5章 空中庭園

窓が固く閉じられ、蝋燭やランプの明かりもなく
部屋に入った魔女は、戸惑った様子で薄暗い周囲を見渡して
部屋の片隅に座り込んでいる目当ての人物を見いだした。
「エレーン?」
酷く沈んだ様子のエレーンが、顔をうつ伏せたまま、暗い眼差しで少女を見た。
彼女の暗鬱な雰囲気を察して、黄金の瞳の魔女は声を掛けるのを躊躇った。
「闘技場で、捕虜が……」
エレーンが虚ろな口調で呟いた。
「アンガー・ヴァルハレイ。見知った顔でした」
「なるほど……」
「面識は少なかったけど、立派な人だった。
あんな風に、見世物にされて死んでいくような最後を迎える人ではなかった」
エレーンが顔を上げた。その頬は涙に濡れている。
瀕死のアンガーを前に、躊躇していた年若い魔女に止めを刺すよう指示したのが、
目の前の少女である事にエレーンは気づいていた。
「貴女は……酷い人だ」
エレーンは睨む。怯んだ様子もなく、少女は冷たく応えた
「我は、魔女の皇だよ。エレーン」
「…………」
「何時でも、何処でも、人は死んでいる。人間も、魔女も、死に大した違いは無い」
魔女たちと少しは分かり合えたと思った。それは錯覚に過ぎないのだろうか。

一体、服の何処に持っていたのか、少女は、突如、エレーンの剣を取り出した。
鞘を取り、魔女の皇は刃を手にとってためつすがめつして眺めた。
品定めしていた魔皇の両の瞳が、何かに気づいたかのようにすうっと剣呑に細まると。
「……いい剣ね」
「道場の先生から貰った物です。免許皆伝のお祝いに……と」
「ふふ」
刃を鞘に収めると、エレーンの傍らに座り、膝の上に寄こした。
「返すわ」
「……でも」
「少し話したいな。幾らか、気が楽になるかも知れない」
魔皇は、言葉を切ってじっとエレーンを見つめた。
どれほど長い時間、そうしていただろうか。
金髪の女剣士は、目元を拭いて涙を拭った。
「アンガーはカシナート人です。
なのに……観客には、私と同じカシナート人もいた。
人間を、あんな風に玩具にして、その生き死にを見世物にして楽しんでいた」
金髪の女剣士の哀しみの感情を察して、黄金の瞳の少女の心臓が強く高鳴った。
直視した人の醜さに、エレーンは酷く傷ついていた。
「人は……綺麗なばかりの生き物ではない。特にこういう時代には……」
エレーンが、顔を見上げる。息苦しいのか、衣服の首筋を緩めた。
「そういう物だとは……分かっています。でも、幾ら見ても馴れることは出来ない」
この子は、戦場で強姦や略奪を見るその度に傷つき、苦しんできたのだろうか。
魔女は、エレーンの頬にそっと触れた。
「……貴女には、止められたのではないですか?」
エレーンの問う声に、玲瓏ささえ漂っていた冷たい美貌の魔皇が、
酷く疲れたような翳に覆われた。
「闘技も、戦争も、仮に今、貴女が私を倒したとしても止められない」
寝台に座って、魔女は低く小さなため息をついた。
「私は魔女という大きな機構の中の歯車でしかない」
魔皇が、苦しげな口調で独り言のように呟いた。
「そしてその魔女も、より大きな闇の森の勢力の一つでしかない。
闇の森が、西方世界の一部であるようにね」

「魔女の皇さえも、運命の女神には滅多に逆らえないのよ」
どこか泣きそうな顔に笑みを浮かべると、
「戦争を止める事は出来ない。少なくとも、人間達が参ったするまではね」
ほろ苦い物を含んだ声音で、そう告げた。


「この戦争で、多くの力ない魔女が死んでいった。
これからも、大勢死んでいくでしょうね」
寝転がると、仰向けの姿勢のまま、少女はそう呟いてエレーンを見上げた。
「前に、仲間になって欲しいって言った事を覚えている?」
このような時に何を言い出すのかと、エレーンは魔女の顔を見下ろした。
「あれは本気よ。あなたが欲しい」
「え…?」
「安心して。仲間になるのを断ったからといって、それじゃ死刑とかいう落ちはないから」
不思議と言葉に嘘はないと信じられて、エレーンは少し安心する。
「わたしは、あなたの仲間にはなれない」
「お給料も出すわ。カシナートを滅ぼした暁には、なんと貴族に。
その上、領土だって上げちゃう」
エレーンは苦笑する。
魔女たちは強力ではあったが、人に比べて余りにその数が少なかった。
このままの膠着状態が続けば、戦争に負けないにしても、魔女の勝ち目は薄いだろう。
「幹部がそんな事を言い出すなんて、実は、魔女も切羽詰っているんですか?」
「うん、実はね。でも、王国には内緒だよ」
小さく窄めた唇に己の人差し指を当てて、少女はうふふと笑った。
エレーンも笑い返す。

唐突に、エレーンに抱きついてきた。
「仲間じゃなくても、側にいてほしいな」
魔皇の躰は酷くか細げで柔らかく、暖かい。
少女の躰から立ち昇る、麝香のような甘い香りがエレーンの鼻腔をついた。
亜熱帯に咲き誇る花のような、甘ったるい香りを全身から発散させているかのようで、
部屋中に涼やかな香気が漂っている。
金髪の女剣士は、無言で、少し強めに少女を抱き返した。
腕に込められた力に、少女が反応した。
「……あ」
嬉しそうな甘い声。
少女の小さな悲鳴を聞きながら、どこかぼうっとした頭の片隅が、
その声をもっと聞きたいと訴えてくる。
緊張と欲情に、服の布地に擦れて痛いほどに乳首が勃起していた。
触って欲しいな。そう漠然と思った時には、
少女の手がすばやく胸元に忍び込み、まさぐっていた。
「あ……ああッ・・・」
蒼白い指に桜色の突起を掠られた。
それだけで、エレーンは喘いだ。涎が飛び散り、腰がガクガクと痙攣した。
立っていられないほどに力が抜けそうになり、
思わず少女の頭をかき抱いて、駄目っと強く叫んでしまう。
すうっと、柔らかい肉に触れ、魔女の中指と人差し指が、
エレーンの桜色をした先端部を軽く挟んだ。
「あっ……はあっ」
とくんと、胸が痙攣した。血が逆流する。
この時、エレーンは、少女と自分が一線を越えようとしている事を予感していた。
そして、それが自分の何かを変えてしまうことも、脳裏では理解していたのかもしれない。

……いけない!!
心に生じた強い危機感が、意識にかかった霞の網を突破して脳髄に届いた。
「駄ッ…目!!」
エレーンは、強引に少女を突き飛ばした。
少女は床にぺたりと尻をつき、一瞬、戸惑った表情を浮かべた。
理不尽に傷つけられた子供のような表情に。
「あ……ごめんなさい」
荒い息を修めながら、慄きか、興奮か、
エレーンは躰の震えを抑えようとする。
「振られちゃったか……残念」
ふっと笑って少女が、素早く立ち上がった。


【5章 02】
その日は、闇の森にしては珍しく、
朝から一日中晴天の、雲ひとつないからりとした天気であった。
いつもは天空を支配している分厚い灰色の雲が、欠片も残さずに姿を消し、
地平線の遥か彼方まで、そこ抜けに青い色彩が天空を支配している。
シェラティオスの話では、年に数回、闇の森の空がこのように晴れ渡るらしい。
晴れるのは、決まって満月の日だそうで、
そうした日は魔女たちにとっても絶好の行楽日和となるそうだ。

「いい天気なので、屋上へ参りませんか?あすこには空中庭園があるのですよ」
一も二もなくエレーンは、シェラティオスの提案に乗った。
退屈だったし、散策は好きだった。
何より、魔女に捕虜が殺されるのを目撃した闘技場の一件以来、
二人の間に流れていた少し気まずい雰囲気を払拭したかったのもある。
魔女メイドが調理したパンと肉料理とパイを、バスケットに詰め、
ワインの瓶に、庭園でひくシーツを抱えて、
エレーンと魔女のメイドたちは屋上を目指した。

最上階の屋上に辿りついた。
東方の砂漠の果てにあるといわれる七大建築の空中庭園もかくやと云う
壮大な規模の空中庭園である。
所々、寝転がったり、談笑している魔女たちの姿が目に入った。
魔女メイドの秘密のお気に入りであるという小高い丘陵を目指して、一同は歩き始めた。
途中、細い道に前方から緑色の服を着た魔女が歩いてきた。
すれ違えるように、片幅によって道を開けた。

エレーンとすれ違った魔女が、足を止めた。
「待て!」
高圧的な呼びかけに、金髪の女剣士はむっとして、向き直った。
エルフのような鮮やかな緑の髪に、スレンダーな肢体を持った魔女である。
その視線は、憎悪も露にエレーンをねめつけていた。
わたしが殺した魔女の親戚か、縁者か?
エレーンは、そんな疑問を抱いたが、どうやら違ったらしい。
「人間が何故、こんな所にいる?地下の牢獄から、逃げ出したのか」

「リンデワルトさま。この方は……」
エレーンを庇うように立ちはだかった魔女メイドを見て、
「……シェラティオス」
緑の魔女の表情が、嫌悪感に歪んだ。
次いで、エレーンに視線を移したその目は、
べとついた油膜の表面のように、嫌悪と憎悪の光を反射していた。
「……そうか、お前が例の人間か。魔女の皇のお気に入りの人間」
憎悪に低く掠れた声で呟いて、嘲るような笑みを口元に貼り付けた。
「上手く、媚を売ったわね」

「何・・・・・・ですって?」
「同胞を幾らで売った?まぁ、薄汚い人間らしいといえば・・・・・・」
その言い草が頭にきて、エレーンは思わず手が出た。
当たると思わなかった。
目の前の魔女も素手の人間に叩かれるとは思っていなかったのだろう。
まともに入っちゃった。
頬を張られた魔女がポカンとした顔で、尻もちを付いていた。
その目に、見る見るうちに怒りの炎が灯された。

魔女が立ち上がった。叫びと共に、轟っという唸りが生じた。
バスケットが切り裂かれ、料理がバラバラになって地面に飛び散った。
シェラティオスが素早く引き倒してなかったら、エレーンは死んでいただろう。
踏み出してくる翠の魔女。
エレーンを守るように、シェラティオスがその前に立ちはだかった。
「…・・・どけ、紛い物が」
「……どきません」
引き下がらないメイドに業を煮やしたのか、怒気も露にリンデワルトが
肩口につけていた小さな枝を手に取った。
枝は見る見るうちに成長し、
リンデワルトは、創り出した長く凶々しい茨の鞭をしならせて道を叩いた。
石畳が砕け散い、破片が飛び散った。凄まじい威力だ。
シェラティオスが、その優しげな容貌に、
今は冷たい敵意と緊張を漲らせて緑の魔女に相対している。
右手の爪が伸び、五本の蒼い刃となって光を反射した。

「やる気か?ならばいいだろう。模造品。一緒に殺してやろう。」
メイドたちが各々利き腕の爪を、蒼い刃のように伸ばして身構えた。
鋼鉄の刃のような切れ味を誇るそれも、しかし、明らかな戦士の魔女を相手にしては
明らかに分が悪かった。

剣があれば……
痛切にそう思いながら、エレーンは、帯剣していなかった事を後悔する。
まさかピクニックで危険に遭遇するとは、思っていなかったのだ。
剣さえあれば、幾ら目前の魔女が強力であっても、
せめてこの娘たちを逃がすくらいは出来ただろうに

「よしなさい、リンデワルト」
野性味を帯びた、ハスキーな声が轟いた。
「・・・サリアソリュート」
いつの間にいたのか、リンデワルトの後ろに一人の魔女が立っていた。
翠の魔女が、あからさまに緊張して向き直った。
野性的な美貌が印象的な、人と殆んど変わらない紅の服装の、
燃えるような赤毛の魔女だった。

「……サリアソリュート様」
エレーンをかばっていたメイド魔女たちが、ほっとした様子で息をついた。
どうやら、新手の赤毛魔女は、味方のようであった。

「……邪魔する気?」
「その娘は夜魔の姫の恩人、傷つければあんたの大好きな姫がご機嫌を損ねるわよ」
揶揄するような赤毛の魔女の言い草に
「……貴様、魔女の皇を弄るか?」
緑の魔女は、憎々しげに新手の魔女を睨みつけた。
平然とサリアソリュート。
「事実を言っただけよ」
泰然とした調子で、左手には抜き身の剣を抜いている。


応答しながら、サリアソリュートが握った剣に微かに力を入れたのが分かった。
同時に、全身に満遍なく力を行き渡らせているのが、エレーンの目には見て取れた。
強い、この魔女は相当に強い。
リンデワルトも弱くは無いだろうが、目の前の魔女と比べたら、分が悪いだろう。
翠の魔女にもそれが分かったのだろう。
「人間が・・・!!」
エレーンとサリュアソリュートを交互に睨みつけると、
本当に忌々しそうにそう吐き捨てて、さっと踵を返した。

魔女の形をした危機は、足早に立ち去っていった。
遠ざかっていく緑の影に、張り詰めていた緊張感が霧散していく

「気にしないことね」
剣を鞘に入れながら、赤毛魔女が首を振って苦笑した。
「あれは生まれながらの魔女だから、人や人の世界に属したものを嫌っているのよ。
いいえ、憎んでいるといってもいいかな。
特に、この戦争が始まってからは、姉妹を大勢なくしているから」

生まれながらの魔女という言葉に、エレーンは首を傾げた。
魔女の間でも、やはり名門などがあるのだろうか。
生まれながらというなら、リンデワルトは、相当に高貴な出身なのだろう。
「お礼を……言うべきだね」
エレーンは進み出ると、サリアソリュートに礼を述べる。
「…・・・私にも、分からないわ」
少しほろ苦い声で、サリアソリュートはそう返して告げた。
「この城に居る以上、今、リンデワルトに殺されていたほうが良かったと思う事になるかもしれない」
赤い魔女の声の響きには、冗談では済まされない何かが含まれていた。
エレーンはぞくっと身震いしたが、肩を竦めて不吉な緊張を振り払った。
「生きていれば、兎に角、何とかなるものよ」
「その意見には賛成。・・・私はサリアソリュート」
「エレーンよ。エレーン・ダイア」
サリアソリュートに、エレーンは、利き腕の右手を差し伸ばした。
「知っている。城中の魔女の間で、噂になっているから」
サリアソリュートが掌を握り返して、握手した。
「剣を使うのね。サリア」
エレーンの言葉に、魔女は辛そうな表情を浮かべた。
「名前は、略さないで欲しい、な。エレーン」
「あ、御免なさい。サリアソリュート」
当惑して、傍らの魔女のメイド長に視線を向けた。
もしかしたら魔女に対して名前を略すのは失礼な事に当たるのかもしれなかった。
しかし、シェラティオスは、シェラと呼び掛けることに
まるで気にした様子を見せないので、魔女も人それぞれなのかもしれない。


握りしめたエレーンの手を、サリアソリュートがしげしげと見つめた。
「貴女も、ね・・・・・・相当、剣を使うようね。エレーン」
やや推し量るように沈黙してから、
懐かしそうな表情になって赤毛の魔女は、不可解な言葉を呟いた。
「多分、前の私より上かな」

「とにかく、皆、無事でよかった」
そう云ってから、エレーンは地面に散らばった料理の残滓に視線を向けた。
激しい衝撃を受けた食べ物は、地面にバラバラに飛び散って
いずれも元食べ物と称したほうがいい無残な有様と化していた。
もはや、家畜の餌以外の用途は無さそうである。
エレーンは無念のうめき声を上げた。
実際には、エレーンは戦場で泥のついた凍りついたようなパンを
表面を削りつつ噛り付いたこともあったが、さすがに、この状況でそれをやって、
冷たい視線を浴びる気にはなれなかった。
「……料理は勿体無かったな。折角、シェラに作ってもらったのに。」
その呑気な言葉に、シェラティオスが微笑んだ。
「また作りますよ。エレーン」
「そうだね……」
「今は、全員無事だった事のほうが・・・・・・エレーン?!」
鮮やかな金髪が、急に視界から消え失せた。
地面にへたり込んだエレーンに、魔女メイドが慌てて駆け寄る。
頭を垂れていたエレーンが、情けない表情で魔女メイドを見上げ、掠れた声で呟いた。
「全員無事だと分かったら、急にお腹がすいて……」
「…………」

「リンデワルトなんかと揉めた後に、貴方たちだけで出歩きまわるのは危ないわね」
サリアソリュートが一同の顔を見回してから、少し思案した。
「大食堂に行こう。エレーン。貴方達も……」
「でも、あそこには色々な魔女が集まって……」
メイドの一人の不安げな言葉に、サリアソリュートが事も無げに安全を請け負った。
「大丈夫よ」


大食堂と、そこへ行く途中で出会った魔女達の態度は、おおよそ三つに大別できた。
エレーンを見て、あからさまな敵意を表す魔女と、第二の無関心に距離をとる者。
そして、哀れみか、さもなくば好意を含んだ視線を送ってくる者たち。
しかし憎々しげな表情をして睨んでくる者も、側にいる赤髪の魔女を見ると、
何をしてくることもなく視線を逸らすか、立ち去るのだった。
どうやら、サリアソリュートは結構な大物らしい。
そして、エレーンに若干、好意的な第三の魔女達は、
総じて、赤毛の魔女に対しても親しげな態度を示していた。

どうやら魔女の間にも、派閥間の争いがあるようであった。
それも、かなり深刻な緊張を孕んだ対立が。
エレーンのその疑問を、赤毛の魔女は苦笑いして肯定した。
魔女たちも、内実は他の種族とそれほど変わらないらしい。



食堂で談話した後、一同と別れて、エレーンが部屋に戻る。
と、そこには、扉の前の廊下で黄金の瞳をした少女がぽつねんと佇んでいた。
気まずい沈黙が二人の間に、下りた。
エレーンが口を開いた。
「……しばらく来ませんでしたね」
「怒っているかと……思った」
「いえ、謝るのは私のほうです」
「怒ってない?」
窺うように、下から顔を覗き上げてくる。
「怒ってます……でも、嫌ってはいません」
ほっとしたように、少女が安堵の吐息を吐いた。
「入りませんか?お茶菓子を貰ったんですよ」
エレーンの言葉に、少女は顔を輝かすと肯いて部屋に入った。


【5章 03】

金髪と赤毛の女剣士はよく気があい、二人は、日をおかずして急速に親しくなっていた。
「姫様が懐いているわね……」
「可愛いわ……あの子」
赤毛の魔女は、エレーンの言葉に、視線で穴が開くのではないかと思うくらい、
まじまじと顔を凝視した。
信じられない物を見たかのように、魔女は顔を引きつらせていたかと思うと、
首を振って小さく何事か呟いている。
「なによ?失礼な……」
一般人が猛獣使いを見るような視線を、サリアソリュートは金髪の女剣士に向けた。
「別に……可愛いですか……なるほど。」


城内にある大図書館には、疎らな人影があった。利用者は結構いるらしい。
見上げると首が痛くなる高さの本棚が立ち並んでおり、
無数の本と階段と積み上げられた巻物で埋め尽くされている。
まさに圧巻の風情を漂わせていた。
「崩れてきたら人死にが出そうね」
エレーンの半ば冗談じみた感想に、赤毛の魔女が肯いた。
床の一角を示す。
其処には、黒い血痕が、拭き取った今もべったりと貼りついていた。
「地震の時には、図書室から非難した方がいいわ」
エレーンは、肯いた。多少、顔が蒼ざめていたかもしれない。
棚と棚の間を歩きながら、最新刊の漫画を見つける。
一体、誰が仕入れてきているのだろうか?
「……本好きは喜びそうね」
「うん、図書館に住み着いたような魔女たちがいてね」
金髪の女剣士が何も知らないと思って、サリアソリュートが適当な法螺を吹いた。
「一度、図書館に入ると、数ヶ月から数年は出てこないで本ばかり見て過ごすんですって。
中には、一世紀以上図書館で過ごしている魔女が居て、
時折、姿が確認されるんで、生存していることは知っているんだけど……」
幾ら何でも、そんな話を信じるほど馬鹿ではない。
「あ、その目は信じていないな」

城内の案内図を前にして、
サリアソリュートが魔女の城の主なエリアと設備の配置を説明してくれた。
厨房、空中庭園、主要な回廊、食堂、図書館、美術館、牢獄、宝物庫、武器庫、食料庫
金髪の女剣士の生きているうちに、王国が魔女の都へ攻め上れるかどうかは分からなかったが、それでも、いつか役に立つ事があるかもしれないと、
彼女は、一々主要施設の位置を記憶に刻み込んでいった。
「あんまり私に色々と教えると、まずくない?」
それでも、人がいいのでつい赤毛の魔女に注意を喚起してしまう。
「一応、わたしも王国の兵士なのよ。これでも…?」
「冥骸城に攻め込んでくる?……カシナートが?森の防衛網を突き破って?」
赤毛の魔女は、エレーンの言葉を鼻で笑うと断定した。
「ありえないわ」
エレーンも王国兵の端くれである。些かむっとして、赤毛の魔女に言い返した。
「……余り、人間を侮らない方がいいわよ」
「人間のことはよく知っているよ」
サリアソリュートは、諦めにも似た奇妙なため息を吐いた。
「一度、大昔に、何某か云うル・マリスの将軍相手に失陥した事があるけど、
その時の帝國軍は、百七十個軍団の正規兵を動員したらしいわ」
「百七十……」
「それ以来、この城は竜族に対しても、ティターンとかヨーツン族といった
上位巨人族に対しても難攻不落よ。
往時より魔女の数は減ったけども、それを補って余りある魔術の罠が、
付近一帯に張り巡らされているし、回廊は、数百から闇の森の精鋭が守っているわ。
例え、万の軍勢であっても、正攻法ではとてもこの城にも辿り着けない」
「…………」
「カシナートが幾ら頑張っても、外縁の防御さえ突破できないでしょうね」


「この最上層と、中腹の何階かは姫さまのものだけど、
違うエリアは、他の有力な魔女が所持しているわ」
「人間に好意的なものもいるけど、嫌っている者も多い。
彼女たちの領域には、立ち入らないようにしたほうが無難でしょうね」
サリアソリュートの説明は、竹を割ったように単純で分かりやすい物である。
あえて、そうしているのかも知れない。
「見分けは?」
エレーンの質問に、赤毛の魔女は、形の顎に指を掛けて少し思案してから
「お金が好きな魔女は、大抵、人間も好きよ。姫様なんか、その典型ね」
「ちょっと難しいな。まさかお金好きですかって聞く訳にも行かないだろうし」
図書館の瑠璃の窓から遠くに窺える、ぶち抜きの宝物庫の
比喩ではなく山のように積まれた金銀財宝を目にして、
「あれだけの財宝、魔竜ザイツェンや、パルティアの王の王だって及ばないでしょうね」
「あの金貨の一掴みでもあったら、大抵の悩みは解決するんだけどな」
「ほんと同感」
しかし、財宝の周囲は、数多くの異形の怪物が涎を垂れ流して彷徨っている。
二人はほぼ同時に、大きな大きなため息をついた。


【5章 04】
部屋の扉が勢いよく開くと、少女が飛び込んできた。
「エレーン!!」
お目当ての女性の名を叫ぶと、子犬が懐いている飼い主の元へと駆けてくるように、
勢いよく長身の剣士の胸元に飛び込んでくる。
女性にしては長身で、比較的体格の良いエレーンが、少女を胸元で受け止めると、
その短い金髪が風に吹かれたように揺れた。
少女は、エレーンにしがみつくと、心底、嬉しそうに屈託なく笑い転げる。
これが、本当に魔女の皇なのだろうか、とエレーンは疑問に思う。
何度聞かされても、実感の出ない話である。

少女は、三日に一回はエレーンの部屋を訪れてきた。
囚われのエレーンを訪ねてくるのは、
少女の他には、シェラティオスとサリアソリュート位である。
魔女メイドは基本的に仕事が忙しく、サリアソリュートもこれほど頻繁には来ず、
長くは滞在しない。
対して、少女はエレーンと一緒にいるだけで、嬉しくてたまらない様子で、
時間が許せば半日でも、エレーンに話しかけ、また話を聞いている。
はしゃぐ少女の様子を見ていると、生来、性格に甘い成分が多く含まれているエレーンは、
あまり無碍にも出来ず、付き合ってしまう。

おかげで他の有力な魔女の性格……
『紅蓮の翼』がいかに頑固で自分勝手か、『灰骸の公』がいかに生意気で自分勝手か。
『夢幻の君』がいかに怠惰で自分勝手か、『真紅の姫』がいかに我儘で自分勝手か。
……などや、魔女たちの内情に関して、詳細を極めるようになった。
「今日は、誰が、どう自分勝手なんですか?」
そういなすと、魔女は、傷ついた子供の表情を見せるが、
迫真の演技であっても、明らかに擬態である。幾らエレーンでも、騙されない。
すると、「エレーンは、もう、あたしを嫌いになったのね」そう云って魔皇は嘆くのだ。

聞いた話の中には、魔女軍の動静や動員状況についても、愚痴の形ではあったが、
存在していた。
それらの情報を、味方に知らせる事が出来れば大いに戦で役に立つであろう事は
間違いなかったが、いかんせん、それもエレーンの帰還が叶えばの話であった。


少女と共有する時間は、エレーンにとっても確かに楽しいものではあった。
本当に懐かれてるな。そう思う。
魔女の皇という立場は、ひどく孤独なのだろう。
愛情に、というより、人との触れ合いに餓えているようであった。
勿論、見た目どおりの年齢ではないのだろうが、
時折、子供だけが持ちうるような真摯な想いをぶつけてきたりもする。
一度、エレーンが自分を帰してくれるように頼み込んだ時には、
困ったように言葉を濁した。
それ以来、また再び頼むのも、気まずくなるようで気が引けた。
なんといっても、相手はエレーンの生殺与奪の権を握っているのだ。

「エレーン…んっ……」
少女が、エレーンの顔に手を掛けて、接吻を求める。
初日以来、出会うたびに少女はエレーンに口付けを求めていた。
当初は、唇を奪われるのを警戒したが、魔女の少女は、前もってこちらの動きを読む事が出来るかのようで、まるで魔法のように唇を奪われてしまう。
それで最近は、エレーンも半ば諦めて少女の好きに、身を任せていた。
「ん……ちゅ……うぅん…ちゅっちゅう……ぷはぁつ」
少女は調子に乗って、接吻も段々と長く、過激なものとなってきている。
一ヶ月、いや、本当は二ヶ月か。
もうすっかり馴れてしまっていた。
「あ……はぁ」
快楽と緊張に、金髪の剣士の頬は紅潮していった。
長い接吻に、秘所が濡れていた。
最近は、連日のように夜寝る前に指で慰めている。
私って、こんなに感じやすかったかな。
最近、特にここ数日は、少女の姿を見るだけで胸は高鳴り、
親愛と欲情を覚えるようになっていた。
まるで、初恋をしている少女のように胸がうずく。
少女との口づけの度に、少女に対する敵愾心や、嫌悪感、警戒心が
心の中から、薄くなっていくような気がした。
まるで口づけを介して、少女に、負の感情を食らわれているかのように。

頭のどこかで、このまま流されてはまずいという警告が鳴り響いているものの、
その声は遠く遠く、今のエレーンには届かなかった。
まさかな……
心に生じた僅かな疑念を、エレーンは頭を振って払った。
魔女とて、其処までの怪物では在るまい。

「ね、まだ仲間になってくれる気はなぁい?」
寝転がってエレーンを見上げた少女が、甘え声を出した。
その甘い囁き声に、うなじの産毛がぞくぞくと総毛立つ感覚をエレーンは覚えていた。
「……ないですよ」
云いながら、心臓がトクトクと早鐘のように脈打っている。

そういって応えると、いつも残念そうに笑う魔女の皇の様子が、今日はやや違った。
エレーンの膝に縋りつくと、苦悶の呻きを漏らした。
ただただ苦しげに呻き続けている彼女の様子は、
ただならぬ様子で、何があったかも聞くことは出来なかった。


この時の魔女は、途方もない歳月の重みと背負っている地位に
今にも押しつぶされそうになっている、泣き出しそうな頼りない子供の様に見えた。
それは、どれほどの孤独なのであろうか。
親愛と同情を、躰の芯で先日からとろとろと燃えている肉欲の炎が後押しして、
「……いいですよ」
「え…」
「しても……いいです」
多少でも慰める事が出来るのなら、一夜の支えになろう。
金髪の剣士は、そう決意して、魔女へと手を伸ばした。
「エレーン……」
苦しげに呻いていた黄金の瞳の少女が目を瞑ると、
エレーンは、初めて自分のほうから魔女と口づけを交わした。
長く口づけを交わし、互いの躰を愛しげに抱き寄せた。

「エレーン……エレーン」
エレーンの、その名を耳元で囁くように呼びながら、
少女は再び、接吻してきた。
エレーンも舌を返して、少女の口腔内を弄っていく。
もはや、この事態を異常だとも、危険だとも思っていない。
快楽と、それ以上のどうしようもない少女への愛しさに、
エレーンはただ機械的に舌を動かし、互いの体液を混じえて飲み込んでいく。
「ん……ふぅっ。…つは……ああ…ふう」

互いに互いの手を握りあって、二人同時に、やわらかな白い寝台の上に倒れこんだ。
躰を絡ませ、太股と足を絡ませあい、上半身をくねらせて、互いの体に押し付けあう。
「ああ・・・・・・はぁぁ」
「エレーン……エレーン、好きよ」
少女がするりと、自分の着物を脱ぎ捨てた。
「貴女も、脱いで。エレーン」
腰砕けになったエレーンは、寝台で横になったまま、美しい裸身の少女を見上げた。
「そういえば名前を…知らない」
「ヤーマ……そう呼んで」
北方の伝承で、世界の最後の戦に常闇の国から夜の軍勢を率いて進軍してくると云われている女神の名前を、エレーンは知らなかった。
語感が、なんとなくこの少女に似つかわしいと思いながら
「……ヤーマ」
その名を囁いて、エレーンは、自分の衣服を肩口から紐解いていった。
染み一つ無い、綺麗に透き通った肌を目にして、少女はごくりと喉を鳴らすと、
想い人に覆いかぶさっていった。





どれほどの時が過ぎただろうか。
小麦色と蒼色、白い寝台の上で、絡み合った二つの裸体が折り重なって倒れている。
しっとりと汗ばんだ二人の肌が、先ほどまで性交の狂熱を醒ますかのように、
微かに上下しながら、室内の冷えた空気に、ゆっくりと熱を放出していた。

「ねえ、エレーン」
「……はい、ヤーマ」
愛を交えた少女の名を、エレーンは愛しげに呼んだ。
少女が、口付けを求めてきた。
長い舌が踊る。それに舌を絡ませて、貪欲に快楽を貪りあった。
「エレーン、ねぇ、エレーン……ずっと側にいて欲しい」
少女は、エレーンの臀部と腰に手を伸ばして、抱き寄せ巧みに愛撫した。
一度退いた熱が、再び躰の奥底からぶり返してきて、エレーンは快楽に呻きをあげた。
少女との性交は、確かに信じられないほど気持ちよかった。
今まで、自分の躰からこれほどの快楽が引き出されることがあるなどとは、
想像した事もなかった。
それでも王国を裏切るつもりなど、まるでない。
故郷であり、親戚縁者がいて、知己がいて、生まれ育った家がある。
其処にはエレーンの全てがあって、何より大切な親友がいるのだ。
魔女の軍勢なんかに雇われたら、彼女と敵になってしまう。
ミュラ……さぞ、心配しているだろうな。
頭の中でそんな事を考えながら、
「御免なさい。それは出来ません」
口先で誤魔化せず、そんな風に謝ってしまう。
「ふふ」
分かっているのかいないのか、少女が笑った。
嬉しそうでもなく、哀しげでもなく、ただ笑う為の純粋な微笑み。
その少女の頬に手を指し伸ばして、微笑み掛けたエレーンの顔にふっと蔭が差した。
「……どうしたの?」
「ふと、友達の事を思い出しました。さぞ、わたしを心配しているだろうなと……」
「そっか…・・・」
少女が、エレーンの胸元に倒れこんで、双丘の麓の柔肉に指を這わせながら
小さく独り言のように呟いた。
「……分かった」
「……え?」
響いてきた哀しげな声に、エレーンは驚いたように傍らの少女を見つめた。
窓から、蒼の月の光が差し込んでくる。
黄金の瞳を微かに揺らして、魔女の皇は、人間の想い人に寂しげな声で、
それでも確かに誓約をした。
「次の満月の夜。明後日だけど、……過ぎてもあなたの気が変わらないようだったら、
人の世界に帰すよ」