無題

758 名前:名無しさん@ピンキー:2013/06/11(火) 00:22:26.57 ID:06g3NQUB
 「最近うちの子が幼稚園に入ったのものの、なかなか周囲の子に馴染めないみたいで……」

ある日、育児相談所に一人の女性が訪れた。
相談相手である男は一瞬、彼女が母親であることを疑う。彼女を母親と定義するには、その外見があまりにも若すぎたからだ。
腰まで伸びた艶やかな黒髪、卵を思わせる整った輪郭と、潤いが衰えていない白い肌とすらりとした肢体。
彼の中では、初対面の彼女と母親という言葉がどうしても結びつかない。
だからだろうか。

(…………ゴクリ)

――男の中には、人妻に抱くには少々背徳的な感情が芽生え始めていた。

「あの……」
「え、あぁすみません。お子さんが幼稚園に馴染めない、という話でしたね」
「はい。周りにはいい子が多くて、先生方も皆良い人ばかりなんですが……どうしたらいいかわからなくて」

いけない、と反省する。今の自分は飽くまでごく一般的な育児相談所の担当の一人に過ぎないのだ。
“あの方”へ供物を捧げるにはまだ時期尚早だ。効を焦っても碌な事がないというのは過去の人類が証明済みである。
様子を見ることは大切だ。先延ばせる限りどんどん先延ばせ、というのは自分のモットーだ。
このことを目の前の女性にも伝えてあげよう。

「そうですねぇ……今頃だと、入園してまだ二ヶ月、といったところでしょう?」
「はい。気にしすぎ、なのでしょうか?」
「過保護になっても仕方がありませんよ。まずは馴染める努力をするよう促して、それでも効果がなければ、またいらしてくださいな。
 あ、先生方に直接相談するのもいいと思いますね。輪に加われないのなら、加えてしまえばいいのですよ」

インチキ占い師を思わせるような無難な回答だな、と自嘲しながら男はすらすらと意見を述べた。
誰でも言えるような文句、綺麗事。それに女性は天啓を得たかのように微笑み、頭を下げてくれる。
それから先は育児に関する社会制度や保障、最近の子供の様子などを世間話のように話しただけだ。
満足したようにお辞儀する女性にニヤリ、と犬歯が飛び出そうになるのを必死に堪えて、男は去りゆく女性に手を振った。

759 名前:名無しさん@ピンキー:2013/06/11(火) 00:22:57.76 ID:06g3NQUB
 それからまた数カ月後。

「おや、こんにちは。またお会いしましたね」

接客業の挨拶としては些かフランク過ぎる気がしないでもないが、男の口からはごく自然にそんな言葉が出た。
相手もこちらを覚えてくれているのか、影の差した表情が光を取り戻すように笑顔になっていく。

「相談内容は、以前と同様でしょうか」
「そう、ですね……」

問い質すと、女性の表情が再び暗くなった。明るい笑顔もいいが、やはりこういうアンニュイな表情にはゾクリとする。
男はハッとなり、端正な顔に笑顔を貼り付けてこう応えた。

「そうですねぇ……あなた、普段の生活ではどうしているのです?」
「どうしている、とは?」

細い眉毛をハの字に変えて、女性は戸惑いを顕に訊き返す。
それもそうだ。主語も言わないとは、やはり自分は焦っているのかも知れない。
では質問を変えましょう、と前置きして、予め用意していた回答をストックから解き放つ。

「子供にどうさせているか、ですよ」
「はあ……」
「あなた、ご飯は“あーん”で食べさせたり、転んだらすぐ助けに行くタイプですね」
「確かに、その通りです」
「では、それらを一旦変えましょう」

と言う男に対する女性の反応は、またも戸惑いの表情……ではない。
先ほどとは打って変わって引き締まった表情に、逆に男のほうが戸惑いを覚えた。

「……やはり、そうですよね。私も思っていたんです。あの子を甘やかしすぎたんじゃないか、って」

この女性は、思ったよりも聡明で真面目なのかもしれない。
男から言わせれば、正直見た目も中身も好みだった。だがここに来るということはそれその時点で九分九厘人妻である。
実に背徳的だ。実のところ男がこの職場を選んだのもそれが理由だったのだが。

「まあまあ、だからと言って急に厳しくする必要はありませんよ。ほんの少し、その子に任せてあげればいいのです。
 要は“悔しい、自分でやってやる”という気持ちを持たせることこそが、強い子を育てる秘訣でもあるのですよ」

これは誰の受け売りだったか。男は面倒なので思い出すのをやめた。
表面で取り繕いさえすれば、あとはどうとでもなる。人間の関係性などそんなものだ。
あとは前と同じように、他の客と同じように淡々と担当者としての会話をするだけでいい。
だというのに、この高揚感は何だろう。この女性は、なぜこんなに自分を愉しませてくれるのだろうか。

「それで、この間教えていただいた育児休暇を使って、夫が海外旅行に連れて行ってくれたんですよ」
「へぇ……それは、よかったですね」
「ええ、本当に」

邪魔だ。
そうか、これは嫉妬なのか。
この歳になって人妻への横恋慕などらしくもないが、まあ好きなものは仕方ないだろう。

「……それでは、また」
「ええ、また」

別れを告げると同時に、男は行動を開始した。

761 名前:名無しさん@ピンキー:2013/06/11(火) 00:24:12.38 ID:06g3NQUB
 それから一年が経過した頃。
あの時の女性は、疲れにやつれ切った表情で再び現れた。
艷やかだった黒髪は傷み、頬も少し痩けて、以前の年齢不相応な若さはない。
少々残念だったが、それもすぐに何とかなる。男は半ば確信していた。
――今日で、全部終わりだ。

「……どうか、なさったのでしょうか」

我ながら白々しいとは思う。自作自演、マッチポンプとはこのことか。
そのことは後でネタばらしすればいいだろう。今は彼女とともに不毛な段階を踏もう。
神妙な表情を作ると、同じく痛みに耐えるように女性が切り出した。

「――昨年、夫が亡くなりました……」

口からは衝撃の事実。
……と、彼女は思っているだろう。「なんですって!」とややオーバーリアクションを見せる。
悲しみを共有する相手を探していたのだろう。家庭の事情は調べた。
彼女はもう、子供がいなければ天涯孤独なのだ。だから男はそこに優しさで付け込めると考えたのだ。
互いにしばらく何も言わなかった。相手からすれば沈痛な空気なのだろうが、こちらはただ空気を読んでやってるだけだ。

「……あの、それで」
「…………育児の相談、でいいんですよね」
「……………………はい……」

どんな気持ちなのかは手に取るようにわかる。
それからは色んな話をした。家庭の事情も、生前の夫の性格も、彼女の口から聞くことができた。
自分に心を許している、というのが嬉しかった。そして、とても可笑しかった。
――俺は優しい紳士サマじゃあ、ないってのに。
彼女の心境を思えば、ここで笑うなど、言語道断だ。人としてどうかと思う。

ならば。

「……奥様に案内したい場所がございます。どうぞ、こちらへ」

ならばここでなければいい。ならば人でなければいい。
どちらの条件も、自分なら満たせる。彼女だって、そうだろう。
だから手を引いた。これがドラマならロマンチックな夜景が見える場所とか、思い出の場所とか、そういう場所へ行くのだろう。
しかし自分は違う。これから行く場所は、決して彼女に優しい場所などではないのだ。

――――いや、ある意味……最も優しいとも言えるか。

男は自嘲気味に、心の中で呟いた。

762 名前:名無しさん@ピンキー:2013/06/11(火) 00:25:12.72 ID:06g3NQUB
 しばらく女性の手を引くと、目的のドアの前へ辿り着く。
二人でその中に入り、電灯のスイッチを入れて鍵をかける。我ながら手馴れていた。
女性は男の行動に戸惑い、辺りを見回す。それに倣って男も改めて室内を観察する。
大きなエレベーターの箱と言ってもいいぐらいに何もない部屋だ。外を見る窓もない。
こんな退屈そうな場所でするコトなど、一つしかないだろう。

「あの、一体これは……きゃっ!?」

もう、頃合いだ。
準備は整った。一年以上かけてお膳立てもしてきた。だから据え膳を食う時が来た。
今までの紳士顔を保つのも限界だ。禁欲の修道士じゃあるまいし、なぜ我慢をする必要があるのだ。

「奥様、こんな時に言うのはどうかと思いますが…………ずっと、お慕い申しておりました」

本当にどうかと思う。夫が死んだ時に押し倒して想いを告げるなど、なんと不謹慎なのだろう。
だがその背徳感こそが、彼にとってはまさに心のオアシスだったのだ。

「……! そ、そんな、お気持ちは有難いですが、何もこんな時に……こんな風に言わなくても…………!」

また一つ、驚きが生まれた。
彼女はなんと優しいのだろう。愛する夫が亡くなり、心身ともに疲れ切って、縋った相談相手にこんな事をされたのに。
まだ他人を思い遣る心を失っていない。あろうことか、こんな最低な行為に及んだ自分の気持ちを汲んでくれている。
たまらない。たまらない。つい両腕を掴んで独占してしまいたくなる。
ああ、見たい。汚したい…………行きたい生きたい往きたい活きたい逝きたいイきたいイキたいイキタイイキタイタイタイタイ。

「う、うおおぉぉぉぉぉぉぉお!!」

荒ぶるリビドーに妖力が滾ったからか、紳士として繕っていた顔が一変した。
男の上半身が盛り上がり、服を突き破る。筋骨隆々な上半身が顕になり肌が赤く染まっていく。
口には牙が、指には鋭い爪が伸びる。頭には左右対称の長い角が二対、肌を突き破るように伸びてくる。
見れば誰もがそれを想起するであろう。彼の姿は、本質は、正にそれそのもの――――“鬼”であった。

「きゃあぁぁぁぁ!? なに、なんなの!?」
「奥様…………俺は、鬼です」
「離して……離してぇぇぇえ!」

女性もしおらしい態度が一変し、じたばたと暴れだす。
当然だ。屋内に侵入した虫を見る時と同じように、人間は異質な外見のものに過度な敵意を示すもの。
生存本能による忌避感に、とやかく言うつもりはない。彼女の意志は大事だ。
だから意志に反することはしない。 ……つまり、意志そのものを変えてしまえば、それでいい。
鬼が覆いかぶさるような体勢のまま、女性の上着に手を伸ばした。

763 名前:名無しさん@ピンキー:2013/06/11(火) 00:26:15.12 ID:06g3NQUB
「い、いやぁ……どうして、どうしてこんなこと…………」
「あなたが……あなたが美しすぎるからです、奥様」
「ううっ…………本当に、鬼なの? 今まで相談を受けてくれたあなたとは……っ……違うの?」

嗚咽混じりに、女性が悲しみの目を向けてくる。
恐らく、自分が何かで狂ってしまってこんなことをしていると思っているのだろう。本当にお優しい人だ。
脱がそうとする手を止め、鬼は今までと同じような紳士の表情で語りかける。

「ええ、確かに私はあそこで育児相談を受けておりましたし、あなたのこともしっかりとわかります」
「だったら……どうして!」
「言ったじゃないですか。私は欲しいのです……あなたが、限りなく!」

脱がすのを再開する。
ゆったりとしたベージュのセーターの下に、やや汗が染み込んだ白いワイシャツがあった。
ボタンをブチブチと千切りながら、中にあるシャツを目指していく。この感触が中々に快い。
その下にあるシャツは、躊躇わずにたくし上げる。その勢いで、下にあるフリル付きの黒いブラジャーに包まれた果実が二つ、ぶるんと揺れた。

「あ、あぁぁぁ……やめ、やめて……」
「大丈夫です。私は下級の理性なき獣達とは違います。上手くやってあげますよ」
「ひ、でも……こんな、そんな…………」

体の自由を奪う金縛りのせいもあり、パニックに陥って上手く言葉が出てこないのだろう。
彼女からすれば今日は、なんて最悪な日なのだろう。夫が死んでから一年、訪れた児童相談所には異形のレイプ魔が。
鬼からすれば今日は、最高の日だった。溜まりに溜まった空気を、萎むまで出し切ることができる。
彼女がここに来る日を記念日に認定したいぐらいの気持ちで一杯だった。

764 名前:名無しさん@ピンキー:2013/06/11(火) 00:27:56.72 ID:06g3NQUB
「……あった」

爪でブラのカップの間をピン、と断つと、未だ衰えぬ張りを持った双丘が露わになった。
いかに頬がやつれ髪が傷んでも、やはり彼女は既婚者とは思えない瑞々しさを持っている。
鬼は興奮を抑えきれず、息を漏らす。股間の肉棒も一気に硬さを増し、まさに鬼の棍棒が如く変じてしまいそうだ。

「な、何を……何をする気なの?」
「この期に及んで、まだ優しさを求めているんですかぁ? 無駄ですよ、無駄」
「えっ……」

鬼はニタニタと笑いながら、彼女の胸に手を伸ばす。優しく揉めるように爪はしまった。
手の平には到底収まり切らないサイズと弾力を兼ね備えたそれを、喜悦の表情で揉みしだく。

「ひゃっ……あ、ぅん……っ!?」
「あなたの夫の不治の病、でしたっけ……?」
「なぜ……ひうっ!? あなた、が……それ、を…………ぁンっ!」
「それね、私のかけた呪いなんですよ。実は」

鬼がおどけるように零した一言に、女性は愕然とした。
胸を触られ嬌声を上げながらも、その顔にはくっきりと絶望の色が浮かび上がっている。

「……なんで、どうして…………どうして――!?」
「ただの、嫉妬です。醜いでしょう? 嗤って下さい」
「……………………ゃ」

ため息を吐き、肩を竦める鬼を見ず、女性はただ俯いた。
と言っても鬼が覆いかぶさる体勢なので、目を逸らす程度にしかならないのだが。

「もう、いや…………」
「何がです?」
「なにもかも嫌になったの…………」
「そうですか」

生返事を吐いて、鬼は次の行程に移っていく。
地の底から這い出るような女性の呟きをBGMに、今度は下半身に取り掛かるのだ。
今度は楽しんだりしない。爪を使って一枚一枚乱暴に破り、十秒もかからずに汗ばんだ下着が姿を現した。

「さあ、いきます……イキます…………もう、ギンギンです!」


ヌ゙プッ。


「もう嫌よ! こんなのォォォォ――――――――ッッ!!!」


瞬間、辺りの大気が振動した。
この世のものとは思えないような、高密度のエネルギーを持った振動だ。
これに反応し、挿入する側だった鬼は喜悦の表情を更に歪めて狂笑する。

「これだ! この感覚だぁ! アヒヒ! アッハッハッハッハ! ウヒャーハハハハハハァァ――――ッ!!」

かつての紳士はどこへ行ったのか。その表情は最早鬼のそれですらない、トチ狂った男の最後の表情だった。

766 名前:名無しさん@ピンキー:2013/06/11(火) 00:29:08.11 ID:06g3NQUB
 育児相談所に、巨大な竜巻が起こった。瓦礫が飛び散って、辺りの建物は次々に倒壊していく。
それは、挿入された女性を中心とした巨大なエネルギーの放出だったのである。
やがてそれは収まり、屍と瓦礫の山の中心には、彼女だけが立っていた。

「う、うあっ……あぐ、うぅぅぅ!」

彼女自身も、何が起こったか自分自身で理解できない。
胸の中で獣がのたうつような痛みに、ただ苦しんで苦悶の声を上げるしかなかった。

「い、いやっ、私……あの人に…………っ!」

彼女は痛みの理由に思い当たった。思い当たってしまった。
あの鬼の、太くて硬いものが、入っていった。熱いものも、お腹に広がっていった。
間違いない、と確信する。私はあの鬼のせいで、人外の精子を体に入れてしまったのだ。

「く、ううっ……苦しい……痛い…………なんなのこれぇ……!」

このまま生きていれば私はあれの子供を産んでしまうのか。永遠にこの痛みと付き合うことになるのか。
ならいっそ、死んだほうがマシだ。愛する者もおらず、孤独になってしまったこの世界に残されるなら。
あの子だって、鬼の子の姉になんかなりたくないはず…………

「うがぁぁぁ!」

一人残されるであろう我が子を思い出して、死ぬこともできなくなった。
もう、何をしていいかわからない。だから彼女は、この痛みに身を任せるしかなくなった。

「あ、うっ……うあぁぁあ!?」

やがて彼女の肉体そのものに、変化が訪れる。
焼けるような痛みを伴って、全身の肌の色が変色していく。赤熱するように、彼女の肌は血のような赤に染まった。
まさかこれは、と彼女は絶望する。ついさっき見たではないか。この肌の色は、あの凶悪な鬼の色と同じだ。

「ま、まさか私…………い、いやぁ! そんな、やめ、やめて……ああああぁぁぁぁぁぁ!!」

767 名前:名無しさん@ピンキー:2013/06/11(火) 00:29:59.27 ID:06g3NQUB
恐れるように両腕で体を抱く彼女。だがそれは痛みにする振りほどかれて、次の変化が無情に訪れる。
体が跳ねるようなざわつきとともに、丸みを帯びていたと体が引き締まって張りを取り戻していく。
女性としては嬉しい変化だが、今の彼女の目には赤い肌が起こす不気味な現象にしか映らない。
メキメキと音を立てて、両手両足の爪と犬歯が鋭くなると同時に、目が切れ長に伸び上がる。
瞳は爬虫類のように金色に光る。傷んだ黒髪に若いころの艶が戻ると、白に染まって膝下まで伸びる。

「ぐうっ、うっ……あ、あぁぁあ…………」

半ば諦めたように、女性は嬌声を上げる。
今や逆に受け入れつつある。自暴自棄と言ってもいい精神状態だった。

「!? あ、ああぁぁぁ……!? い、ぎ、うぐぁ!」

なんとも言えない悲鳴を上げると、今度は背中に熱が込もってきた。
おかしい。あの男は背中に何か生えてきただろうか。自分の見た限りそんな気配は全くなかったのに。

「痛ァァァア! アァ! ガァア! ぐおおぉぉぉぉ!!」

皮膚を突き破るようにして、尖った骨格が肩甲骨の間から浮き出てくる。
やがて骨格は膜を形成しバサッ、と音を立てて背中一杯に広がった。
誰がどう見ても翼だ。勿論、コウモリが持つような爬虫類型の鉤爪付きのものであったが。

「な、に……これ…………」

嘘だと思いたかったが、二メートルはあるそれは容易く自分の視界に入ってしまう。
もう現実は何も否定してくれない。死も、絶望も、容易く姿を現してしまうのか。

「ぐ、ううっ……がぁああああ! わ、私は……私はァ…………!」

こめかみの上辺りから、メキメキと音がする。恐らくこれが最後の変化だ。

「うぐっ…………ぐあぁぁぁアアアア!!」

ついに、角が生えた。教典の悪魔そのままの、前方に突き上がるような直線的なフォルムの角だった。もはや鬼なのか、悪魔なのか。
同時に頭の中に自然と情報が湧いてくる。翼の扱い方、鬼の姿と雌雄の違い、妖力という謎の力の使用法などなど。
自分が自分でなくなっていくのがわかる。しかし、同時に今の自分も自分であるという意識もある。
ロッカーがメイクで顔を塗りたくるのと変わらない。そう、私が私である記憶はそのままだし、洗脳されてるわけでもない。
彼女はただ、ナイフを手に入れただけなのだ。あまりにも強力すぎるナイフを。それで強気になっているのが今の姿なのだ。

「ハァ……ハァ……こ、これが…………私の、力! この力さえあれば……ふ、うふふ…………」

変化の終わった彼女の顔に浮かんだのは、蠱惑的な笑みだった。
爪の伸びた足で瓦礫を歩いて、辛うじて残っていた鏡の前に立つ。
彼女はそこで一回転し、新たな自分の姿に喜びを露わにしていた。

「んふふ、いいわぁ……やっぱり若さって素晴らしいわねぇ……」

一通り生まれ変わった自分の姿を堪能すると、彼女は早速妖力を使って自分の衣装を形成した。
生まれた年代もあるのだろうが、形成したのは豊かな体つきを活かせる真っ黒なボディコン衣装だった。
母親の時に出来なかった大胆で若々しい服装への憧れが、ここに反映されていた。趣味は古いが。

「さて、それじゃあ早速……飛んじゃうわよぉ……!」

数分前まで現実に打ちひしがれて泣いていた彼女は、もうそこにいなかった。
誰にでも優しく接し、愛する夫と娘と穏やかな家庭を築いていた母親も、もういない。




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