かれたその時の事を思い出したのか、自嘲と苦悶に顔を歪め、
酷く苦しげに、それでも笑いながら、赤毛の魔女は自らの肩をぎゅっと抱きしめる。
「それで、このざまだ。心はともかく、躰はあの方と同じ魔女に変化してしまった」
言葉を切ると、赤毛の魔女は声もなく笑った。
その嘲笑は、自分へと向けられたものか、
それとも目の前のエレーンへと向けられたものか

エレーンは、吐き気を覚えた。
足元の地面が、音を崩れ落ちていくかのような錯覚を覚えて、思わず足元が揺らいだ。
地面が回転するように思え、立っていられなくなって、
ふらつきながら手近な椅子に掴まろうとした。

シェラティオスが慌てて差し出したその薄闇の夜の色の手を、
エレーンは思い切り払いのけた。
「私に……触らないで!!」

金髪の女剣士は、血の気が引いた真っ青な顔になって、周囲の魔女たちを見回した。
周囲にいる誰も彼も、自分を心配そうに見つめるシェラティオスも含めて
魔女の全てが化け物の一群のように思えて、怒りと恐怖に喘ぎながら後退りしていく。

妖魔の一部には、性交を通して人間を同化したり、眷属にする種族もいるとは知っていた
しかし、魔女は……

「出鱈目だわ」
エレーンは、立ち上がった。
「嘘よ」
そう云った彼女の顔は恐怖に引き攣り、血の気が引いていた。

「そう思うなら、そう思え」
サリアソリュートは、どこか疲れたように呟いた。
話すのではなかったと後悔しているように、
「私以外にも、元人間だった魔女がここには幾人もいる。
例えばメイドたち。そしてこの戦士たち、彼女らに聞いてみるがいい」
「元人間がそんなに大勢いるのに、何故、知られていないのよ」
エレーンが怒鳴った。
「殆んどは、人の世で消えても誰も騒がない者だ」
時を置かずして、サリアソリュートの反論。

「辺境の村で、他の亜人や魔獣から守ってもらう代わりに差し出された生贄の娘、
餓えて死に掛けていた幼い子等、貧困に苦しんでいた最下級の娼婦。
不治の病に犯された病人。世を儚んでいた異邦人、逃亡奴隷、脱走兵、落ち武者、
戦乱に故郷を失った放浪者、闇の森近くに行き倒れていた旅人」
周囲の魔女たちの、無言の眼差しがその話を肯定していた。
「魔女たちに拾われなければ、死んでいたであろう者も多い。
もとより姿を消しても、誰も何とも思わぬ者達よ」

赤毛の魔女の話には、まったく矛盾したところが無い。
この城に来てから、今まで見聞きしてきたた情景の断片と、聞いた話が、
パズルの断片のように完全に一つに繋がった。
エレーンは、胃の辺りに氷塊が滑り落ちていくかのような感覚を覚えて、
ただただ立ち竦んでいる。

「姫様や、それに近しい魔女貴族の一派は、
そうした人間だのハーフエルフだのを、年に何人か拾って来ては仲間に加えている。
その殆んどが、自ら魔女になる事を望んだ者だ」

「城の魔女の半分は。そして、闇の森の魔女の二割か、三割は、
そうした元は人間だったり、エルフだのドワーフだったりした魔女達よ」
サリアソリュートは、そこで一端言葉を切り、
眼差しに奇妙な光を宿して、エレーンを見つめた。

「ヤーマは……彼女は私を自由にしてくれると云ったわ。
次の満月の日に私を帰すと、約束した」
赤毛の魔女は、皮肉な笑みを浮かべた。
「気が変わらなかったらとか、貴方がそれを望むならとか、付け加えなかったか?」
朝の寝台での魔女の言葉を思い起こす。確かにそう云っていた。
「云ったけど……それが、どうしたって云うの!!」

「次の満月、か」
舌打ちする。
「人を魔女に変貌させるには、良質な霊気が大量に必要だ」

「かなり強力な魔女でも、蓄積するのに五年から十年。
だから、どんな魔女も、そうそう眷属を作ることは出来ない」

「だが、姫様は誓う」
「数千年の歳月を閲した桁外れな魔力と、発達した魔術回路は、
人一人を変貌させる霊力を蓄えるまで、ただの二ヶ月。
そして、この前、人の娘を眷族に加えたのが、丁度、闇の森での戦の直後」
エレーンが呻きを上げた。
「……ちょうど、計算が会う」
赤毛の魔女が云った。
「気が変わらない訳が無い」

「明後日には、あなたは、もう姫様の意志に逆らえなくなっているのだからな」
「どれだけ憎もうが、呪おうが、それ以上にあの方を狂おしく愛し、
命令に従う事に喜びを感じる、あの方の眷属……いや奴隷と成り果てているだろう」
自分の境遇を奴隷と告げて、赤毛の魔女は精悍な表情を憂鬱に翳らせた。

「わたしは、どうなる?」
恐る恐る、エレーンは尋ねてみた。
問う声は掠れ、躰が戦慄に慄いているのが自分でも分かった。
「わたし……私も魔女にされるの?」

「姫が自分から連れてきた者は、多くはない。最近では、私とお前だけだ」
サリアソリュートが、どこか投げやりに応えた。
「姫は、きっとそのつもりだろうな。だから連れてきたのだ」
「いやよ、わたし魔女になるくらいなら・・・魔女になるくらいなら……」
喘ぐように云うエレーンに、赤毛の魔女がイラ付いた様子で言葉を叩きつけた。
「どうする?死ぬか?」

死、その直接的な言葉によって、エレーンの躰を恐怖が走り抜けた。
優しい人間が人を殺すには、気力を必要とする。
殺すのが自分であっても、それに変わりは無い。
自らを裁く事が出来るほどには自分が強くない事を、エレーンはよく知っていた。
金髪の剣士は、血の気の失せた顔で床に虚ろな視線を呆然と向けた。

ふと、自分に注がれる魔女たちの眼差しに気づいて、顔を上げた。

自分を見つめる彼女らの瞳に宿る光が憐憫と同情の発露と気づいて、
エレーンはどうしようもなく惨めでいたたまれない気持ちになり
その場に背を向けて、逃げ出すように回廊へと駆け出した。


【6章 02】

時刻は深夜。
昼間から人影もまばらで静謐な雰囲気の漂う魔女の城は、
月の投げかける蒼白い光に包まれた深海のように、無音の世界と化していた。
魔女たちも殆んどが寝入っているであろう、真夜中の回廊を一人の女性が歩いていた。
目的地は、同じフロアにある赤毛の魔女の部屋。
扉を叩いて十数を数えた所で、サリアソリュートが顔を出した。
「……エレーン」
訪問者の名を呟き、辺りの様子を伺って他に人影がいない事を確認してから、
赤毛の魔女は、訪問者を部屋に招きいれた。
「……入って」
赤毛の魔女の野性的な表情には、この訪問を予期していたかのように、
何処か緊迫した表情が、張り付いていた。

切羽詰った金髪の女剣士が、考え抜いた末にとった行動は、
闇の森からの脱出に赤毛の魔女を頼ることであった。
この魔宮で助けてくれそうな相手は、彼女を置いて他にはいそうにない。
幾ら仲がいいと言っても、シェラティオスは、あくまで夜魔の姫に忠実であろう。
城下で出会った捕虜のリーンも、魔女に厚遇されているエレーンに
一抹の疑念を抱いているようであった。
一緒に逃げ出す事が出来れば、心強い相手ではあるが、
素直に協力してくれるかどうかは分からない。

だが、サリアソリュートはどうか。
彼女は、元は人間である。それも、無理矢理に魔女にされた身であるらしい。
なれば、あるいはエレーンの試みに力を貸してくれるやも知れない。

部屋の持ち主が扉に鍵を掛けるのももどかしく、エレーンは本題に切り込んだ。
「サリアソリュート。私は、魔女になりたくない」
「わたしも逃がしてやりたい。だが……」
苦しげな赤毛の魔女に詰め寄って、必死の懇願を瞳に宿し、説得を続ける。
「力を貸してほしい。この城から、そして闇の森から逃げるのには、一人では難しい」
「出来ない。あの方に魔女にされた者は、魂に忠誠が刻まれる」
説得の方法は、大体、理を持って説き、利を持って誘い、情に訴える三つに区分できる。
エレーンには、利益を提示する事も、理屈を述べる事も出来ない。
ただただ必死に、義侠心と友情を持った赤毛の魔女に、自分の窮地と恐怖を訴え、
助力を請うた。
「サリアソリュート……いいえ、サリア。私は、家に、人の世界に帰りたいの」
エレーンのこれ以上無い真剣な眼差しが、
サリアソリュートを忠誠心と友情の狭間で、酷く苦しめた。
「お願い。わたしを待っている人がいる」
人であった時の名を呼ばれて、赤髪の魔女は苦しげに呻きながら、ついに肯いた。
「……分かった。ただし、一つ条件がある」


少ない準備を手早く整えると、二人は比較的警備の手薄な裏口の城壁に回った。
「北西の国ペイモンを訪ね、あなたの家族に形見を渡す」
それがエレーンの脱出を手助けする代わりにサリアの出した条件だった。
「これでいいの、サリア?」
「その紋章がついたマントを着ていれば、今夜の内は魔獣が襲ってこないはずだ」
早足に歩き、囁くように言葉を交わしながら、縄を下ろす。
「降りた所に、戦馬を用意してある。
目の赤い、漆黒の戦馬だから、すぐ分かると思う。わたしの魔獣フンババだ
言い聞かせてあるから、自由に使ってくれ。森の外れまで言ったら、放して」
エレーンが肯いた。緊張を目に宿らせながら、赤毛の魔女に手早く別れを告げる。
「色々、ありがとう」
「ああ、友達に宜しくな」
ヤーマを出し抜く形になるのは、少し心苦しかった。
騙されたと、怒るかもしれない。
だけど、それでも、エレーンが居るべき場所は、闇の森の魔女の皇の隣ではなく、
少し怒りっぽくそして優しい、茶色い髪の槍使いの傍らであるべきなのだ。
一瞬の躊躇の後、エレーンは縄から滑り降りていく。


闇の森の細い道を、魔獣を駆り、疾風のように掛けていくエレーンの後ろ姿は、
見る見るうちに小さくなり、遠ざかっていく。
フンババの速度であれば、夜明けには闇の森の外縁部にあるカシナート側の砦に
到達するであろう。
これでよかったのだ。
そう思い、踵を返そうとして、サリアソリュートは立ち止まった。
闇の中で、光を反射した宝石のように光る、数十の赤く輝く光。
囲まれていた。
いつの間にか、大小、複数の強烈な殺気と闘志が、赤毛の魔女を包み込み、
完全に包囲している。

赤毛の魔女の目の前で、濃密な闇が生じていた。
其処だけ漆黒の闇が侵食したかのように、周囲から切り離されて
星月の光も届かない異界と化していた。
闇が揺らいだ。一箇所に凝縮し、圧縮されるかのように人の形に集束すると、
次の瞬間、無から生じたかのように、其処には艶やかな黒髪を湛えた少女が現出し、
黄金の光を称えた瞳で赤毛の魔女を睥睨していた。
「サリアソリュート、我に牙を剥くか
お前を信頼して警護を任せたエレーンに抜け道を打ち明け、逃がすとは……」
夜魔の姫は、姿形に似合わぬ巨大な威圧感を漂わせ、傲然と、
同時に、どこか面白がるような声音と表情で、楽しげに音もなく笑った。
十余の影がサリアソリュートを取り囲んでいる。
城内警備の魔女たちである。彼女たちは、敵意と警戒を露に赤毛の魔女を包囲していた。
この新参の赤い魔女が誇る尋常ならざる戦闘能力の噂は、彼女たちにも知れ渡っている。
微塵の油断もなく、一斉に飛びかかれるように、手にした武器に呪いを込める。

「・・姫様。ええ、歯向かいます」
自らの魂を奪い取り、闇に縛りつけた主君を睨みつけて、赤毛の剣士は高らかと宣告した。
「いかな敵が相手であっても、例え竜と戦えといわれても怯むものではありません」
言葉を続けて、
「ですが、こんな役目は御免です。人を騙して、篭絡するような真似は」
その目には、明確な闘志が宿っている。

「皆、下がりなさい」
夜魔の姫の言葉に、魔女の警備隊長が仰天して、皇の顔を仰いだ。
「しかし……しかし、脱走者は冥骸城の位置を掴んでいます。
もし、おおよそであっても、カシナートへと知らされたら……」
「下がれ、と言った。二度は言わぬぞ」

顔から血の気がこれほどまでに引くものなのか。
まさしく蒼白の顔になって一礼した魔女の指揮官が、部下たちを振り返って号令する。
「い……急ぎなさい、森を抜ける前に捕えるのよ!!」
全ての魔女達が、脅えたように早足で駆け出し、その場から走り去っていく。
残ったのは、二人きり。

魔女の皇に対して、サリアは真横に剣を構えた。
「……皇よ。お願いです」
心の奥から湧きあがってくる脅えに耐え、恐怖を必死に抑えながら、主君に嘆願した。
「エレーンだけは、人の世界に……見逃してやってください」

夜魔の姫は、玲瓏とした外見を崩さず、冷然と微笑を浮かべて告げた
「お前はかつて我に敗れた時に誓ったであろ?
我に魂を捧げ、下僕となる。だから命ばかりは取らないでくれと」
屈辱と恐怖に、サリアの顔が歪んだ。それを楽しみながら
「お前は身も心も我の物。それを忘れたわけではあるまい?
それとも、あの誓言は虚言であったか?狼の剣士よ」

「いいえ、ですが…」
言いよどむ赤毛の魔女を前にして、魔女の皇が服をはらりと脱ぎ捨てた。
全裸に黒いハルバードを携え、舌舐めづりしながらゆっくりと
サリアソリュートへと近づいていく。
興奮に、魔皇の股間で異形の一物が鎌首をもたげた蛇のように隆起する。
「サリア。久しぶりに可愛がってあげるわ」

黒いハルバードから、粘液じみた純粋な闇が生じた。
粘液質のそれは周囲の空間に触手を伸ばしながら広がっていき、
何もかもに浸透し、支配領域を広げていく。
サリアソリュートは、まかり間違えば自分を倒せるほどまでに成長している。
魔女の皇に手を抜くつもりは微塵もない。
「そうして、自分が誰の物か思い出しなさい。
私に抱かれる快楽に溺れながら、魂を捧げると誓願した事を・・・」
戦闘の歓びと蹂躙の予感に躰を慄かせながら、
魔皇は一歩、また一歩と、赤毛の魔女へと近づいていった。
サリアが吼えた。
獣の如き速度で魔皇に躍り掛かる。

「はっ」
エレーンが、魔獣の上から城の方を振り返った。
何かが割れたような音を聞いた気がして、既に見えない闇の彼方に目を凝らす。
胸のうちで心臓が音を立てて激しく鳴っていた。
「今、何か……が」
胃の辺りがきゅっと縮まった。
何ともいえない激しい胸騒ぎを覚えて、嫌な予感が金髪の剣士の胸のうちに広がっていく。



剣は、半ばからへし折れて床に転がっていた。
時折、雲の谷間から降り注ぐ月の光を反射して、蒼く煌めいている。
持ち主は、魔皇に組み敷かれ、背後から貫かれて、甘やかな呻きを放っていた。
地獄のような灼熱の快楽を前にして、既に抵抗の意志など微塵も残さず蒸発している。
「サリアソリュート」
嫌っていた魔女としての名を呼ばれて、
「ああ…は……はい!!」
赤毛の魔女は、応える。
尻を犯され、浅ましく快楽を貪りながら、ぶるぶると躰を震わせて
凭れ掛かる灰色の石壁に紫紺の爪を立てると、突かれる度にがりがりと掻き毟っていた。
その狼を思わせた野性的な美貌の引き締まった精悍な面持ちは、
今は見る影もなく蒸発し、犬のようにだらしなく蒼白い舌を出して、
赤い髪を振り乱し、涎を垂らしながら、ただただ甘く呻き続けていた。

夜魔の姫は、背後から赤毛の魔女の、蒼白い肉を思う存分に蹂躙し、貪りつくしながら、
長い舌で、得物の狼のように鋭く尖った耳元を弄っていく。
「他の娘達を見て誤解していたのだろうが、あれらは真の魔女ではない。
ただ単純に、闇の精髄を一滴与えたに過ぎぬ。夜の眷属ともいえぬ、半端物よ」
夜魔の姫が、サリアソリュートの胸を握る手にぎゅいっと力を込めた。
「ひいぃぃぃッ!!!」
少女の掌で、赤毛の魔女のたわわな胸肉が歪なほどに形を変えた。
サリアソリュートは、胸を襲った嗜虐の快楽に、悦びの叫びを上げて喘いだ。
「だが、真の魔女は違う。魔女は私の一部を取り込み、また私の一部となった者達」
突き上げ、打ち下ろし、左右縦横にサリアの肉という肉に、支配の徴を刻み込みながら、
魔女の皇は怒りを発散していく。
「わたしはまだ、お前を完全な魔女にはしていない。していなかった」
「はぁっ・・・・・・はああ?」
「お前の行動や、私への忠誠心と人の世界の間で揺れ動くその心。
自由意志は好ましかった」
魔女の皇は、冷酷な光を瞳に宿らせて、残酷な宣告を部下に降した。
「だけど遊びが過ぎた。私に逆らってはいけない。頃合だ。
そろそろ、魂を我に捧げてもらう」

「あ…ああ…いや、いやぁッ……」
赤毛の魔女の瞳には、畏れと悦び、そして服従への媚が浮かんでいた。
夜魔の王は、少女の物言いに戻って、
サリアの腕を掴み、腰使いを激しくする。
「出してあげる、サリアソリュート」
耳元で優しく囁き、赤毛魔女の尖った耳を甘く噛んだ。
「許す。おいきなさい」
「ああ、はい、姫様ァッ、ご命令のままにィッ」
手を背中に回し、足を少女の尻に絡ませて、赤毛の魔女は喜悦の絶叫を放った
「はああぁぁ、イッックウウゥゥゥゥゥ!!!!!!」
サリアがビクビクと躰を痙攣させて、石畳の床に倒れ付した。
陶然とした表情で魔女を見上げ、はぁはぁと息を荒げて、肩を揺らしている。
その目、かつては煙るような赤だった瞳が、
妖火のような光を放つ、鮮血のような真紅の色へと急速に染まっていく。

全裸の上にマントだけを羽織って、夜魔の王は蒼い月が照らし出している
闇の森へと視線を投げかけた。
「リンデワルトが出たな」
強い魔力を備えた強烈な殺意の波動を探知して、小さく舌打ちする。
「あの者らは、わたしが人を好むのを快く思っていない。
連中が先に見つければ、エレーンを殺すだろう」

「追え。追って彼奴らより先に、エレーンを見つけよ。
リンデワルトの魔獣は速い。彼奴が、エレーンを補足する前に連れ戻すのだ」
サリアはうっとりと酔ったような表情で、自らの股間からこぼれた主の精液を
指に絡め取り、舌を這わせて舐め取っていく。
「はい、オルヴァヤーナ様」

城壁に佇んだ夜魔の姫は、遠く遠く闇の森に見入りながら、
よろよろと立ち上がった忠実な下僕に命じた。
「自ら逃がした獲物を、自らの手で捕えるのよ、私の可愛い地獄の猟犬サリアソリュート」