猟血の狩人


猟血の狩人 9回



人々の喧騒など全くの無縁と言ってもいい、自然溢れる山々。
深く茂る草木は少しづつ赤く色づき始め、暑い季節が終わりつつあることを示している。
大分日が落ちる時間が早くなった短くなったとはいえ、まだ太陽は天上にさんさんと照り輝いて木々の隙間から強い日差しを落とし、空には大型の猛禽が山々の気流に乗って飛び交ってあまり動きのない風景に軽いアクセントを与えている。
そんな長閑(のどか)で、どこか牧歌的な風景…のはずなのだが、
そんな空気を切り裂くような破壊音が森の中から響き渡っていた。


木々が鬱蒼と覆い茂る山道。
あまり人も通らないような道で、二人の女性が無数の怪物に襲い掛かられていた。
一人の女性は冬用の僧服を着た金髪ショートヘアで精悍な顔立ちをしており、両手には切れ味鋭そうな長剣を構えている。
もう一人は全身を追い隠すようなフードを着込んでおり、顔すらはっきりと判別できない。
はっきり言って二人とも初秋に着ている様な服装ではなく、実際長袖冬服のほうは額から汗がダラダラと流れ落ちてきている。
それは先ほどから怪物の攻撃に対しているからというだけでなく、単に暑苦しいからということもあるだろう。
二人を囲む怪物は先ほどからのぶつかり合いでどれもが手傷を負い、中には手が欠けたりといった大ダメージを受けているものもいる。
が、表面上は大怪我を負っているように見えるが怪物たちは平然としている。
というより、多少の怪我などこの怪物たちには些細な問題でしかなかった。
なにしろ、怪物たちは一見したところ普通にいる人間とそう変わりはしないのだが、その外見はとても人間とは言い難いものだった。
その肌は血が通わない土気色…を通り越して既に腐敗しきっており、所々から腐汁を垂れ流し中から黄色く変色した骨が覗いている。
虚ろに開いた瞳は白く濁り、噛み合せの悪い顎からガチガチと歯がぶつかる音が聞こえてくる。
二人を囲む怪物のいずれもが、過去にとっくにあの世へといった死体で、その死体に低級の死霊が乗り移って動き出した彷徨える死体、リビングデッドだった。
「こ、このぉっ!!」
金髪の尼僧、ティオ・スダートの持つ長剣が横に薙いで無数の枝葉と共に向って来た怪物の両腕を斬り飛ばし、そのまま返す刀でリビングデッドの胴体を寸断した。
が、その間隙を縫って別のリビングデッドがティオに襲い掛かってきた。
決して動きは速いとはいえないものの、動作が終了したティオには若干の隙が生じてしまっていた。
「ちっ!!」
「ティオちゃん!!」
そこを横からフードの尼僧、の法衣を羽織った吸血鬼ニース・ムーレイが飛び込んできて体重の乗せた蹴りを見舞い、吹っ飛ばされ勢い余った怪物は茂みの中に消えていった。
「ありがと、ニース!」
軽く礼を述べたティオは、素早く身を起こして別のリビングデッドが振り下ろしてきた腕を長剣で受け止めた。
リビングデッドは動きこそ緩慢だが、すでに死んでいる体は筋肉のリミッターなどは消去されておりその力は生きている者の比ではない。
対吸血鬼用に純銀で誂えてある長剣は鋼で出来ている剣より遥かに耐久性に乏しく、その負荷に耐えかねて大きくしなり嫌な悲鳴を上げてくる。

「ちっ!」
それを重々承知しているティオは振り下ろしてくるリビングデッドの力を側面へ受け流し、剣が折れるのを防ぐと同時にリビングデッドの攻撃もやりすごした。
標的をいなされたリビングデッドはそのまま地面にぶっ倒れ、背後ががら空きの状態になる。
が、ティオは追い撃ちをかけることなく素早くその場から離れて他のリビングデッドへ注意を向けていった。
別に情けをかけたとか訳の分からないことをしているわけではない。
今のティオにはリビングデッドを滅ぼす手段を持っていないだけだ。

元々死体であるリビングデッドは物理攻撃に非常に強く、頭や腹を斬る程度では活動を停止しない。
単純に動きを止めたければ脚を斬りおとしてしまえばいいが、剣で脚を狙うというのは意外に無理な姿勢をとってしまいやすく、1対1ならともかくこのように複数に囲まれている時は結構危険な行為だったりする。
リビングデッド自体の動きはそれほど素早いものではないのだが、リビングデッドは麻痺毒を持っており爪で引っ掻かれたり歯で噛みつかれたりすると動きを止められてしまう危険性が伴ってくる。
そうなったら無数のリビングデッドに集られて無抵抗のまま食い殺されてしまうだろう。
長剣での攻撃を得意にしていたティオだが、吸血鬼ならともかくリビングデッド相手ではその技もなにも殆ど役には立たず、むしろ普通の鋼ではなく対吸血鬼用に純銀で誂えた長剣は耐久力の面で鋼に圧倒的に劣り、単純に斬りに向かうことにも危険を伴っていた。
何しろ下手に硬い木の幹にでも剣を当てたりしたら長剣は根元からポキリと折れてしまうだろう。
そうなったらただでさえ押され気味な状況が圧倒的に不利になってしまう。
しかも、斬るだけではリビングデッドには決して致命傷にはならない。
これほど相性の悪い相手はティオにはなかった。

もっとも、そんな無理をしなくても死霊を祓ってリビングデッドを元の死体に戻すという手もあるにはある。
普通、教会の僧侶なら死霊祓いの祝詞を扱うことは出来るからそれを使えばこんな苦労はしないですむのだ。
が、教会に所属していたとはいえティオは吸血鬼狩りを専門にする『狩人』に身をおいており、物理攻撃にばかり主眼を置いた戦い方をしていたので死霊祓いの祝詞など使ったこともなかった。
それに、シスターであるにも拘らず神への信仰心が実はそれほどないティオが祝詞を使ってまともに効果が出るかといえば疑問と言わざるを得ない。
ではニースはどうなのかと言えば、『狩人』にいたころのニースなら死霊祓いの祝詞を簡単に使いこなせるが出来ただろう。元々ニースは神の奇跡を行うことを得意にしていたからだ。
が、今のニースは神とは全くの真逆にいる存在…どちらかといえばまわりのリビングデッドと全く同意味の動く死体、吸血鬼となっており祝詞など扱えるはずもなくなっている。
ちなみに、まだ日中であるにも拘らずニースが普通に活動できるのは、着ている内部を夜の闇で覆う魔法具『降闇』を纏っているからである。
吸血鬼であるニースはリビングデッドに引っ掻かれようが噛み付かれようがびくともしない。そういう意味ではここはニースを主軸に戦っていけばいいような気もする。
が、そうは問屋がおろしてくれない。
もし今が日没ならそうするのが一番手っ取り早い。夜の闇に覆われた時間に吸血鬼に勝てるものなどそうそういない。
ましてや死霊ごときが乗り移ったリビングデッドなど、100体いても問題にすらなりはしないだろう。
だが今は日中だ。もし何かのはずみで降闇が破れでもしたら、そこから注ぎ込む日光であっという間にニースは焼け焦げて真っ白な灰になってしまう。
動きは鈍いが力だけは一級品のリビングデッド相手では、降闇を捕まれただけで大事だ。
おまけに日中では、すこし無理な姿勢をして降闇が捲れ上がっただけでもそこから日光が入ってくる。
極端な話、爪でリビングデッドを切り裂くことすら出来ないのだ。
(伸ばした爪を外に出した途端、日光で燃え尽きてしまう)
そんなわけで、ニースに出来ることは破壊力に全く期待できない蹴り技程度しかなく、正直戦力としてはティオ以下といわざるを得ない。


「な、なんだってこんなにリビングデッドがこんなところにいるのよ!!」
「そんなの、私に聞かれたってわからないよぉ!」
さっきから全然埒があかないティオは八つ当たりするようにニースを睨み、そんなティオにニースも半ばヤケクソ気味に愚痴った。
まあ、ティオをニースが苛立つのも無理はない。
廃墟とか墓場とか、死体がふんだんにあるところならまだしも、こんな山の中で大量のリビングデッドに遭遇するなどというのは普通では考えられないことだ。
もしかしたら、過去に何かしらの天災でここいらを進んでいた隊商がまとめて死んでその死体がリビングデッドになったとかいう可能性もなくはないので全くないとはいえないのだが、それにしても物凄く低い確率だといわざるを得ない。
しかもティオもニースもリビングデッド相手には有効な攻撃手段を持ち合わせていないので、数が少ないならまだしもこのように多勢でかかってこられては自然と消耗戦に近い闘い方になってしまう。
(このままじゃ…まずい…)
すでにティオの長剣は散々斬ったリビングデッドの体液や腐肉で脂が浮き、切れ味が極端に鈍り始めている。
予備の長剣も法衣の中に忍ばせてはあるが、このまま交戦を続けていたら間違いなく手持ちの剣全てがお釈迦になる。
それより何より体力の消耗が酷い。ただでさえ夏場には場違いすぎる長袖を着込んでいる上に、暑さのピークは通り過ぎたとはいえまだまだ照りつける日差しは肌を焼くには充分すぎる熱量をもっている。
そんな中で2時間近く動き回っているのだ。体中から吹きこぼれる汗は次第にその量を減らし、ティオの体内の水分がすでに発汗をする量すら賄えないことを示している。
暑さと渇きで頭にズキズキとした鈍痛が響き、目の前も軽く霞んできている。
これ以上動き続けるとリビングデッドにやられる前に、体力が限界に達して倒れてしまうだろう。
(地図では、山を降りたところまで村はないし……、本当にまずい!)
本当は夜までにこの山道を越えて麓の村まで踏破する予定であり、その間には体を休められる場所は何もない。
もしこのリビングデッドの群れを凌ぎきったとしても夜は間違いなく野宿であり、その時にまたリビングデッドが襲ってこない保障はない。というか確実にある。
(まあ、夜になればニースがいる以上それほど怖くはないんだけれど…、問題は今どうするかなのよね…)
ティオが逡巡している間にもリビングデッドはわらわらと迫ってきている。正直、これを突破する自身はティオにはない。


そして、ティオ同様ニースも非常に焦っていた。
(このクソ死体が…、お前らにティオちゃんを殺されてたまるか…!)
その気になればニースはこのリビングデッドの包囲網を突破することは出来る。昼間でかなりの制限を受けるとはいえ、吸血鬼の身体能力は人間やリビングデッドのそれを大きく上回るからだ。
だが、それはあくまでも『ニースは突破できる』ということでティオを連れて行くということが出来ないのだ。
これが夜ならティオを抱えて逃げ出すことも出来るのだが、あいにくと今は昼間でありティオを抱えた手が日光に晒されてたちまち燃え尽きるのは目に見えている。
もちろんニースにティオを見捨てるという選択肢はない。
吸血鬼になったティオと永遠に一緒にいるのがニースの夢であり、自分ひとりで永遠を生きることなど考えたこともないし考えも出来ないし、考えることも恐ろしい。
自分ひとりが逃げられればいいという訳ではなく、あくまでもティオと一緒に逃げ出せなければ意味はないのだ。
(ティオちゃん……)
ちらっと見たティオの顔には疲労が色濃く浮かんできている。ゼィゼィと息を切り、汗が流れ尽くした頬は逃げない熱からか真っ赤に染まっている。このままではあと幾らも耐えられないだろう。
何しろニースが戦力外な今、リビングデッドを迎え撃つのをほぼ一人で賄っているのだ。疲れないほうがどうにかしている。
「くっ…」
この時ほど吸血鬼の体を恨めしく思ったことはない。日が昇っている世界で自分はなんと無力な存在なのだろうか。
悔しさと情けなさからニースはぎゅっと拳を握り締め、伸びた牙をギリギリと歯噛みさせた。
その強烈な悔恨の思いは、つい周りへの警戒感を薄めてしまい…



「ニース!!」
「!!」

ティオの絶叫と共にニースが我に返った時には、既に背後から迫ってきたリビングデッドはすでに回避が不可能なほどに接近してしまっていた。
「しまった!!」
慌ててニースは身を翻すが、時すでに遅くニースの降闇をリビングデッドの手ががっしりと捕らえていた。
「わっ!は、放せはなせぇ!!」
もしも降闇を引っぺがされでもしたら自身の命にかかわる。切羽詰ったニースはぐいぐいと身を引っ張るが、リビングデッドの腕は一向に離れず、むしろリビングデッドの怪力で捕まれた降闇の縫い目がピシピシと嫌な悲鳴を上げていた。
「っ!やばっ!!」
このまま引っ張り合いをしていたら降闇が引き千切られ自分の体が白昼の日に晒されてしまう!
そう思ったニースは引っ張る力を緩めたが、そうしたらそうしたで今度はリビングデッドに引っ張られて体勢を大きく崩してしまった。
「げっ!」
ニースの目の前に腐りかけた死体の不揃いな歯が剥き出しになった口が大きく開いている。このままだと降闇の上から食いつかれるのは間違いない。
別にニース自身はリビングデッドにかまれようがなんともないが、降闇を食い千切られてはたまったものではない。
だが、無理に離そうとしたら降闇を引き千切られてやっぱりたまったものではない。
ティオのことを思うばかり、逆に自分のほうが大ピンチになってしまった。
「ティオちゃん!」
反射的にニースは目をつぶりティオの名前を叫んでいた。
まさか吸血鬼の自分がそんな人間じみたリアクションをするなんて…、と心の中で自嘲してしまったが、その願いが通じたのか

「うおぉっ!!」

ティオの気合の篭った雄叫びと共に降闇を掴んでいたリビングデッドの腕がすっぱりと切断され、張力がかくんと失われたことを察したニースはサッとその場から飛びのいた。
「ティオちゃん…!」
「なにボーッとしているのよニース!
確かに昼間はきついだろうけれど、もっと気をしっかり持って!!」
ニースにばかり構っていられないティオはニースに小言を入れると、すぐさま他のリビングデッドに向っていった。
(……ありがと…。ティオちゃん…)
全く余裕がないはずなのに自分に注意を向けてくれていたティオにニースは心底感謝し、降闇を掴んでいる切断されたリビングデッドの腕を払い落とすと、ニースは先ほどまで自分を命の危機に晒していたリビングデッドを憎悪の篭りまくった目で睨みつけた。

「ガァァァァッ!!」

もっともそんな悪意を感じる知能すら失っているリビングデッドは、もう片方の腐臭を発する半分千切れかけた手を突き出して再びニースを捉えようとしていた。
が、不意をついたならともかく万全の体勢のニースがそんなものを喰らうはずもなく
「鬱陶しいのよ!この腐れがぁ!!」
余裕を持ってかわしたニースはそのまま反動をつけた蹴りを放ち、残っていたほうの手もベキリという骨が砕ける音と共に木立ちの中に消えていった。


両腕がなくなって攻撃手段が著しく失われたリビングデッドにニースは止めとばかりに脚を突き出し、リビングデッドの左ひざに食い込んだ脚はそのままリビングデッドの膝を破壊して、片足がなくなったリビングデッドはその場にガターンと崩れ落ちた。
「その場で芋虫のようにずっと這いつくばってろ!!」
ニースはのたうつリビングデッドに毒づくと、それ以上の追い撃ちはしないでその場から足早に遠ざかっていった。
別にリビングデッドに情けをかけたわけではない。
周りにまだまだリビングデッドはごまんといるのだ。
戦闘能力を失わせてしまえばもうそんなリビングデッドはいないのと同じ。
今は少しでも頭数を減らしたほうが得策だと判断したのだ。
「お前達にティオちゃんを取られてたまるか!ティオちゃんは、私のものだぁ!!…っ!」
勢いでつい口にしてしまった本音に、ハッとなったニースは反射的に口を抑えて罰が悪そうにティオのほうを見たが、幸いティオはリビングデッドにかかりきりでニースの叫びなど耳に入っていないようだった。
そのことにニースは胸を撫で下ろし、そして自分の絶叫が耳に入らないほど戦闘に集中せざるを得ないティオに申し訳なさも感じてしまっていた。
だが今は感傷に浸っている暇はない。
リビングデッドの数はまだまだ多く、そして日没にはいま少しの時間があるのだ。





「本当に、しつっこいわねぇ!」
もう何体のリビングデッドを相手にしているのか勘定するのも億劫になる。
二人が駆け抜けた後ろには動けなくなったリ動きが著しく鈍くなっているリビングデッドが所々に散らばっているが、リビングデッドの数は一向に減る気配を見せていない。
むしろ、さっきより数を増しているようにも感じられる。
ここいら周辺に動いている人間はティオとニース(正確にはティオだけ)しかいないのか、リビングデッドは完全に二人をターゲットにして、周囲からわらわらと二人に集まってきていた。
「ちくしょう、早く沈め太陽!!」
ニースは恨めがましく木漏れ日を睨みつけるが、木漏れ日があるということはまだまだ太陽は沈むことはない。
降闇はべっとりとリビングデッドの体液で濡れて重みを増し、ところどころに恐れていた解れが生じ始めている。
「このままじゃ、体の前に得物が駄目になっちゃうわ…」
ティオのほうも長剣が一本がついにお釈迦になって、腰から予備の剣を引き抜いている始末だ。
さらにもう一本の長剣も刃こぼれと油滑りが酷く切れ味は格段に低下している。このままでは使用不能になるのも時間の問題だった。
「…ニース」
周りのリビングッドから視線を外さないまま、ティオはニースに背中越しに寄り添うと小声で囁いた。
「…もしものときは、あなただけでも逃げなさい。
吸血鬼の身体能力なら、ここから充分に逃げることができるは…」

「やだ!」

だが当然のことながら、ニースはきっぱりと否定した。
「ティオちゃんを置いて逃げるなんてやだ!逃げるならティオちゃんと一緒じゃなきゃやだ!!
ティオちゃん一人、抱えて逃げるくらいわけない…」
そう言いながらニースはティオに手を伸ばそうとしたが、降闇の袖口の隙間から少し陽光が入ったのかニースの右袖口からジュッという焼ける音と共に一筋の煙が立ち昇ってきた。
「あつっ!!」


文字通り燃える様な痛みがニースの右手に走り、ニースは顔を歪めて右手を抑え付けた。
幸い一瞬だけだったから右手が燃え上がることは防げたが、それでも青白いニースの顔色はさらに真っ青になり苦しそうに呻き声を上げていた。
「無茶するんじゃないわよニース!日中に私を抱えて逃げるなんて真似できるわけないじゃない!」
「うぅ……、でも、このままティオちゃんを残して逃げるなんてできない!
そんなことしたら、ティオちゃんが無事ですむはずがないじゃない!!」
二人掛りでさえここまで追い詰められているのだ。ティオ一人になったらあっという間にリビングデッドの数の暴力に押し潰され、食い殺されてしまうのは火を見るよりも明らかだ。
こうして逡巡している間にもリビングデッドはゆっくりと、だが確実に二人への距離を縮めてきている。
ぐずぐずしていたら完全に包囲され、脱出することは甚だ困難になることだろう。
「私のことはいいから、早く逃げなさい!!」
「やだ!やだやだ!!」
本当なら口喧嘩などしているしている時間などありはしないのだが、ティオはニースを思い、ニースはティオを思うあまり自分の考えを頑として譲らず、いたずらに貴重な時間を消費していっている。
(こんなことしている暇なんてないのに!)
完全に堂々巡りになった状態に危機感を感じたティオは、駄々を捏ねるニースを無視してリビングデッドの群れに飛び込もうとした。
が、それを察知したニースは
「ティオちゃん、ダメ!!」
それを阻止せんとニースの双眸を赤く光る魔眼で焼き付けた。
「うっ!ニ、ニース!!」
ニースの魔眼に睨まれたティオは、たちまち身動きを封じられその場に固まってしまう。
「馬鹿!さっさと魔眼を解きなさい!!こんなことしたら……」
「いや!そうしたらティオちゃん、死体の中に突っ込んでいく気でしょ!そんなの嫌!ティオちゃんが死体どもに殺されるなんて、絶対嫌!!」
「いや、そうじゃなくて!!」
「そうじゃないも何もない!ティオちゃんをあんな死体に殺されるなんて、まっぴらごめんよ!!」
ニースはヒステリック気味にティオに対して怒鳴りつけている。
ニースにとってリビングデッドにティオを殺されるという選択肢は悪夢以外の何者でもない。
だからニースがティオの特攻を止めるのは当然の選択だ。
だが、その思いが暴走しすぎてニースは完全な視野狭窄に陥っていた。
「だからって!!」
魔眼で身動きを封じられたティオは、焦りを通り越して激怒の表情をニースへ向けていた。
「だからってここで私の動きを封じたら、リビングデッドにどう対抗すればいいのよ!!」
「………あ」
確かに、木偶の坊になっているティオにリビングデッドへ対処する術は何もない。
剣を振るうことも出来なければ、逃げることすら敵わない。
「そ、そうだったぁ〜〜〜!」
ティオをリビングデッドへ向わせてはならないと思って取った措置が、逆にティオを絶体絶命のピンチに陥らせてしまったことにニースは今さらながら気づいた。
「ご、ごめんティオちゃん!!」
「謝る暇があるなら、とっとと魔眼を解きなさい!!」
ティオの切羽詰った叫びに慌ててニースは魔眼を解こうとするが、気持ちが逸っているのかティオの硬直はなかなか解けようとしない。
「ちょっとニース!まだなの?!」
ティオの背後から近づいてくるリビングデッドの気配が嫌というほど感じられる。このままだと間違いなく体に喰らいつかれてしまうだろう。


「早く!ニース!!」
「わ、わかっている、わかっているんだけれどぉ!!」
ニースは焦りまくりながらティオの瞳を睨みつけるが、ニースの虹彩はちかちかと弱々しい光を明滅させるだけでティオの魔眼が解ける気配は一向にない。
もとより日中なので吸血鬼の力が充分に発揮できないというのもあるし、先ほどティオを縛り付けた魔眼もティオを殺したくないという強烈な意思から放たれたもので、その拘束力は相当なものだ。
それでも何とかして魔眼を解こうとするニースの目に、ティオの背後にリビングデッドの顔がぬっと現れた。
何本もの歯が抜け落ちた口がぐわっと開き、腐臭を発する涎を滴らせながらリビングデッドはティオの肩口に喰らいつこうとしてくる。
「うわわ、ティオちゃん!!」
これはいけないと、ニースは魔眼を解く作業を止めてティオの両肩を掴んで強引に地面に引き倒した。
「きゃあっ!」
「わぁぁっ!!」
その結果リビングデッドの攻撃は空を切ったが、代償としてティオもニースも地面に倒れこんでしまった。
ティオもニースも慌てて起き上がろうとするが、ティオは未だに魔眼の効果で体を動かすことすら出来ない
そして、その身の上にはリビングデッドが影指しており地面に伏した獲物に喰らいつこうと腕を伸ばしていた。
「くそっ、こんな死体なんかに…」
ティオは悔しさに歯噛みした。せめて、修行時代に祝詞もきちんと勉強していれば、こんな無様な結末を迎えることはなかっただろう。
「ティオちゃんを、殺させはしない!!」
その時、体の自由がきくニースがティオをリビングデッドの毒牙から守らんと、むくっと起き上がってティオの上に覆い被さってきた。
「バ、バカ!ニース、止めなさい!!」
このままだとニースの纏う降闇が破り裂かれ、ニースの体は日光に焼かれて灰になってしまう。
ティオはニースに離れるよう促したがニースは頑としてどこうとしない。
こんなことをしても無駄だというのはニースも百も承知だ。自分が灰になってしまえば、結局ティオはリビングデッドに引き裂かれてしまうのだから。
もし今、日が傾いていたらニースはこのままティオの首にかぶりついて血を吸い尽くしていたかもしれない。
そうすれば、リビングデッドにいくら噛まれ様が食われようが死体になっているティオには痛くも痒くもなく、吸血鬼として生まれ変わった後に自分の血を与えて傷を癒すことも出来る。
が、今吸い殺すと吸血鬼になった途端日差しに焼かれて灰になってしまう。
それでも灰に血を与えて蘇られるという選択肢もあるのだが、リビングデッドがこれほど闊歩している状態では灰を踏み荒らされて蘇ることが出来なくなるくらいに散逸してしまうかもしれない。
さすがにニースにも、今そこまでのリスクを負うことは出来なかった。
というか、そこまで考える頭が働いていなかった。
「このままだと灰になってしまうわ!はやく、離れなさい!!」
「やだもん!ティオちゃんをこんな奴らに、こんな奴らの餌食になんかに!!」
駄々をこねる子供のように声を張り上げるニースの背中が妙に引っ張られる。ニースとティオを覆う降闇を引き裂かんと、複数のリビングデッドが降闇を掴んできたのだ。

((もうダメだ!!))

後ほんの少しすれば、ニースは灰になって崩れ去り、覆うものがなくなったティオはリビングデッドに殺されてしまうだろう。
ニースは灰に、ティオは食い千切られる覚悟を決め、ギュッと目をつぶり終焉の時を待った。

ところが



「……………」
いつまでたっても『その時』が訪れない。
リビングデッドの手が降闇を掴んでいる感触はあるのだが、押すわけでもなく引くわけでもなく掴んだままなにもしようとしてこない。
「………?」
さすがにおかしいと思った二人がほぼ同時に目を開くと…
ニースを掴んでいたリビングデッドの額に、見慣れない文字が書かれた符がぺたりと貼り付けられており、その効果なのかリビングデッドはニースの降闇を引き剥がそうとしたそのまんまの格好でかっちりと硬直していた。
よく見ると、二人の周りを囲んでいた大量のリビングデッドも同様に額に符が付けられて、その場で動かなくなっていた。
「なに、これ…」
とりあえず冷静さを取り戻したニースはティオの魔眼を解き、降闇を掴むリビングデッドの手を斬りおとして立ち上がった。
だが二人の顔に安堵感はない。
ティオとニースは絶体絶命のピンチを切り抜けたことよりも、自分たちが目をつぶっていた短い間にリビングデッドを無力化した謎の符に警戒感を抱いていた。
「ティオちゃん、これってなんだろ…」
「……、東方の文字に似ているけど、達筆すぎてよくは…」
リビングデッドに張られている符には、東方の人間が使う文字の『漢字』をぐずぐずに崩したような赤い文字が記されている。
これがリビングデッドの動きを封じているのは確かなのだが、それを確かめる手段はない。
と、その時
「グガァ―――ッ!!」
まだ動けるものがいたのか、一体のリビングデッドが動かない仲間を掻き分け二人の前に踊り出てきた。
「「!!」」
が、ある程度の不意をつけたとはいえ一体だけなら苦戦する道理はない。
ティオはある程度の余裕を持って、手に持った長剣をリビングデッドの両腿へと走らせた。
血糊と油で相当切れ味が落ちているとはいえ、そこはティオの商売道具。
長剣はリビングデッドの両腿へ吸い込まれ、まるでバターのように両腿をあっさりと切り裂いた。
動く術を失い、その場にドサーン!と倒れこむリビングデッド。
ところが、普段なら腕を使ってでももがき続けるリビングデッドが全く動こうとしない。
見ると、いつの間にか地面に転がるリビングデッドの額に例の符が貼り付いていた。
「また?一体誰が…」
ティオは周りに不審者がいないかキョロキョロと目を配り、ニースも日中で鈍化した五感をフルに働かせて周囲を調べた。
すると、茂みがガサゴソが不自然に動き、中から東方のものと思われる全身真っ白な服を着飾った女性がぬっと顔を出した。
「イヤーごめんなさいごめんなさい。手持ちの符がちょうど切れちゃって即行で作っていたから……きゃっ!!」
へらへらと笑って姿を現した女性の笑顔がサッと青ざめ、その場に慌ててしゃがみこんだ。
その直後、唸りを上げて飛んできたティオの長剣が頭を霞め、後ろの木にドガン!と突き刺さった。
もちろん、その位置は女性の頭部の位置と完全に一致する。
「ち、ちちちちょっと!!危ないじゃないの!殺す気なの?!」
「ご、ごめんなさい!!まさか、こんなところに人間がいるなんて思いもしなくて……」
そのいでたちから察するに、リビングデッドの動きを止めた符を貼ったのは彼女なのだろう。
つまり、彼女は自分たちの命の恩人というわけだ。
その恩人に、つい反射的に長剣を投げつけてしまったティオは恥ずかしさと申し訳なさで顔を真っ赤にして平伏した。
「まったく…。まあ、それはこっちも同じだけれどねー。まさかこんなところで人に出くわすなんて思わなかったわ。
この時期、人がここを通るなんて滅多にないしさー」
ティオに悪気はないと判断したのか、女性は膨れっ面を納めると服についた泥をはたきながら二人に近づいてきた。
その着ている服と同様、どうやら東方系の人間のようでそれほど背丈は高くなく、染めていると思われる桃色の髪を二つのシニヨンでまとめており、外見の年齢はそれほど高そうには見えない。
手にはリビングデッドに使ったものと見られる符が数多く握り締められており、腰には護身用と思われる短剣が一振り下げられている。


「ここにいる屍鬼…ああ、こっちではリビングデッドっていうんだっけ……
こいつらは私がこの山の奥にある村の村長から殲滅するように依頼されていたものなんですのよー
なんでも、最近やたらと出てきて難儀しているから助けてくれって……ああ、言い忘れました。
私はタオファ(桃花)。職業は道士…、東方の屍鬼退治の専門家みたいなものですー」
「私はティオ、こっちの子は仲間のニース。私たちもアンデッド狩りを職業にしているわ」
丁寧に自己紹介をしてきたタオファと名乗った少女に、ティオもつい自分たちの素性を明かしてしまった。
「とは言っても、自分たちは吸血鬼専門でリビングデッドを倒す武器が乏しくて……正直、本当助かったわ」
「あ、そういうことだったんですね。妙に苦戦していたから変だとは思ったんですけれど……それに…」
タオファは、まだ暑い晩夏の日中に頭までフードに包まれたニースを怪訝そうに眺め、ニースを指差しながらティオに訪ねてきた。
「またこっちの方はずいぶんと暑そうな格好で……大丈夫なんですか?」
「ま、まあ……。大丈夫、よ。ねぇ、ニース……」
まさかニースが吸血鬼とは言えず、ティオをお茶を濁すような曖昧な口調でニースに尋ねかけた。
それに対し、ニースはフードに隠れた顔を不快感でぎりぎりと歪ませていた。
平気で人を指差す無礼な態度も気に食わない。体から発している様々な対アンデッド用の装身具の気配も気に食わない。
だがそれよりなにより、ティオに馴れ馴れしく接してくるのが我慢ならなかった。
(なに、この女……。いきなり現れてティオちゃんに生意気な口をきいて……)
むらむらとした怒りが沸々と湧きあがり、その双眸が赤い光を持ち始めている。
このままだとフード越しに赤い光が外に漏れかねず、それに気づいたニースはぐい、とフードを手で押し下げた。
「……ちょっと日の光に弱い体質だから……。文句ある?」
「いえいえー、全然ありませんよ。そうですか、体質なら仕方ありませんよねー」
かなり刺のある口調でニースはタオファに毒づいたが、タオファはそんなニースの悪意をまったく気にしている様子はない。
「随分難儀なパートナーさん抱えているんですね、ティオさんは。ちょっと気の毒ですー」
てか、むしろさらにニースの敵意をあおるような軽口を叩く始末。
果たして作為的なのか天然なのかまでは窺い知れないが、その態度にニースの怒りはさらに燃え上がり降闇の生地を通り越して見えるくらい瞳が赤い輝きを放っている。もう敵意どころか、殺意といっていい。
「ま、まあ……、こればかりは本人の体質で、どうにもならないことだし、ねぇ……あはは……」
そんなニースを前に、ティオは乾いた笑いを浮かべて話をはぐらかすくらいしか出来なかった。
「まあ、たまたま私が近くにいてよかったですよ。私の専門は屍…リビングデッドですから」
タオファはそう言うと、手に持った符をパッと広げた。
「これには屍鬼の意思をコントロールする効力がありますです。これがあればどんな屍鬼だって意のままに操ることが出来ますのです。
例えば……、立て!」
タオファは符を握り締めると、辺り一帯のリビングデッドに命令するかのように叫んだ。
すると、符を貼られたリビングデッドが一斉に起き上がったではないか。
「そして……しゃがめ!」
今度はリビングデッドが完全に同時にしゃがみこんだ。
「最後に……土に還れ!!」
そう言った途端全てのリビングデッドはザァッと崩れ落ち、あっという間に本来あるべき姿である土塊へと戻ってしまった。
「……………」
「えっへん!」
そのあまりの手並みのよさにティオもニースも目が点になり、タオファは得意そうに胸を張った。
「いやこれは……素直に驚いたわ。東方の神秘って奴ね…」
「………チッ…」
どうやらティオは素直に感心しているみたいだが、ニースのほうはタオファのこの手並みになんともいえない不快感を抱いていた。
屍鬼=リビングデッドの意思をコントロールできるということは、広義ではリビングデッドである自分もあの札でコントロールされてしまうかもしれないのだ。


「護身用に1セットどうですか?お安くお分けしますよ」
そう言いながらタオファは背にしょった大きなリュックをごそごそとまさぐり、紐で括られている符の束を取り出した。
「符自体に退魔力が込められていますから誰にでも扱えますですよ。使い方は……」
タオファは符を一枚引き抜くと、ティオの額にペタリと札を当てた。
「こういうふうに屍鬼の額につければ、屍鬼は動きを全て止めてしまいます。
あとは、術者の思い通りに動いてくれます。私の国では屍鬼を使役して雑用に使っていたりもするんですよー」
「ふぅん……。リビングデッドを利用するなんて、私たちには考えられない発想だわ…」
自分や教会にとっては、リビングデッドは始末するべきものであって、利用するなんてことは想像したことすらない。
ティオは額に貼られた符をピッと外すと、改めて符をまじまじと眺めた。
こんな何の変哲もない紙切れ一枚であれだけ苦戦したリビングデッドを無力化できるなら、これほど心強いものはない。
「1セット、お願いしちゃおうかしら…」
「ティオちゃん!そんなのに頼る必要なんてない!」
少し、東方の符に興味を持ったティオに、ニースが横から苛立ちながら横槍を入れてきた。
「そんなもの使わなくても、夜ならリビングデッド100匹出ようが負けることなんてないんだから!」
「えー、そんな事いわないでくださいよ。ほら、これを…」
自慢の符をそんなもの呼ばわりされたことが気に食わないのか、タオファは少し頬を膨らませながら手に持った符をニースへと伸ばした。
「うわっ!!」
自分の額に迫って来る符を見て、ニースは大慌てで後ろに身を仰け反らせて符を避けた。
もし下手に符が張り付いて自分の意思を奪われるなんてことになったら目も当てられない。
「バ、バ、バカーッ!!なんてことしようとするのよ!!」
「え、え、え?なんで怒るんですか?!」
血相を変えて怒るニースをタオファは訳がわからないといった感じで狼狽していた。
「うぐ…っ!」
まさか、『お前の符で操られたくはないのよ!』なんて言える訳がない。そんなことをしたら自分が人間でないということを自白しているようなものだ。
「……、なんでもないわ。ちょっと苛ついているだけだから気にしないで」
胸にぐろぐろと渦巻いている殺意を抑えるかのように、ニースはタオファに背を向けるとぼそりと呟いた。
タオファのほうはまだいまいち納得していないようだが、それ以上ニースが口を開かないのでそれ以上の詮索はしてこなかった。
とはいえ
(まさかこいつ…、私が吸血鬼だっていうのを見抜いているんじゃないでしょうね)
先ほどからどうも自分を煽って来ているようにしか思えないタオファに、ニースは相当な警戒心を抱き始めていた。
その態度、言動はかなりの天然ぶりなのだが、あまりに露骨過ぎてどうもわざとらしい。
こちらに警戒感を与えないつもりなのかもしれないが、却って不自然な雰囲気をニースに与えてきている。
(試して……みるか…)
もし自分が吸血鬼だというのを知りながら近づいてきたのなら、間違いなく友好的な相手ではない。
なにしろ、アンデット退治を生業にしている東方のハンターなのだから。
タオファを値踏みするようにジーッと眺めているニースの瞳が眩しいくらいに赤く輝いてきている。
「ねえ、ちょっと…」
「はい?なんでし………」
ニースに声をかけられ無用心にニースの顔を見たタオファの瞳に、人間の意思を奪い取る吸血鬼の魔眼がもろに映りこんできた。
「……あっ…」
たちまちタオファの顔からは意思の光が消え失せていき、ニースの魔眼を移しこんだ瞳はニースの魔眼の光を反射して赤く鈍く光っている。
腕はだらりと垂れ下がり、握っていた符がばさばさと地面へ落ちていった。
「……ふぅん、別に魔眼を防ぐような手立ては持っていないってところか……」


だとしたら自分の見込み違いだったのだろうか。吸血鬼を相手にする以上、魔眼対策は必須と言っていいからだ。
とはいえ、全く警戒しないわけにもいくまい。
「んーと、他に警戒するものは……」
ニースはタオファの持ち物を物色しようと、懐を覗き込み…

「なにやっているのよあなたは――――っ!!」

後ろから飛んできたティオの拳骨が頭蓋を直撃し、目から一瞬火花が出てしまった。
「いったーい!何するのよティオちゃん!!」
突然の不意打ちにニースはムッとして後ろへ振り返ったが、そこに見えたのは怒りで肩をいからせているティオの真っ赤な顔だった。
「何もカニもないわよ!助けてくれた人相手に魔眼を使うのはどういうつもり?!失礼だとは思わないの??!!」
「えっ……。う〜〜、だってぇ……」
タオファがいまいち信用し難い。と言おうとしてニースはすぐに口をつぐんだ。
別に証拠も何もなく、ただニースの勘だけでタオファに魔眼を使ったとあってはそんなことをティオが許すはずもない。
「早くタオファさんの意識を戻しなさい!聞いてるの?!」
「……わかったよ」
ティオの物凄い剣幕に、ニースは不満を残しつつもタオファへの魔眼を解いた。
たちまちタオファの瞳に光が戻り、顔に意思が宿り始める。
「……ん、あれれっ?ちょっとボーッとしていたみたいです。朝から屍鬼追いかけていたから疲れたかのかなぁ…」
タオファは頭を軽く揺すりながら変だなぁと首を傾げている。
「そ、そうなんじゃないかしら?少し、休んだほうがいいんじゃないかと思うわよ私は。アハハ…!」
「……そのほうがいいと思うわよ…」
ティオはそんなタオファを少し声が上ずりつつも労い、ニースは言葉を投げ捨ているように呟いていた。
「…うん……。そうですね。そろそろ太陽も傾き始めたみたいですし、村に戻るとしましょうか。
お二人ともどうします?このまま山を抜けようとすると途中で確実に夜になりますよ。
夜道ははっきり言って危険ですから、村で一泊するというのはどうでしょうか?」
このタオファの問いかけに、ティオもニースも少し悩んでしまった。
はっきり言ってこの二人に関して言えば、昼も夜も大して関係がない。狩人で鍛えられた際、暗闇を用いた訓練を行ったのもあるが、吸血鬼であるニースにとっては日中より夜間のほうがより積極的に活動することが出来る。
どう考えても夜間にリビングデッドに不覚を取ることはない。
おまけにタオファに並々ならない警戒感を持っているニースは、当然この好意を断ろうとしていた。
「ちょっと、ティオちゃ……」
ところが、それを言い終わるか終わらないうちにティオは首を縦に振り
「じゃあ、お邪魔させてもらおうかしら」
と、あっさりと同行していくことを決めたのだ。
もちろん、収まりが突かないのはニースである。
「ち、ちょっとティオちゃん……!」
ニースは困惑と怒りがまぜこぜになったような微妙な表情を浮かべてティオの腰を小突いてきた。
が、そんなニースに対し
「仕方がないわよ。
さっきからのリビングデッドとの切りあいで、こっちはもう体も武器も限界なのよ」
と、ティオは腰に収めた長剣をスラッと抜いてニースへと見せた。
先ほどまでリビングデッドを切りまくっていた長剣の切っ先は伸び、刃は血糊で鈍く濁っている。
これではとても武器として使うことは出来ず、リビングデッドが出てきた場合全く対処が出来ない。
おまけにティオ自身の体力ももう限界に近かった。熱い日中、重い法衣を着ながら何時間も動き回っていたのだ。疲れないほうがどうかしている。


「うぅ〜〜〜〜私に任せれば夜に危ないことなんて絶対無いのにぃ〜〜〜〜!」
ニースはなおも不満を述べていたが、ティオとしては茂みで野宿するより温かいベッドの中で一眠りしたい心境だった。
それほど身も心もクタクタだったのだ。
「すいませんタオファさん、村まで道案内をよろしくお願い致します」
「分かりましたー。じゃあ私の後に付いてきてください。
獣道みたいな小さな道を進みますので迷子になる危険がありますからー」
そう言ってタオファは林の中をゆっくりと進み始め、その後ろからティオとニースはとことことついていった。


だがこのとき、先ほどまでのリビングデッドとの大立ち回りによる心身の疲れでティオは忘れてしまっていた。ティオが持っている地図には、ここいら一帯に村は記されてはいないことに。
日はようやく傾き始め、日陰になった山肌は次第に気温が下がり始めていた。
まるで、この近辺一帯の生き物の体温を全て奪うかの如く。


猟血の狩人 10回

「…ちょっと、まだ村にたどり着かないの?」
先程より何時間経っただろうか。
もはや日は完全に落ち、生い茂った木々が月明かりすら遮断した真っ暗な森の中をティオとニースはランタンを持ったタオファに先導され村へ続く道を歩いていた。
最初はタオファの口ぶりから少し歩けば村にたどり着けるものと思い込んでいた。
ところが、行けども行けども村は影すら見えてこず、これならさっきの道を進んでいたほうがマシというレベルにまでなっていた。
「もうちょっとですよ。もう少し頑張ってくださーい」
ニースの愚痴にタオファが軽口で受け流すのも一度や二度ではない。
実際、ニースはかなり苛立っていた。
さっきはティオに窘められて矛を収めたものの、未だにニースはこのタオファを信用できないでいる。
こっちのピンチにいかにも都合よく現れたことといい、変に親切ぶっているところといい胡散臭さがプンプン匂ってくるのだ。
(こいつ……。ティオちゃんはうまくはぐらかせたみたいだけど、私はそうはいかないんだからね……)
ニースは敵意を込めた目でタオファの一挙手一投足を見つめていた。
もしタオファが後ろを振り返ったら、闇夜に紅く煌めくニースの双眸を見ることが出来ただろう。
幸い今は夜だ。もしタオファが下手なことをしようとしても、今のニースなら軽く阻止することが出来る。
(ちょっとでも変な動きしてみなさい……。その瞬間に頭を跳ね飛ばしてやるから…)
ぱきぱきと嫌な音を立ててニースの爪が長くせり伸びてきている。
昼間に思うようにティオを守ることが出来なかったことも相まって、ニースはひどく攻撃的になっていた。
「ち、ちょっとニース……。何いきり立っているのよ」
ニースのただならない殺気にティオが小声で注意するが、耳に入っていないのかニースはティオのほうを振り向くことさえしなかった。
その時

「あっ」
「っ!!」

タオファが不意に二人のほうへ振り返り、それに反応したニースが物凄い速さでタオファのほうへと駆け出した。
「ニース!!」
ティオが止めるのも間に合わず、ニースは降闇から刃物と化した爪を突き出しタオファの喉首目掛け突き出したが、
「きゃっ!」
間一髪身をかわしたタオファの側面をニースは通り過ぎ、茂みの中へ頭から突っ込んでしまった。
ゴィン!と堅い木に何かがぶつかる音がしたがそれがなんなのかはあえて語るまでもない。
「な、なんだったんですか今の〜。いきなり暗闇からなにかがドーンって突っ込んできて……」
「さ、さぁ〜〜。大蝙蝠でも明かりに釣られてやってきたんじゃないかなぁ〜〜」
どうやらタオファはランタンを二人に向けておらず向って来たのがニースだとは気づいていないみたいだったので、ティオは適当に誤魔化して場を繕おうとした。
「で、何かあったの?タオファさん」
「あっ。そろそろ村が見えてくるころだから知らせようと思いまして……」
「あ、そ、そうだったの。
よかった〜〜〜。これでやっと一息つけるわ〜〜」

昼間からリビングデッドとの激戦で心身共に疲れ果てていたティオは、村が近いというタオファの言葉に張り詰めていた緊張の意図がくたくたに緩む気がしていた。
「そうと聞いたら力が湧いて来たみたいだわ。タオファさん、早く行きましょ」
「は、はい……。あれ?ニースさんはどこに行ってしまったのでしょう……?」
「気にしない気にしない。ちょっとどっかで頭を冷やしていると思うわ。
あの子、夜目が利くからすぐに追いついてくるわよ。ささ、早く早く!」
ニースがいなくて戸惑うタオファを尻目に、早く休みたくて仕方がないティオはタオファを引きずるようにして先を急いでいった。
そんな二人のやり取りを、木に激突して地面に突っ伏しているニースは苦々しげに聞きつつ

「ティオちゃんの……、バカーっ!!」

と、やり場のない怒りを爆発させていた。





「………」
あの後、憮然とした顔をして追いついてきたニースは一言も声を出さないままティオの後を足音も立てずに進んでいる。
もっとも、吸血鬼は足音を立てることはないのだが。
「自業自得よ。意味もなくタオファさんに突っ込んだりするから」
ティオはそんな臍を曲げているニースに厳しい視線を投げかけている。ニースにどんな理由があったのかは知らないが、自分達を助けてくれた恩人のタオファを無意味に攻撃しようとしたニースに同情の気持ちが湧いてこないのだ。
「……意味あるもん…」
「どうせ自分の思い込みでしょうが。ったく、人を無闇に疑ったりするのはよくないわよ」
「うぅ〜〜〜〜〜!」
確かにタオファに対する疑念は多分にニースの妄想から来ているものがあるかもしれない。
だが、こういう時の自分の勘というものをニースは信じていた。
吸血鬼の感覚から来る直感ではない。たくさんの吸血鬼をその手で討ってきた『狩人』としての戦場の勘だ。
どっちかというとお人よしのティオと違い、ニースは人間だったころから心の根本で人を信用していない。
そんな自分の心に目の前のタオファという人間は酷く信用ならない者として描かれていたのだ。
「もう少ししたら一息つけるから。そうすれば血が上った頭も冷めるでしょ」
(そんな熱い血なんか、私には流れてないよ…)
いつもなら心を和ませるティオの軽口も、今の状態では酷く煩わしく感じてしまう。
このままではフラストレーションが溜まりすぎて、ティオがいるにも拘らず誰彼構わず引き裂いてしまいそうだ。
そんな中、満月の月明かりすら通さない暗がりをそれまですいすいと進んでいたタオファの歩みが、不意にぴたりと止まった。
「……あら?」
「…?どうしたの、タオファさん」
不審に思ったティオがタオファに詰め寄ると、タオファが怪訝な顔をして振り向いてきた。
「いえ、この道を下ればもう村なんですけれど……。変なんです。
明かりが、全然ついていないんです……」
「え……?!」
タオファが指差した先は森が切れて月明かりが指しており、その月光によっていくつかの建物の屋根が照らされている。
が、それらはタオファの言ったとおり暗闇に覆われており、人の営みが全く感じられてこない。


「どういう、こと……」
せっかくゆっくり休めると思っていた矢先の異変に、ティオのそれまで抑えていた疲れがドッとでかけた、その時

「ガァ―――ッ!」

茂みから突然、唸り声と共に一体のリビングデッドが飛び出してきた。
「リビングデッド?!」
緊張の糸が切れかけたところの不意打ちにティオの反応は一瞬遅れ、懐の長剣の柄に手をかけた時にはリビングデッドは既に攻撃態勢に入っていた。
が、次の瞬間
「……ガァ?!」
ティオを捉えようとしたリビングデッドの手は二の腕辺りからばっさりと切れ、その次には肩口が切れ、そのまま胴が吹っ飛んでから首が暗闇へと消えていった。
「………フン」
目の前でバラバラになるリビングデッドを唖然と見ているティオの目に、リビングデッドの後ろでぶん!と血糊の着いた手を払うニースの姿があった。
「ニース!ありが……?」
が、ニースは感謝を述べるティオなど目もくれずにずかずかとタオファのほうへと進み、タオファの胸倉を力一杯掴み上げた。
その瞳はあまりの怒りに真っ赤を通り越して白く輝いているようにも見える。
「ちょ……ニースさん。なにを、苦し……」
「貴様!やっぱり私たちを騙したんだなぁ!!」
首を襟でぎゅっと絞められてタオファは息苦しそうに喘ぐが、ニースは全く力を緩めることなくタオファを締め上げている。
ただでさえ人間よりはるかに強い力を持つ吸血鬼の、しかも日が暮れてパワー全開になったニースの渾身の絞めにタオファの顔からはみるみる血色が消え失せ、酸欠になった体は不規則な痙攣を繰り返している。
「こんな山奥まで私たちをおびき寄せて、夜中で目が利かないところでリビングデッドに襲わせるなんて実に姑息で卑怯な真似するじゃない!
でもお生憎様!私は夜のほうが五感が冴えるのよ!
こんなくだらない真似をして。タダで済むなんて思わないこと……」

「なにやってんのよニース――――っ!!!」

このままでは確実に絞め殺される未来しかなかったタオファを救ったのは、ニースの横から飛んできたティオの豪快な飛び膝蹴りだった。
「うきゃっ!」
ティオの膝は勢い良くニースのわき腹に食い込み、その拍子でニースの掌もタオファから外れ、タオファはそのまま地面に崩れ落ちた。
「………ゼェ…ゼェ……ゲホッ…!」
どうやら窒息死は免れたみたいでタオファは激しく咳き込みながら体を小さく丸めている。
その頭上で不満げなニースと怒りを爆発させたティオが激しく睨みあっていた。
「さっきから!なんであんたはことある毎にタオファさんに手を出すのよ!!なんか恨みでもあるの?!まだ会ったばかりじゃないの!」
「ティオちゃんはわかってない!こいつは絶対危険な奴だよ!放っておいたら、何をしてくるかわかったものじゃない!」
「なんでよ?!この人は私たちを助けてくれたじゃないの!もし悪意があるんだったら、あのまま私たちを放っておいたらよかったじゃない!
そうすれば勝手に死んでくれるんだからさ!!」
「それも私たちを嵌めようとしての考えかもしれない!とにかく、こいつをこのままにはしておけないんだ!」


ティオもニースも半ばムキになり、感情を剥き出しにして口喧嘩を展開している。
ニースが吸血鬼になって…いや、二人がコンビを組んで以来ここまで二人の間が険悪な状態になったことはなかった。
もう回りがどんな状況になっているかなんてことは完全に無視し、二人は決して相容れることのない自己主張を叫びあっていた。
「だから、なんであんたは分かってくれないのよ!」
「ティオちゃんもなんでそんなにこいつの肩を持つのよ!もしかして、いつの間にかこいつに暗示でもかけられているんじゃないの?!」
「あんたじゃあるまいし!バカ言っているんじゃないの!」
「バ、バカって言った?!バカって言うほうがバカなんだよ!ティオちゃんのバカ!!」
「バカはあんたよ!!」
もはや売り言葉に買い言葉。収拾がつかずにギャンギャンと喚き続ける二人の足元からその時、ようやっと落ち着いたタオファがよろよろと起き上がってきた。
「あ、あのぉ〜〜〜。あんまり騒ぎすぎますと……そのぉ……」

「「なに?!」」

口論を邪魔されたティオとニースは同時に烈火の如き怒り顔をタオファに向け、タオファはその迫力に圧倒されつつおそるおそる指で二人の背後を指差した。
「リビングデッドが……たくさん集まってきてしまいますよぉ……」

「「え」」

二人ともその一言でふと冷静になり、タオファが指差している先へを恐る恐る目を向けると…
そこには何十体ものリビングデッドがわさわさと群れをなしていた。
「げっ!!」
口げんかに夢中になってリビングデッドの接近に全く気づかなかったティオは、慌てて腰の剣に手をかけて迎え撃とうとしたが
「ちっ、うざい!!」
その前にニースが目にもとまらぬ速さでリビングデッドの群れへと突っ込んでいった。
「ニース!ちょっとま…」
幾らなんでも数が多すぎる。ティオはニースに自重しろと声をかけようとしたが、その声が出る前にニースの前にいた3〜4体のリビングデッドが細切れになって崩れ落ちた。
「え」
その呆気なさに呆然とするティオを尻目に、リビングデッドの真っ只中に入り込んだニースは物凄い速さで動く死体を物言わぬ塊へと変えていく。
「このこのこのこのぉぉ!!クソ死体め、二度と動き出せないように細切れのミンチにしてやるぅぅ!!」
昼間のストレス、タオファへの不信、ティオへの不満が一気に爆発したのか、ニースはそれまでティオが見たこともないほどの速さでリビングデッドを血祭りへと上げていく。
そして、ティオが結局剣を抜くまでもなく数十体いたリビングデッドはすべて細切れの腐肉へと料理されてしまった。
「ふん、手ごたえがなさ過ぎるよ…
ティオちゃんももうちょっとしっかりしなよ。疲れて頭がボケているのはわかるけどさ!」
まだ怒っているのか舌をべぇと突き出しながら自分をを睨むニースにムッとしながらも、ティオは改めて夜の吸血鬼の戦闘能力の高さを思い知ることになった。
何しろ、昼間にあんなに苦戦していたリビングデッドをまるで鼻であしらうようにあっけなく解体してのけたのだ。
ニースと戦うことはないとはいえ、こんな吸血鬼と夜間に一対一で戦う羽目になろうものならとても勝てる気がしない。
だからこそ、『狩人』での教えでは必ず吸血鬼には二人以上で対峙することになっている。
が、それでも今のニースに勝てるかといえば…疑問が残ったりする。それほどの強さだ。


「は〜〜〜っ。ニースさん、昼間はからっきしでしたけど今は凄いですね〜〜」
そんなニースの大立ち周りを、タオファもまた目を丸くしてみていた。
「そんなに強かったんでしたら、昼間にあんな追い込まれることなかったんじゃないですか?」
「…私は昼間は調子が出ないの!あまり苛つかせること言うんじゃない!!」
もしティオが睨みを聞かせていなかったら、ニースはそのまま帰す刀でタオファの首を刎ねていただろう。
だがもちろんそんなことは適わないので、ニースは強烈な殺気を込めた視線をタオファにぶつけていた。
並の人間ならその殺気に触れただけでも気がおかしくなりかねないほどの殺気。
勿論ニースはそれほどの殺気をわざとタオファにぶつけていた。
直接手を出せないなら、自分の仕業とはわからない方法で潰してやる。しかし
「あ、あの〜〜。ニースさん、私そんな悪いこと言いましたかしら〜〜」
当のタオファはニースの殺気を真正面から喰らっているにも関わらず、ニースの態度に脅えるくらいでさしたる変化を見せてはいなかった。
「……?」
さしたる変化も見せないタオファにニースは首を傾げ、込める殺気が足りないのかとさらに鬼の形相でタオファを睨みつけようとしたが、それより先にニースの拳骨が上から降ってきた。
「ニース!」
ゴチン!と激しいショックがニースの頭を揺さぶり、さらに間髪入れずにティオはニースの両肩を掴んで自分のほうへと振り向かせた。
「ニース!あんたまたタオファさんを魔眼で操ろうとしていなかった?!」
タオファに聞こえないように小声で、しかし強烈な怒気を含めながらティオはニースに詰め寄った。
普段のニースならここで適当に誤魔化すことも出来ただろう。
が、頭に血が上っていたニースはつい
「そんなことしてない!あいつの頭をバカにしようとしていただけだよ!!」
と、言わなくてもいいことを口に出してしまった。
「この、おバカぁ!!」
ティオのさらなる拳骨がニースの頭に炸裂し、そのままティオは訳がわからずに首をかしげているタオファの元へと駆け寄っていった。
「大丈夫ですかタオファさん?!体がどこかおかしなところはありませんか?!」
「い、いいえ〜。別になんともありませんけど……。ああ、それよりも村が……!」
「村?!」
そう言われてティオも気がついた。
タオファに言われるままについてきたのは、体を休める村を求めてのことだったのだ。
その村の灯りが消え、村の周りをリビングデッドが徘徊しているということは……
「それって……、とってもやばいんじゃないの?!」
「やばいと…、思います…」
なにがやばいのかを即座に察したティオは、タオファの腕を掴んで即座に駆け出した。
「あ、あらら?!」
戸惑うタオファを気遣う余裕もなく、ティオは人気の消えた村目掛け一目散に走っていく。
その後ろ姿を呆然とニースは眺めながら
「……いいかげんにしろティオちゃん―――っ!!」
怒りのあまり横にあった木を力一杯殴りつけ、その衝撃に耐えられなかった木はバキバキと折れ崩れてしまった。





「これは……」
ティオとタオファの眼前に広がる村は、案の定村は静まり返り満月と星の冷たい光だけが村を照らしていた。
「みなさ〜ん、どこにいったんですか〜〜〜」
タオファの声も暗闇の中に虚しく吸い込まれ、耳が痛いほどの静寂がすぐに戻ってくる。
もう村の中心辺りまで進んで入るのだが人どころか犬猫の気配すら感じすることが出来ず、村中が死の気配に包まれていた。
「タオファさん…、一応聞いておくけど、ここって本当に人がいる村なの……?」
「当たり前じゃないですか〜!私、今日のお昼までちゃんとここにいたんですから!」
憤慨したようにタオファは頬を膨らませるが、ティオとしてはここに昼間まででも人が住んでいたということがどうしても信じられない。
かなり暗くて判別はしづらいのだが、村の家屋はボロボロに朽ち木々も手入れが行き届かずに伸び放題の印象がある。
これで人が住んでいる村というのが信じられないのも無理はない。
「ん?!」
その時、家の影からパキッと折れ枝を踏む音が聞こえた。それはなにか動いている者がいるという証だ。
「だ、誰かいるんですか〜?村は、どうしてしまったんですか〜?」
その音を聞き、タオファはなんの警戒もしないで音のしたほうへと駆けていった。
「タオファさん!迂闊よ!」
タオファのあまりに無用心な行動に、ティオは慌てて剣を抜きタオファを追いかけていった。
すると案の定

「キャーッ!!」

タオファの前に出てきたのは村人ではなくリビングデッドであり、不意を喰らったタオファは悲鳴を上げて体が固まってしまっていた。
「タオファさん!!」
リビングデッドがタオファ目掛けて伸ばしてきた手をティオは剣でバラリと切り裂き、そのままタオファの手を持つとダッ!と駆けてその場を離れた。
「ティ、ティオさぁ〜〜ん」
涙目になってティオを見るタオファに、ティオは悲痛な面持ちで呟いた。
「気をつけて!これだけ人の気配がないっていうことは……、もうこの村はリビングデッドにやられているのよ」
それは、この村のことを知っているタオファにとっては認め難いことであろう。
だからこそ、今のタオファの無用心な動きへと繋がっていたと考えられる。
「そ、そんな…」
厳しい現実を突きつけられ、タオファはへなへなとその場にへたりこんでしまった。
が、こうなってしまってはぐずぐずしている暇はない。
この村一帯がリビングデッドに汚染されてしまったとなると、うろついているリビングデッドの数も半端ではあるまい。
一刻も早くこの村から脱出しないと、どこからどれほどの数のリビングデッドが襲い掛かってくるか見当もつかない。
「早く立って!この村は危険だわ!今すぐに逃げ出さないと……」
だが、少し遅かったようだ。
「ティ、ティオさん!!」
酷く脅えた顔をしたタオファがティオの後ろを指差す。
そこには、一体どこに潜んでいたのか10体ではきかない数のリビングデッドがわらわらと軒先や玄関口から湧き出してきた。
いや、後ろだけではない。
前からも、横からも、まるでティオたちを包囲するかのようにあちこちからリビングデッドが現れたのだ。

「な!囲まれてた?!」
それがリビングデッドの知恵なのか、それとも本能なのかは分からないが、ティオとタオファはリビングデッドに完全に包囲されてしまっていた。
(なんて迂闊!全然リビングデッドの気配に気づかなかった!)
やはり昼間の戦闘で集中力が極度に落ちていたのだろう。ここまで近づかれているのに全然リビングデッドに気づかなかったことにティオは思い切り臍をかんだ。
だが、見る限りリビングデッドの包囲網はまだ厚さが薄く、一転突破すれば突破口が開けるように見える。
自分の剣技と先ほどのタオファの符術をあわせれば、なんとか突破できなくもないだろう。
「タオファさん!血路を切り開くわ。援護して…」
ティオは比較的包囲の薄いところを指差し、タオファに援護を求めた。が
「あ、あぁ……。なんで、みんな……。おじさん、おばさん……」
どうやらリビングデッドの中に見知った顔がいるようで、タオファは座り込んだまま完全に放心状態になっている。
これでは援護を求めるどころかここから逃げ出すことも不可能だ。
「なっ、ちょ……!タオファさん、しっかりして!!」
ティオはへたりこんでいるタオファの肩を掴んでがくがくと揺すったが、タオファは聞き取れない言葉をブツブツ呟くばかりで正気に戻る気配を感じさせない。
そうこうしている間にもリビングデッドの数はどんどん増えてきて、もはや蟻の這い出る隙間もないほどの厚さになっていた。
これではとても脱出など覚束ない。
「くっ……!」
じわじわとにじり寄ってくるリビングデッドにティオは剣を構えつつ、ちらと上を見た。
このまま背にしている家の屋根に飛び乗ってしまえば当面のリビングデッドの襲撃を凌ぐことは出来る。知能のないリビングデッドに上に登るという行為は出来ないからだ。
だが、それもティオだけならという話だ。
さすがのティオも、タオファを抱えて屋根に飛び乗るなんて行為は不可能に等しい。
ニースなら造作もないことなのだろうが、ニースとは先ほど置いてけぼりにしたっきりそのままだ。
普段は必要以上にベタベタ接してくるのに、こういう時に限って姿を見せてこない。
まあ、間違いなく先ほどまでのタオファへの扱いに対する不満からだろうが。
となると、するべきことは一つしかない。
「…やるしかないか」
ティオは茫然自失のタオファを抱え上げると、今にも襲い掛かってきそうなリビングデッドを牽制しつつしゃがみこむと、渾身の力を込めてそのまま勢い良く飛び跳ねた。
「でぇい!!」
ティオの鍛えあげられたしなやかな脚力は、そのまま二人を空中へと舞い上がらせた。
が、やはり屋根までは無理があり、後少しというところでティオの体は上昇するのを止めてしまった。
「!!」
やはり無理だったか!とティオは歯噛みしながらも、自分のすべき最低のことだけは忘れなかった。
すなわち
ティオは手に抱えたタオファを力一杯放り投げ、タオファはそのまま屋根へ無事落下していった。
「よし!」
タオファがリビングデッドの手の届かないところに行ったことにティオは心の中でガッツポーズをとった。
が、その代償としてティオは不安定な姿勢のまま地面に落下し、急いで体勢を立て直した時はすでに周り中をリビングデッドに取り囲まれていた。
「…こりゃ、だめかな?」
すでに最後の跳躍を許してくれる時間の余裕もなさそうで、ティオに残された手立ては出来る限り抵抗をしてリビングデッドを数体道連れにすることぐらいだった。
「しかたがないわね…。かかってきなさい…!」

覚悟を決めたティオは大分くたびれている剣を二本構え、包囲を狭めてくるリビングデッドに突っ込もうと腰を低くかがめた。
そして、いざ突撃しようと地面を蹴った瞬間

「それっ……わぁぁっ!!」

ティオの体は突然空に浮き、そのままタオファが倒れている屋根へと吹っ飛んでいった。
その直後、ティオがそれまでいた壁際はリビングデッドによって埋め尽くされていた。まさに間一髪。
「あれ……」
一体何が起こったのか理解できないティオだったが、妙に引っ張られる襟首に気づいて振り向くと、後ろにはぶすーっと不機嫌そうに眉を顰めるニースがティオの襟を掴んでいた。
「ニース…」
「…本当バカだね、ティオちゃん。こんなやつを助けようとして自分が死にそうになるなんてさ」
ニースは相変わらず苦々しそうにタオファを睨んでいる。が、その眼には僅かな嘲りとほんの少しの憐憫が混じっていた。
「自分がするまでもなく勝手に壊れちゃって……。最後まで忌々しい奴だったね」
「ニース!助けてくれたのは素直に嬉しいけど、その言い方はあまりにも可哀相よ!!」
「だって、こいつと一緒にこんなところに来たから今こんなことになっているんだよ!下を見てみなよ!」
確かに、三人がいる屋根の下は夥しい数のリビングデッドに取り囲まれ、壁をガリガリと引っ掻く音や身の毛もよだつうなり声があちこちから聞こえてくる。
「こんな村に来ようとしないであのまま道を進んでいたら、少なくともここまでのピンチにはならなかったんだよ?!
それもこれも、全部こいつが悪いんだ!ティオちゃんが殺されそうになったのも、全部こいつのせいなんだ!!」
「うっ…」
ニースがビシッとタオファを指差した時、ティオは反論が出来なかった。
かなり悪意が篭っているとはいえ、ニースの言っていることも一理あるのだ。
だからと言ってそれを素直に認めることも出来ない。
自分達を助けてくれたタオファを悪く思えないというのもあるが、ニースの言い分があまりにも主観的過ぎてどうしても同意しかねてしまうのだ。
「だから言ったでしょ!こいつは危険な奴だって!経緯はどうあれ、実際そうなっているじゃない!
もし私が助けなかったら、ティオちゃんは今頃死体どもに食い殺されていたんだよ?!
だから、こんな奴放っといてさっさとここから逃げよう!あんな奴ら、すぐに全部バラバラにしてやるから!」
ニースとしては助けるのはティオだけでいい…、というか元々ティオ以外の人間にはなんの思いいれも持っていないから当然の発想なのだが、ティオにしてみたらここでタオファを見捨てるなんて真似が出来るはずもない。
「ダメよ!ここから逃げるなら、タオファさんも一緒にしないと…!」
そのあくまでもタオファを守ろうとするティオの態度にカチンときたのか、ニースはぶるぶると怒りで震え、口から牙を長く伸ばしながら

「……もう、ティオちゃんなんて知るもんか―――ッ!!」

と、大声で怒鳴った後大きく跳ね、闇の中へ消えていってしまった。
「ちょ、ニース!ニース――ッ!」
流石にニースに悪いと思ったか、ティオは大声でニースを呼び続けたが完全にへそを曲げたのかニースは返事も返してこない。
とはいえ、この程度の我がままはしょっちゅうあることなので
「…ま、暫く頭を冷やせばニースも冷静になるでしょ」
と、ティオは時間の経過に任せることにしてしまった。







「さて、と…」
とりあえず屋根の上にいれば今のところリビングデッドに襲われることはないのだが、いつまでもこのままでいる訳にもいくまい。
自分ひとりなら屋根伝いに逃げることである程度の退路は確保できるのだが、タオファがいるとなるとそうもいかない。
ただでさえかなり消耗しているのに加えて、人一人抱えてアクロバティックに逃げるというのは体力が続かない。
ニースの機嫌が直ればいいのだが、もし直ったとしても絶対にタオファを助けるのに手を貸すことはないだろう。
「いっそのこと、一晩屋根の上にいようかな……」
そうすればある程度の体力は回復するだろう。そうなれば、タオファを背に抱えて逃げ出すことも出来るかもしれない。
それが一番かな、とティオが思い始めた時、乗っている屋根が大きく揺れ動いた。
「うわっ!!」
何事かとティオが下を覗くと、夥しい数のリビングデッドが屋根に入るティオとタオファを求めてワラワラと集まり、その圧力で家の壁がギシギシときしいでいるのが見えた。
このままでは、リビングデッドの圧力で家そのものが倒壊してしまう。そうなってしまっては無防備のままリビングデッドの大軍のど真ん中に身を晒してしまうことになる。
「うわわ!これはやばい!!」
慌ててティオはどこかタオファを抱えて飛び乗れそうな場所を探した。が、どの屋根この屋根も微妙に遠くタオファを抱えては飛び乗れそうもない。
「………」
ティオはさっきのようにタオファだけを別の屋根にのせ、自分は囮になってリビングデッドからタオファを逃がそうと考え…、すぐに否定した。
もし自分がやられたら、無防備なタオファがいる家は即座に崩されてタオファもまた餌食になってしまう。
また、もし自分がうまいことタオファから離れられたとしたら、リビングデッドは自分より動かないタオファを優先的に狙うだろう。
それではどのみちタオファが助かる術はない。
「一体……どうしたら……」
いい考えが浮かばずティオはその場をぐるぐる回って妙案を思い浮かべようとする。
が、そんなことで当然いい閃きなど出るはずがなく、その間も家は嫌な悲鳴を上げ倒壊の危機に瀕していた。
「どうしたら…どうしたら……?」
その時、ティオの目に村の奥の山際にある一際大きい建物の一つの窓から微かに灯る灯りが目に入ってきた。
それまで月光や月明かりばかりで人工的な光が全くなかった中で目に入った、久しぶりの人工の光。
それは、この村に生存者がいることを意味していた。
「……え」
てっきり村人は全滅していると思っていたティオは、まさかの生存者の存在に一瞬呆け、次の瞬間タオファを強引に灯りの方向へと向けさせた。
「タオファさん!生きている人がいる!生きている人がいるのよ!!
見て!あの灯り!!この村に、生存者がいるのよ!!」
ティオは腑抜けているタオファにその光景を見せようと必死になってタオファの頭を握り締め、それが功を奏したのかタオファの体に僅かづつだが力が戻ってきていた。

「あ、あ…ああ―――っ!」

どうやら村人の生き残りがいることを把握したようで、タオファの目には完全に光が戻り、黄色い歓声をけたたましくあげた。
その声のあまりの大きさは、下にいるリビングデッドも一瞬怯んで家を揺する動きを止めたくらいだ。
「ティ、ティオさん!ティオさんティオさん!ティオさん!!うわ―――っ!!」
「そうよ!生きているのよ!この村に生きている人がいるのよ!!」

ティオとタオファは手を取り合い、子供のようにはしゃいで踊り飛んだ。屋根の底が抜けるんじゃないかということは考慮の外だ。
「やりましたやりました――――あら?」
「ん?どうしたのタオファさん」
ティオもタオファも喜びを爆発させている最中、突然タオファが目をぱちくりさせながらティオの後ろの方を指差した。
「なんかティオさんの後ろで……ぴこぴこと動いているものがある様な気がして……」
「え゛?!」
そう言われ、ティオは慌てて自分の腰に手を当ててみた。
すると、確かに自分の僧衣のスカートの中でぴこぴこと左右に振れ動いているものがあった。
夜で灯りも月明かりぐらいなので、タオファもまさか動いているものがティオのスカートの中のものだとは思わなかったのだろう。
「あ、あはは…。きっと気のせいよ。気のせい……」
ティオはタオファに引きつった笑みを浮かべてその場をはぐらかせ、喜びで無意識に振っていた自分の『尻尾』を慌てて静めた。
(やっばいやっばい……。また無意識にやっちゃった……)
以前、強力な吸血鬼アルマナウスの手によってティオは人狼にされた過去があり、その後ニースによってアルマナウスは手傷を負いティオを人狼にしていた元凶も破壊したが、なぜか狼の尻尾だけは消えることがなくティオの腰から生えたまんまだった。
それ以来、切ってももいでも毟っても尻尾は翌日には元通り生えてしまい、その都度とても痛い思いをしてしまうので何度か痛い目を見た後ティオは尻尾を切るのを諦めてしまった。
これが普通にくっついているだけならともかく、普通の獣の尻尾のようにティオの感情によって様々な反応を起こしてしまうのが困りものであり、今のように喜んでいるとついつい犬のように尻尾をパタパタと振ってしまうのだ。
今のところ尻尾が付いていることによる体への影響はないものの、見られることで知識のない人間に変な偏見を持たれても困るのでティオは出来る限り尻尾を露出することを避けてきた。
その結果真夏でも冬用のぞろりとした丈の長い僧衣を着込む羽目になってしまい、暑さと重さとうざったさでかなり酷い目にあってしまっていた。
「ふぅ〜ん?」
だが、そんな不信な態度を取るティオにタオファはいまいち納得しておらずティオの腰の後ろをちらちらと覗こうとしている。
ティオとしては何とか話題の中心を変えようと、うっすらと灯りの付いている例の館を指差した。
「そ、そ、それよりも!あの灯りが付いている大きな館はだれがいる館なのかしら?!」
それを聞いた途端、タオファは大事なことを思い出したかのようにバッと館を見た。
どうやら興味がティオの腰より館のほうに向いたみたいでティオとしては一安心。
「あぁ、あそこはこの村の領主さんの館です!確かにあそこなら屍鬼たちを食い止めることが出来たかもしれません!
そうでした。そうと分かれば、今すぐにでもあそこに行かないと!!」
タオファは先ほどまでの傷心はどこへやら、俄然元気を取り戻し灯りの下へ行こうとしていた。
ティオもそんなタオファをサポートしようとしているが、一抹の不安もあった。
件の館は村の最奥部にあり、周りは切り立った崖に囲まれている。
あそこまでたどり着くだけならまだしも、脱出する時はリビングデッドがごまんといる正面を中央突破しなければならないのだ。
果たして、生存者を抱えてそんな真似が出来るだろうか。
だが、そんなティオの逡巡など全く考慮していないタオファは、早々に隣の屋根へと飛び乗っていた。
「さあ行きましょうティオさん!!時は一刻を争います!!」
「え、ええ…!」
自然、ティオも同調せざるを得ず、二人は下にいるリビングデッドとの無駄な交戦を避けるため、ぴょんぴょんと屋根伝いに領主の館を目指していった。


一方、ティオと喧嘩別れしたニースはそれより少し前から、ティオが屋根でうろたえている光景を冷たい目で見ていた。
「…少しティオちゃんも頭を冷やせばいいのよ」
確かにタオファは自分とティオちゃんを助けてくれたが、あのわざとらしすぎるタイミングはいかにも怪しい。
だから、ああして自分の命の危機を感じ取ることが出来れば、いくらお人よしのティオちゃんでもタオファに構ってはいられなくなるだろう。


よしんばぐだぐだしていたとしても、その時は家が潰れタオファはリビングデッドに喰い散らかされて死ぬ。
その後、自分が改めてティオちゃんだけをあそこから助け出せばいい。
ティオちゃんは暫くは自分を恨むだろうが、元々狩人の仕事の時には殉職する同僚を幾人も見ているのだ。時が経てば何事もなくなるだろう。
そんなことを思いながらニースはじっとティオのいる屋根を見ていたが、それまでうろうろしていたティオが突然はしゃぎだしたのを見てニースは思わず身を乗り出してしまった。
「?なにごと?!」
そうしているとあれよあれよという間にタオファまで起き上がり、キャアキャア歓声を上げた後二人とも屋根から飛んでどんどんむらの奥のほうへと進んでいってしまった。
「ち、ち、ちょっと!どういうことよこれ!!」
てっきりティオが自分に泣きついて来るものと思っていたニースは完全に当てが外れ、慌ててティオとタオファがいた屋根へと飛び乗った。
そして、二人の進む先を見てみると奥の大きな館の窓に灯っている小さな灯りが目に入ってきた。
「な、生きている人間がいるっていうの……?こんなボロボロの村に?!」
ニースはとても信じられなかった。
吸血鬼なので夜目がティオより遥かに利くニースの目には、この村はもう何十年も人の住んでいない廃村にしか見えなかった。
生きている人間どころかリビングデッドが出現するのも無理がある村なのだ。
なのに一角に灯りが灯り、そこにタオファとティオが向っている。しかも、タオファが先導しているかのように……

「…あの野郎!!」

ここに到ってニースの疑念は確信に変わった。
(あいつは間違いなく私たちに悪意を持っている!このままだとティオちゃんが危ない!)
もう仲違いとかどうとかは関係ない。ニースは渾身の力を込めて屋根から飛び跳ね、二人の後を物凄い勢いで追いかけていった。
その直後、リビングデッドの圧力で崩れかかっていた建物はニースの蹴りに寄る衝撃に耐え切れず、とうとうガラガラと音を立てながら多数のリビングデッドを道連れにして倒壊してしまった。
「ティオちゃーん!!」
ティオを失うかもしれない恐怖……。ただでさえ血の気が引いて青いニースの顔色は青を通り越して真っ白になっていた。


「ん?」
後ろで自分の名前を呼ばれているような感じがして、ティオはピタッと足を止めて後ろを振り返った。
が、弱々しい月光が照らすだけの視界には何も見えてくることはない。
「どうしたんですかティオさん?館まではもう少しですよ?」
「いえ、ね。なんか自分が呼ばれた様な気がして……」
もしかしてニースかも。もしニースが冷静になって自分を追いかけてきたというならそれはとても心強い。
ならここでちょっと待って合流すれば…
と、ティオは考えたが、足を止めたティオの裾をタオファはぐいぐい引っ張って先を急がせようとする。
「ティオさん早く!早く行きましょう!!」
「うん…。でも、もしかしたらニースが……」
と、そこまでティオが言った時、下から突然何者かが屋根の四隅に飛び乗ってきた。
「?!」
まさかリビングデッドが屋根まで昇ってくるとは想定していなかったティオはギョッとして、慌てて剣を抜いて身構えた。
「なになに?!そんな身軽なリビングデッドがいるなんて聞いてない…?!」
だが、そこにいるのはリビングデッドではなかった。


月光に晒されるその顔色は透き通るくらいの白さをしており死人であることは間違いない。
が、リビングデッドのような腐敗している様子はなく、どっちかといえば吸血鬼のような整った死体の形をしている。
もっとも、吸血鬼のような独立した自我は感じられず、その顔は本能と衝動に支配されていた。
「…なに?こいつら……」
今まで見たこともないような死体にティオは一瞬躊躇したが、その隙を突き死体は意外なほどの速さで襲い掛かってきた。
「なっ!速…っ!」
突き出されてきた腕を辛くもティオは剣で弾いたが、相当くたびれている剣はそれだけで嫌な悲鳴を上げていた。
このまま受け続けていると間違いなく剣は折れてしまう。
予備を含めるとティオは4本の剣を持っていたが、すでに1本は使い物にならずもう一本も限界に達しつつある。
このまま剣が全てダメになってしまったらここを抜け出す手段がなくなってしまう。
「チッ!」
ティオは壊れかけている剣を鞘にしまい、まだ健全な一本の剣を抜き放とうとしたが、その機を逃がさずに死体たちがティオの四方から向ってきていた。
「やばっ…!」
これはまずいとティオが身を翻そうとした時、横から飛んできた黄色い札が死体たちの眉間にピトピトと張り付き、その瞬間死体たちはまるで金縛りにでもあったように動かなくなってしまった。
「え…?!」
「危なかったですねーティオさん…!」
危機一髪の状況に呆然とするティオの横で、懐から大量のお札を取り出したタオファがにっこりと笑いながらお札を手で弄んでいた。
「タオファさん……」
そうだった。タオファは死体を使役することが出来る道士(ネクロマンサー)だったのだ。あの札を使って、さっきも自分達を助けてくれたのではないか。
「ありがとう…。今のは本当やばかったわ」
「えへへー!人間相手では私あまり役に立ちませんですけど、死体相手なら任せてくださいな!」
タオファは一礼をするティオへ勇ましそうにガッツポーズを取って見せた。
多分直接的な戦闘能力ではタオファはティオの足元にも及ばない。
だが、リビングデッドのような動く死体に対する能力ではティオよりタオファのほうがずっと有用なのだ。
「こいつら、さっきからうじゃうじゃいるリビングデッドじゃないですね。
こいつらは死体を降霊術で操って作る『屍鬼』です。私の国でよく見る動く死体ですね。なんでここにいるのかはよくわかりませんが…
ま、とはいえはっきり言ってこんな奴ら何匹出てこようが私の敵ではありませんよー」
よっぽど調子に乗っているのか、タオファはえへんと胸を張り自らの胸をドンと叩いた。
が、それに反応したのかどうかは知らないが
ティオとタオファがいる屋根の上に、下から新たな屍鬼がすたすたと跳んで来た。その数は10体はいるだろうか。
「げ!まだいた!!」
まさかさらにいるとは思わなかったティオは慌てて身構えたが、それを制止したのはタオファだった。
「待ってくださいティオさん!ここは私に任せてティオさんは館のほうへ急いでください!」
「えっ?!」
タオファの予想外の言葉に、ティオはタオファが一瞬何を言おうとしているのかが理解できなかった。
「ティオさんの剣では屍鬼たちに致命的な傷を与えられないじゃないですか!でしたらここにいてもティオさんに出来ることはありません!
それよりも、早く館に入って生き残っている人を保護してください!
大丈夫です。私、人間相手では何の役にも立ちませんが死体相手ならめっぽう強いんです!」
ティオの目にもタオファが虚勢を張っているのが分かる。
確かにティオがこの場でやれるべきことはタオファに比べると著しく少ない。が、屍鬼の数が数なだけにタオファも早々簡単に片付けられるとは思っていないのだろう。


だが、それでもタオファはティオに館に急いでくれと頼んできている。
これは自分の身より、逃げて閉じこもっている村の生き残りのほうがタオファにとって大事だということだとティオは判断した。
「タオファさん……」
タオファの村人思いの心に、ティオは胸の奥が熱くなるのを感じた。
そして、ならばここはタオファの思いに応えてあげなければならないとも。
「わかったわ!でも決して無茶しないでね!!」
「わかっています!ティオさんもご無事で!!」
「ごめん!」
ティオは後ろ髪を惹かれる思いで館のほうへと振り返り、隣の屋根へと飛び乗っていった。
後ろではタオファの叫び声と屍鬼たちの屋根を駆ける音が聞こえてくるが、ティオは後ろを振り返ることはなかった。
この場はタオファに託したのだ。ならば、タオファに全てを任せよう。
前を真っ直ぐ見据えるティオの目には涙が光り、固く噛み締めた唇からは血が滲み出していた。





「くっそー!どけーっ!!」
一方ニースは懸命にティオとタオファの後を追いかけていたが、途中からわらわらと飛び出してきたリビングデッド…屍鬼に行く手を邪魔されていた。
ティオと同じく、まさか屋根に飛び乗ってくるリビングデッドがいるとは思わなかったニースは最初こそ戸惑ったが、考えてみれば夜のニースに相対できるほどの屍鬼がいるはずもなく、ニースは屍鬼を無視して先を急ごうとしていた。
ところが、まるでニースの行く手を遮るように現れる屍鬼は偶然なのか執拗にニースの着ている降闇を狙ってきた。
ニースとしては降闇を破られては一大事なのでどうしても屍鬼を相手せざるを得ず、結果としてティオとの距離は全然詰まらずむしろ逆に離されつつあった。
「一体何なんだこいつら!まるで私を邪魔するみたいに……!」
屍鬼そのものは決して強くないこともあってニースは逆に苛立ちを強め、それが冷静な判断をさらに失わせていく。
その一瞬の隙をつき、背後から近づいた屍鬼が降闇に手をかけ引き裂こうとしてきた。
「っ!いいかげんにしろぉ!!」
怒りに任せて振るったニースの伸びた爪は屍鬼の肘を両断し、降闇を掴んだ腕をニースは毟り取った後無造作に投げつけた。
「こんなところで…、時間を食っている暇はないんだぁ!!」
一向に道が開けないことに業を煮やしたニースは、降闇の中から討滅した吸血鬼の灰が詰まった小瓶を2つ取り出してから指を噛み切り、中身に自分の血を注いだ後に放り投げた。
強力な魔力が詰まったニースの血を与えられた吸血鬼の灰は、しゅうしゅうと派手な煙を噴き上げたかと思うとパチンと割れ、中からはかつてニースが討滅した吸血鬼2体が姿を現した。
「お前達!こいつらはお前達に任せるわ!」

「「畏まりました。マスター!」」

ニースの血を与えられて蘇った吸血鬼はニースの忠実な下僕であり、主人から命令を与えられた2体の吸血鬼はニースに襲いかかろうとする屍鬼たちを食い止め、その隙にニースは屍鬼の包囲網から逃れることが出来た。
「くそっ、時間を食った!!」
思わぬ足止めにニースは臍を噛み、ティオに追いつくべく先を急いだ。
その後も時折屍鬼が現れニースの行く手を阻んできたが、先ほどのような圧倒的な数ではないのでニースは難なくかわしていくことができた。


そして、ティオが行こうとしていた灯りが付いたまで後少しという屋根に飛び降りた、その時

「あら〜、思ったより早く来たんですねー」

そこには、多数の屍鬼に囲まれているタオファの姿があった。
ティオが見たら屍鬼にタオファが包囲され今にも襲い掛かられようとしていると捉えるかもしれない。
が、そこにいる屍鬼はまるでタオファを守るかのように展開し、タオファも屍鬼たちを自分の道具のように扱っているように見える。
「正直、屍鬼の包囲網をこんな短時間で突破されるとは思いませんでしたよー。夜のニースさんは、本当に強いんですねー」
ころころと笑うタオファの笑顔は先ほどまでとさほど変わるところはない。
が、決定的に異なるところとして、その笑みにはどす黒いほどの悪意が奔出していた。
言うなれば、笑いながら人を殺すことの出来る外道の笑みだ。
「まあ、でも吸血鬼のニースさんなら夜は強くなって普通ですよねー。夜に弱い吸血鬼なんて、聞いたこともありませんし」
「やっぱり、気づいていたのか。食えない奴…」
まあ、昼間の風体といい夜の人知を離れた力といい、ある程度の知識を持った人間なら気が付いて当然だとは思う。
問題は、タオファが気づいていてなおそのことを表に出してこなかったことだ。
こいつは何かを隠している。
そんなニースの思いに気づいているのか、タオファはわざとニースを苛立たせるようないやらしい笑みを浮かべている。
「もう少し早かったらティオさんと合流されてしまうところでしたよ。本当に、危ないあぶない」
「貴様ぁ……」
自分の予感が大当たりしていたことに、ニースは半分喜び半分後悔していた。
半分の喜びは、自分の勘がティオより全然頼りになること。
半分の後悔は、そう思っていながらティオとタオファを二人きりにしてしまったことだ。
「タオファ!ティオちゃんはどこだ!!ティオちゃんを出せ!!」
「ティオさんですかー?ティオさんなら一足先に、館のほうへ行ってもらってますよ。
ま、多分助からないとは思いますけれどね。うふふふふ」
タオファはまるで世間話でもするかのようにティオの死亡予告をし、それを聞いたニースは愕然とした。
「なん、だと……?どういうことだ!!」
「あの館の中には私のとびっきりの屍鬼を幾体も配置していますの。ティオさんの武器は死体を相手するには不向きですし、昼間の戦いとここまでの道のりで随分お疲れのようですからねぇ」
ということは、昼間のリビングデッドの襲撃だけでなく、ここまで来る行程すらタオファが仕掛けた罠だということになる。
「貴様……、やっぱり最初から私たちを殺すのが目的だったのか……。くそっ、教会の奴らめ……」
やっぱり最初の時ティオが止めるのを無視して殺しておくべきだった。と、ニースは心底後悔した。
ところが、そんな悔しがるニースに対し、タオファは両手でバツの字を作り

「ブッブー不正解ですー。
私の目的は『ティオ・スダートの殺害』でーす!」

と言ってのけた。
「な、に……ぃ」
自分が殺害対象になっていないことにニースは驚いた。
なぜなら、もし自分がかつて所属していた教会がタオファに殺害依頼をしたなら、ティオよりもまず吸血鬼であるニースの討滅を優先させるはずだ。
なのにニースを含めていないということは、ティオの殺害を依頼したのは他の者ということになる。
「考えても見てくださいよ。もしお二人の殺害が目的なら、山道で私が助けるはずないじゃないですか。
あそこでは単に弱らせることが目的でしたのに、お二人があまりにも弱すぎたので私が出て行かざるを得なかったんですよ。少しは努力してくださいな」


確かにタオファのいうことには一理ある。二人を単に殺すだけならあそこで見捨てていればいいだけなのだから。
「…じゃあ、なんで二人きりの時にティオちゃんを殺さなかったんだ?」
「じ、冗談言っちゃあいけませんよ!私がティオさんとタイマンで勝てるはずないじゃないですか!
あの人、かなり消耗していましたけど、それでも私一人でどうにかなる相手じゃありません。自慢じゃないけど、私虚弱体質なんですよー」
ぶんぶんと頭を振るタオファの態度は演技とは思えない。
確かに、見た目からしてもそれほど身体能力が優れているようには見えない。
そのぶん、頭を使って仕事をするタイプなのだろう。それも、冷静且つ冷酷に。
「私一人じゃ勝ち目がないと思っているから、こうしてせっかく廃村を使って埋められていた死体を呼び覚ましたり、手持ちの屍鬼をたくさん使っているんですよー。
少しは足掻いて貰わないと興ざめしてしまうというものですー」
ころころと微笑むその姿は、その前の台詞を聞いていなかったらごく普通の日常の微笑みにしか見えない。それほど自然な笑みだ。
ということは、このタオファという女は普段からそういうことを日常としているのだろう。
「まあティオさんもニースさんも少しお頭が足りなくて助かりました。
いっつも金魚のフンのようにくっついているって聞いてましたからどうやって引き離そうかと思っていましたけど、まさかあんな簡単に仲違いするなんてねー!」
「なっ!!」
つまりは、妙に頼りなさげな態度を取ってティオの同情を引くようなそぶりをみせ、それをニースに見せ付けることでティオとニースを仲違いさせるように仕組んだというのか。
「なんて、迂闊な私……」
もし冷静になっていたら、こんな見え見えの子供だましな手に引っかかることはなかったはずだ。
ティオとの関係を利用され、付け込まれ、自分の周りを見る目を完全に曇らされてしまった。
(こいつ……見た目と違って想像以上に危険な奴だ…)
ニースは以前見た目に騙されて痛い目にあわされたアレクサウス、アルマナウスの兄妹吸血鬼を思い出していた。
あの時の自分は兄妹の容姿に油断をし、結果取り返しのつかない事態を招いてしまった。
あれ以来、決して見た目に惑わされないようにしてきた心積もりだったが、やはり相手が人間という油断があったのかもしれない。
しかも目の前にいるこの女道士は、あの兄妹並に狡猾で卑劣だ。
(ここは、冷静にならないと…)
ニースは沸き立つ頭を努めて静めようと心を落ち着け、改めて周りを見渡した。
ニースの前にいるのはタオファとタオファの下僕である屍鬼がざっと15体。背後から屍鬼が迫って来る気配は感じられず、どうやら2体の下僕がうまく相手をしているようだ。
「だったら……」
ニースは例の小瓶の数を勘定してみた。
今、懐に入っている小瓶は全部で4本。
これに兄妹吸血鬼との戦いで人形になってしまったかつての同僚で今はニースの下僕の吸血鬼になってしまっているリオンとアンナがいるが、これらは直す術がわからないので戦力外だ。
「…一気に使うか」
ここは短期決着を決意したニースは4本の小瓶全てに血を注いで屋根に撒き、4体の吸血鬼を復活させた。
ニースを含めて5体の吸血鬼。かたやタオファと15体の屍鬼は数こそ多いが屍鬼の戦闘能力は吸血鬼と比較するのはおこがましいくらい低い。
だが、形勢が逆転したといってもいい状況にも拘らず、タオファは余裕の姿勢を崩していない。
「あらあらー。まさかニースさんも手駒を持っていたなんて思いませんでした。
あ、だから予想より早くここにたどり着いたんですね。危ないあぶなーい」
その人を食った態度にニースはイラッときたが、これもこっちの冷静さを失わせる手段なのかもしれないと思い気にしないことにした。


「タオファ、そこを通させて貰うよ…」
「うふふ、そうですよねー。早くしないとティオさん死んじゃいますからねー。急がないと、急がないとー」
タオファとしては今までどおりの挑発だったかもしれない。
が、『ティオ』『死んじゃう』という言葉を聞いた途端、ニースのなんとか保っていた理性は空のどこかへ吹っ飛んだ。

「…っ!きっさまぁぁ―――――――っ!!!」

瞳を怒りで真っ赤に光らせたニースは屋根の瓦を踏み壊すほど勢いでタオファのほうへと跳び、それを見た下僕の吸血鬼4体が慌てて後を追っていった。
「殺してやる――――っ!!」
「出来ますかしら?!ティオさんにも言いましたが私、人間相手は非力ですけど死体相手にはめっぽう強いですよ!」
飛び掛ってくるニースに対し、タオファも懐から符を取り出しかかってこいと言わんばかりに待ち構えていた。





保管庫へ戻る