3章 箱庭

[3章 01]
差し込んでくる光に目を刺激されて、エレーンは目を薄く見開いてみる。
窓の外に広がる光景は、昨日と変らず人にはなじみの薄い、まるで魔界のような世界。
相変わらず、灰色と暗灰色の入り混じった分厚い雲が、とぐろを巻いて太陽の光と姿を遮っており、
地表の森林でも、時折、脈動するかのように、謎の発光体が雷光に似た光を放っている。
窓から窺えるのは恐ろしげな景色ばかりで、
否応無く、自分は囚われの異邦人である事を再確認させられる。
それでも、必要以上に気に病んでも仕方ないと、エレーンは元気よく身を起こした。
陽光の届きにくいこの地では、正確な時刻の見当はつきそうに無かったが、
それでも早朝であろうと凡その当たりをつけ、体を解きほぐすように伸びをする。

いつ用意されているのだろうか。
卓の上には昨日と同様に、やはり湯気を立てた食事が用意されていた。
見た目はやはりあれだが、今度はそれほどの拒否感もなく口に運ぶ。
やはり、美味い。
「お酒欲しいな」
捕虜の身にしては贅沢な事を口にしながら、食事を大方平らげると、
満腹したエレーンは、扉に視線を向けてみた。

外へ出てみようか。ふとそんな事を思う。
試してみる価値はあるかもしれない。
あの少女は、危害は喰わないと云っていた。その言葉は信じていいような気がする。
だが、他の魔女はどうだろうか?
魔女と出くわして、彼女たちに侵入者と間違えられたら
エレーンは八つ裂きにされてしまうかもしれない。
金髪の女剣士は、自分の服装を見下ろした。

比較的、彩色と面積がおとなしめの服を選んだが、
どの服にも肩口の目立った所に、鮮やかな紋様が刻まれていた。
反転し、∞の形になって自らの尾を銜えている白い蛇の意匠である。
多分、これが誰かの客人、あるいは部下だという証になるんだろうな。

考察し、しばし思案してから、エレーンは扉の前に立った。
城内を熟知しておけば、何処で逃げ出す機会を掴めないとも限らない。
「動かないと、太っちゃうしね」
意を決して、エレーンは扉を潜った。



城内の巨大な渡り廊下は、山岳の岩を刳り抜いて造ったものであろうか。
灰色の回廊には、巨大な柱と、人の背丈の数倍もの大きさの異形の彫刻群が
立ち並んでいた。
鎌を持った死神、竜の角と翼を備えた女の像。蛇の尻尾を持った戦士像。
漆黒の翼を持った戦乙女。
壁際に延々と続くこれらの彫像は、遠い時代の忘れ去られた神々なのだろうか。
それとも、魔女たちの守護神だろうか。
時折、明り取りの窓から差し込む不規則な雷光が、廊下に揺らめく蒼い炎の松明と
併さって淡い光を投げかけ、神々が微妙に身動きしているかのような陰影を与える。
不気味な姿を取りながら、同時に奇怪な美しさをも兼ね備えた異形の神像群は、
歳月を閲してきた物だけが醸し出す古き時の威厳を静かに放ちながら、
灰色の回廊に佇み続けていた。

立ち並んだ神像群に、興味深げな視線を向けながら、エレーンは廊下を進んでいく。
「ふぅっ……」
感嘆の吐息か、緊張を解く溜息か、小さく息を吐いて立ち止まると、
そろそろ戻ろうかと案じて、踵を返し廊下を見渡した。
灰色の回廊には、似たような通路と扉がどこまでも続いていた。
広大な割に、この城の住人が少ないのかも知れぬ。
かなりの距離を歩いたにも拘らず、人一人にも会わず、
それどころか物音一つ響いてこなかった。
まだ辛うじて元の部屋に戻れるだろうが、これ以上進んだら冗談抜きに迷いかねない。


これほどの規模の像と廊下なのに、殆んど塵も落ちていなかった。
誰か掃除を担当している人間でもいるのだろうか。
そんな好奇心を抱いた矢先、渡り廊下の一つから出てきた一団と遭遇した。
掃除道具を手にしたメイドさんの集団。魔女である。魔女メイド。
手に手にバケツや雑巾、薬液や箒を持ち、神像を磨き上げていた。
「……あっ」
「あら?」
メイドたちは、不意の闖入者に一瞬驚いた様子であったが、
表情には出さなかったが、エレーンは心底驚いていた。
他の魔女に出くわすかもしれないとは予期していたが、集団である。
思わず後退った。幾らかは、顔も引きつっていたかもしれない。
メイドさんたちはエレーンの服装に意匠されている白蛇の紋章を見て、
朗らかに一礼してきた。
穏やかな態度に安堵の吐息を漏らし、金髪の剣士も挨拶を返した。
「はじめまして……おはよう」
よく見ると、メイドの中には人やエルフの娘達も混ざっていた。
皆、軽めの武装をつけている。武装メイドだ。
城の中で武装する必要があるとも思えなかったが、主の趣味なのだろうか?
あるいは、自分のような囚人の脱走に備えているのかもしれない。

メイドの一人が作業の手を休めて、エレーンに歩み寄ってきた。
黒主体の揃いの衣装を着たメイドたちと異なり、一人だけ色違いの藍色を纏った
一番風格のある魔女メイドだった。
彼女は、艶やかな微笑みをエレーンに向けた。
その瞳は、透き通るようなライトブルーで、
全てを見透かすような透明な光を静かに宿していた。
「外からいらした方ですね。姫様が招待なさった」
目前の魔女が紅色の瞳をしてないことに、やや戸惑いを覚えながら、
エレーンは短い金髪を肯かせた。
「招待というか、浚われたというか。……姫…あの黄金の目をした?」
「はい。夜魔の姫、この階層の主でもあります」
夜魔の姫、この戦を始めたといわれる大物の魔女である。
少女の正体を耳にしても、長身の剣士は、それほど驚きはしなかった。
むしろ泰然とした様子で、辛そうに小さなため息を一つ吐いただけである。
「そうか……あの子がそうなんだ」
相当な大物だろうとは思っていたが、流石に魔女側の最高幹部とは予想していたなった。
いや、薄々は気づいていたのかもしれない。
あの、少女の姿をした黄金の瞳の魔女には、
明らかに他の魔女たちとは違う何かがあったから。

あの子を倒せば、この戦いは終わりを告げるのだろうか。
そして、あたしにそれが出来るだろうか。
漠然と、脳裏にそんな事を思い浮かべながら、エレーンは自問自答をしてみる。
難しそうだ。戦闘力もさることながら、子供の姿に切りかかるのはどうにも抵抗がある。
多少馴れ合っただけで戦えなくなるとは、甘いな。
思わず、自嘲の笑いが浮かんだ。
目前のメイドが、不思議そうに、そんなエレーンを見つめた。
戦争がカシナートの勝利に終われば、必然的にあの子は死という結末を迎えるのだ。
勿論、その逆もある。
魔女達が勝てば、カシナートの王族も恐らく処刑されるだろう。
其処から先は、虜囚の身では考えても仕方ない事だと、金髪の剣士は思考を止めた。

「退屈ではありませんか?」
目の前のメイドは、上目遣いに長身の女剣士に微笑みかけた。
「よろしければ、中庭を御案内しますが?」
「中庭……ですか?」
「はい、大地を歩きたいのではと思ったのですが」
「あ……是非、頼めますか」
「はい」
ほっとして頼むと、メイドが嬉しそうに肯いた。
地面に触れることが出来るのは、正直、有難かった。
エレーンは、手を伸ばした。
魔女は、差し伸ばされた手を見て驚いたように目を見開き、それから柔らかに微笑むと、優しく握り返してきた。
魔女の掌は柔らかく暖かで、それでも、強靭な筋力がある事を、
エレーンは皮膚から感じ取った。
やはり、このメイドたちは、牢獄の番人を兼ねているのかもしれない。
エレーンが逃げだそうとすれば、メイドたちは当然、阻止しようと試みるだろう。
今は、気にしないことにして、自己紹介した。
「よろしく。エレーンです。エレーン・ダイア」
「わたしは、シェラティオスです。エレーン様」
「様はつけなくていいよ。というか、つけないでくれたほうが嬉しいです。シェーラ。」
「分かりました。エレーン」
魔女メイドは、あっさりとエレーンの言葉を受け入れた。
箒とバケツをその場に置き去りにすると、
エレーンの先に立ち、軽い足取りで廊下を歩き始めた。

「来たばかりでは、城内に不慣れでしょう」
まるで、エレーンが、住人の一人になったかのような物言いであった。
「道には、迷いませんでしたか?エレーン」
「大丈夫。だけど、これだけ広いと、迷子になる人もいそうだね。」
「ええ。特に、下の階層はここよりずっと広いですから」
一端言葉を切って、魔女メイドは少し脅かすように
「中には、三ヶ月も迷子になった方もおられるとか」
「三ヶ月……その間、ずっと廊下を彷徨っていたの?」
どうでもいい事を話しながら、二人は廊下を進んでいく。


「3章 02」
闇の森への襲撃。
失敗した時の代償は死であろう。
そう覚悟してはずだが、いつまで経っても処刑されなかった。
敗走中に魔女たちに捕らえられ、
当初は、魔女軍前線の砦にある、地面が剥き出しの牢獄に繋がれていた。
鼠や蟲が徘徊する、光も刺さない薄暗い地下牢だった。
生塵や糞尿は垂れ流しにされ、酷い悪臭の上に空気の淀んだ場所で、
長く幽閉されていたら、彼でも健康を損ねていただろう。
事実、抑留されている間に、弱った捕虜たちがばたばたと死んでいった。
其処から移送され、今は森の奥深く、この城にある収容所のような建物で監禁されていた。

「生きているか?」
石壁に隔てられた隣の部屋へ、どすの効いた声を掛けてみる。
「おう」
見えない位置から、同じような野太い男の声が返ってきた。
捕まった最初の頃は、牢獄で呼び掛けあって、互いが無事である事を確認し会っていた。
この木造の建物に移ってからも、最近の日課になっている。
「女たちは無事かな?」
「分からん」
選抜隊の随員は、いずれも練達の術者や戦士たちである。
か弱い、というような女達ではないが、それでもやはり気にかかった。


闇の森での凄まじい戦いから、一月ほど経過していた。
確かに、予想された場所に敵の首脳陣らしき者たちがいた。
成功すれば、魔女軍の指揮系統に、壊滅的な打撃を与えられたはずであった。
強襲部隊は五百人からの精兵を集め、勇士を募って編制された掛け値なしの精鋭であった。
それが、冗談のように蹴散らされた。
魔女と邂逅して最初の数分で、半数が死んだだろう。
生き延びたのは、よくてその三分の一。百五、六十人ほどか。
捕虜とならず逃げ延びる事が出来たのは、さらにその半分ほどであろうか。
虜囚たちは武装解除された上に、男女別々に収容され、
この宿舎には現在、男性の捕虜四十人ほどが収容されていた。
収容されてから気づいた事だが、ここに幽閉されているのは、
以前からの捕虜を含めて、名の知られた戦士が多かった。
魔女たちの説明によると、身代金を期待できる捕虜は待遇を変えているそうだ。
他にも、時々、魔女たちの『遊び』の道具にされるらしい。

廊下から、足音が聞こえてきた。
ここの石畳の廊下には、足音がよく響いて、誰かが近づいてくるとすぐ分かる。
足音が立ち止まった。見上げると、紅装束の赤毛の魔女が牢の前に立っていた。
遠慮の無い視線で、値踏みするように囚人をじろじろと観察する。
「髭の生えた禿頭の大男……身長65メルテ…」
「何のようだ?」
自分の特徴を目の前で諳んじられて、流石に気分を悪くして応えた。
「神官戦士のアンガーだな。マーサ神殿の戦士頭。間違いないか?」
「そうだ。おれの身代金でも届いたか?」
目の前の、やや大柄な魔女は、アンガーの問い掛けを無視して逆に質問してきた。
「お前、解放されたくないか?」
赤毛の魔女の問い掛けは意外なもので、アンガーは猜疑に満ちた視線を魔女に返した。
「我が方の戦士と戦って勝てたら、自由を与えよう」
「馬鹿馬鹿しい」
断ろうとして、
「受けるな、アンガー。勝てたものは殆んど居ないぞ。」
他の牢から呼び掛けられる声に、アンガーは不敵な笑みを口元に浮かべた。
これが下っ端の魔女や牢番たちが匂わしていた、恒例の『遊び』というわけか。
勝った者は殆んど居ない。『殆んど』といった。
つまり、自由を勝ち取った者も中にはいる訳だ。
「その者は、つい先日、とある高貴な方の戦士の列に加わったばかりの新参でな」
魔女は、アンガーの体つきと、彼の顔に刻まれた不敵でふてぶてしい表情を窺った。
「これはその者の採用試験という訳だ。お前にも充分に勝ち目があるだろう」
「幾つか訊ねていいかい?魔女のお姉ちゃん」
ごつい中年の呼び掛けに、赤毛の魔女は傷ついたような表情を浮かべた。
「私は、お前より年下だ。だが、いいだろう。何だ?」
「そういった遊びで、勝ち残った奴は何人くらいいるんだい?」
「分の悪い賭けだ。私の記憶だと33人中、勝ったのが一人。相打ちが三人。
健闘を認められて解放されたのは五人に過ぎない。後は、不具になるか、死んでいる」
「なるほど……あともう一つ、御褒美の話だが……」
「自由の身だけでは不服か?」
赤毛の魔女が鋭い眼差しをアンガーに向けた。
「いんや。自分の代わりに、別の誰かを解放してやることは出来るかね?」
魔女が目を丸くする。少し考えて。
「そうだな。その者がよほどの重要人物でなければ、構わないだろう」
神殿の戦士頭は、自分の掌に巨大な拳を打ちつけた。パァンと派手な音が鳴る。
「よし、決まりだ。その話、乗ったぜ。姉ちゃん」
アンガーは、にやりと笑った。




『ここが『中庭』です」
「……大きいね」
カシナートに存在するであろう、いかな城砦の城壁よりも高く、分厚い
石造りの壁の内部には、広大な空間が存在していた。
内部には柵や、塀らしき物は見当たらず、古代帝国のそれに似た白亜の石造建物が
広がっており、人影は少ないながらも、魔女たちが絶えず行き来して、
さながら城下町のごとき様相を見せていた。
魔女たちの都の街路におずおずと足を踏み出した。
「町を……散策していいかな」
「どうぞお好きに。エレーン。貴方は囚人ではなく、客人ですから。」

『中庭』の建物は、計画的に建設されたと一目で分かる綺麗な町並みを誇っていた。
高所の尖塔から一望すると、ため息が出るほどに美しい白亜の景観が広がっている。
絶えず人が行き交う大通りは、カシナート王都の其れさえ比較に成らないほどに幅広く、
また、地に敷き詰められた白い石畳は、規格化された工業製品の美しさを誇っていた。
通りに面した建物には、衣服や宝飾品を始め、飯屋、薬、玩具、本屋、酒場、
賭博、風呂屋、娼館など種々の店舗や遊興施設が立ち並んでおり、
また広場や辻辻には、行商人が屋台や露店を出して商売に精を出していた。
「人が多いけれど、今日は祭日?市でも立っているの?」
「いつも、こんなものですよ」
人口は少ないようだが、魔女たちが、同時代のいかな人族の城市よりも
発達した都市を造り上げ、文化的な生活を謳歌している事に疑いの余地は無かった。
オークのように無秩序に立ち並んだ泥の小屋を都と称して、
住んでいるとは思わなかったが、これは予想以上の国力だった。
ただの妖魔とはまるで違うと、ほのかにエレーンは戦慄した。

街路にすれ違う人影や物売りには、魔女以外にも、人間やエルフ、ドワーフ、
沼ゴブリン、トカゲ人といった様々な人種や民族、種族の姿があった。
傭兵や商人、下層民、あるいは魔女の召使らしい姿の者達が大半であったが、
中には一目で他所から来たと分かる従者を連れた豪族や貴族らしき姿も見かけられた。
そして汗と垢でボロボロの姿になりながら、馬車馬のように酷使されている奴隷達も。
彼らは一様にどこか脅えたような、さもなくば何かを諦めたかのような暗い表情で、
道を歩いている。
魔女メイドのシェラティオスに付き添われて、
城砦の中庭を散策している金髪の女剣士とすれ違うと、
彼らは一様に、驚きの籠った視線の後に、脅えたような表情を浮かべた。
何故、わたしを睨む?他にも、普通に町を歩いている人間は幾らでもいるのに。
エレーンは自分の着ている服装を見た。
漆黒の金属に、皮革と絹で造られた、銀と黒と赤の併さったきわどい装束。
だが、肩には白い蛇の紋様が刻まれ、使用されている金属や服地も
それ自体は高価な品である。
外見、普通の人間の娘が着ていれば、それはいやでも目立つであろう。
見た者が、高位魔女が人に擬態していると勘違いしても、無理はないかもしれない。
「ねぇ」
「はい?」
「この服だけど……もっと大人しいのない?」
「いやですか?」
「うん、いやです……ちょっとエッチすぎる。」
「スタイルもいいし、凄くお似合いですよ」
羨ましいくらい、と言い添え、
シェラティオスは、どこかうっとりとした表情を浮かべて
長身で均整が整っているエレーンの姿態に、熱い視線を注いだ。
「わたし、エッチっぽいの苦手です」
エレーンの弱々しい抗議に、魔女メイドは心底、残念そうにため息をついた。
「分かりました。それでは、帰りにエレーンの趣味にあった衣服を見繕いましょう」
「ありがとう」


メイドと連れ立ったエレーンは、そのまま城門の近くまでぶらぶらと歩いてきた。
精一杯、何気なくを装っていたが、その実、脱走の為の下見という下心もある。
城門は、恐竜でもらくらくと通れそうな、途轍もなく広くて高い、
常識外れの大きさをした代物であった。
どのような工法なら建設出来るのか。
何故、これほど巨大な門が必要だったのかと、
感銘を受けるより、些か呆れた気持ちで見上げたエレーンと連れの横を、
まばらな人影が行き来していく。


通りからの観察では、城門の衛視は二、三人しかいないように見えた。
勿論、詰め所にはもっと大勢の魔女たちが控えているのであろうが、
様々な色彩と紋様を制服の肩口に縫い付けた門番たちからは、
さほど手強そうな印象は受けなかった。
それどころか、明らかに弛緩した空気の中、見るからに下っ端という衛視の中には、
大あくびをしている魔女までいる。
ここから、外に抜けて…
黒い巨大な城門を見上げながら、エレーンは思案する。
闇の森の外縁部にたどり着けるかどうかが、問題だ。
闇の森は広大那辺である。
正確な領域は知られていないが、最低でも一大国の領土ほどもあるであろう。
魔女だけでなく、魔獣や亜人種、竜などの怪物などが群をなして生活し、
深奥部には、魔女の集団といえども迂闊に立ち入れぬ領域も存在するという。
せめてこの城から、カシナート国境までの正確な距離と位置さえ分かれば……
この城を訪れている人間達は、どうやってここまで来たのだろうか。
彼らから、聞き出す事はできないだろうか。



果樹園の柵の中で作業をしていた人間の女性が、城門前に佇みながら、
なにやら難しげな顔で思案している黒衣の女の姿を見とめ、手を休めた。
「あれは……」
柵際まで駆け寄ってきて、黒衣の金髪女性に呼び掛けてる。
「エレーン、エレーン・ダイアよね。貴女生きていたの?!」

突然の呼び掛けに驚いて、エレーンは声のする方向に顔を向けた。
右手の、石垣と柵に囲まれた果樹園に視線を転じると、
そこには柵に手を掛けて、エレーンに真剣な眼差しを向けている一人の女。
女の青み掛かった黒髪と細く尖った顎には、見覚えがあった。
シェラティオスをその場所に置き去りにして、エレーンは柵に駆け寄った。
「えっと、確か傭兵の……」
すらりとした躰に質素な麻服を纏ったその女性は、
周囲にスレンダーな印象を放っている。
「リーンよ、リーン・ジニア」
やや年齢が近いこともあり、前線の砦で幾度か会話したことのある友軍の女兵士であった。
「無事だったのね。どうしてここに?」
「闇の森の戦で敗れて、それからは捕虜よ。それより……」
「メルカー殿は?」
指揮官の安否をエレーンが尋ねると、リーンの顔に苦々しいものが浮かんだ。
「さぁ、分からないわ。多分、無事じゃないかな。
旗色が悪くなったら、騎士殿真っ先に逃げ出したみたいだったから」
言葉を切ると、リーンはエレーンの服に遠慮のない視線を注いだ。
「それより、その服装……趣味が変わったの?」
「他に着るものが無いのよ」
胸の谷間を強調する部分を手で隠しながら、エレーンは頬を紅潮させた。
「私も、形は違っても虜囚のようなものね。何か、味方になれって口説かれてる」
どこか伝法な所がある相棒と違って、初心な娘さんだなぁと、リーンは思いながら。
「……はぁん」
「いや、勿論断ったよ。そしたら、気が変わるのを待つって」
「流石に名のある剣士様は、魔女も扱いも違うわねー」
「止めてー」
エレーンを苛めるのを止めて、リーンが少し難しい顔になった。
「もう二、三日早く会えればね。グラムも居たのだけど」
「グラムが?」
「そう。アイツ、身代金届いてさっさと解放されたわ。
だから、会っていれば、ミュラに貴方の無事も知らせることが……」
その言葉を遮って、エレーンは慌てて訊ねた。
「ちょっと待って、身代金が届いたって……今日は何日?
この間の戦闘から、どれだけ経っているの?」
「え…と、一ヶ月半くらいだと思うけど?」
愕然とした様子で、エレーンはポツリと呟いた。
「……そう」
「メルカー殿も、逃げ延びていたら、せめて私たちの身代金くらい払ってくれればいいのに」
リーンが口にした愚痴に似た文句にも、エレーンはほとんど反応を帰さない。
彼女は、捕まってまだ三日だと思っていたのだ。それが一ヵ月半。
魔女に捕まってから一ヶ月以上、自分は目を醒まさなかった事になる。
一ヵ月半眠り続けるというのは、尋常ではない。
その一ヵ月半の間に、自分は何かされたのではないか。
傷が癒えていたのも、それが理由では。
得体の知れない不安が急にこみ上げてきて、エレーンは思案顔で爪を噛んだ。
リーンが、真剣な眼差しになって、
「ここに来て、酷く驚いたわ。エレーン。魔女に捕まっている者が大勢いる。
多分、都の政府が思っているよりずっと多い。その殆んどが、奴隷商人に売られていく」
同じ虜囚だといったエレーンの顔を、リーンはじっと窺う。
そのくすんだ茶色の瞳には、僅かに恐れが浮かんでいた。
「私も、競りにかけられるかもね」
長身の剣士は、リーンの言葉にもさして関心を示さず、酷く浮かない表情をしていた。

「他に……無事だった者は?」
エレーンは、どこか義務的な様子で尋ねた。
「何人かは、見かけたわ。今は、城外の農園とかで働かされているみたい」
「……そう」
キュッと唇を閉じて、リーンは微笑んだ。
「ベアルとセシリア、それにシェリルも捕まって居たのだけど、脱走したわ。
番兵が騒いでいたし、見張りが魔女たちに大目玉を食らってたから、
少なくとも、城からは逃げられたみたい」
三人とも、負けず劣らず手練の戦士である。
あるいは闇の森の外まで、辿り着けるかもしれない。

「上手く森の外へたどり着ければいいのだけど。」
ようやく、ぎこちなくだが微笑で返したエレーンの言葉に、リーンが肯いた。
結局、それを最後に二人は別れた。
リーンは、遠ざかっていくエレーンの背中を、かすかに疑惑の念を抱いて見つめた。
自分もそのうちに逃げ出すつもりだとは、エレーンには告げなかった。
最初は、一緒に脱走しようと誘うつもりであったが、
魔女たちは、明らかに金髪の剣士を特別扱いし、懐柔に掛かっていた。
彼女が、裏切るような人間とは思わないが、人とは分からないものである。
確信を抱けるほどには、リーンはエレーンの人柄を知らない。
ただ、名のある魔女だけでも十数人も仕留めてきた、凄腕の剣士とだけは知っている。
「互いに……無事を祈っているわ。エレーン」
聞こえないであろうが、リーンは些か冷ややかな調子を含めた声で小さく呟くと、
果樹園に駆け戻っていった

虜囚同士の話を邪魔すまいと思ったのか、シェラティオスは城門のところで待っていた
「そろそろ、戻りますか?エレーン」
エレーンが戻ってくると顔を上げ、気落ちした様子の彼女に優しく話しかけた。
「そうね……」

沈んだ様子のエレーンが、魔女メイドの言葉に肯きかけたその時、
中庭に鐘の音が大きく鳴り響いた。
それを皮切りに、呼応するかのように、近くの尖塔からも鐘が打ち鳴らされ始めた。
次第に鳴らされる鐘の数は増え、広がっていく。
「これは……」

いまや、広大な中庭全域に、鐘の音が何重にも重なって響き渡っていた。
都市中に配置された楼塔の鐘が、一斉に打ち鳴らされているようである。
道行く人々から、わっと歓声が上がった。
人の列が、一定の方向へ流れ始める。
これほどの人がいたのかと思う位に、通りには大勢の人間が集まっていた。
口々に歓声をあげ、興奮した様子で、町の中央部を目指して人の流れが動いていく。

鐘の音を耳にしたシェラティオスが、緊張した面持ちとなってきゅっと唇を噛んだ。
エレーンの手を引き、人の波が流れる通りとは別の道を選んで、
城に向かって歩き始めた。
「……シェラティオス?」
「闘技です」
「闘技?」
エレーンの問い掛けに、何かに思い至ったかのように魔女メイドが足を止めた。
「はい。もしかしたら、あなたの知り合いが参加しているかもしれません」
魔女メイドは立ち止まると、沈痛な光を称えた眼差しをエレーンに向けた。
「……見ますか?エレーン」