サーカディア:培養体麻衣


アカデミア学院体育科1年、水泳部所属の矢沢麻衣は悩んでいた。
ここのところスランプ続きで、本業ともいえる水泳の成績が思わしくないのだ。
「麻衣ちゃんはやればもっとできるよ。…でも、さぼっちゃダメなんだから」
マネージャーも努める親友・里香は静かに、しかし手厳しく言う。
片山弘樹ら超能力を使う学生と知り合ってから、麻衣が練習以外にも時間を割くようになったのが不満らしい。
しかし今の麻衣にとっては、超能力を使ってナイトメアから人々を守ることも大事だ。
そして数少ない超能力仲間と一緒に過ごすことも。
責任感が強く、人付き合いを好み、オカルトにも興味のある彼女としてはどれも削りたくない。
そのことを伝えると、里香はいつも機嫌を悪くする。
「麻衣ちゃん、ダメだよ。友達よりも水泳の方が…ううん、何よりも水泳が大事だよ」
影があって表情をあまり表に出さない里香だが、麻衣には彼女の気持ちが読める。
可愛らしくても暗いところのある里香にとって、友達といえるのは麻衣くらい。
水泳部ではマネージャーとして麻衣とずっと一緒。それを他人に取られるのが嫌なのだ。

他の仲間が里香を敬遠しても、麻衣は変わらず里香と親しく付き合っていた。
だがこの日、ついに麻衣は里香と口論になってしまったのだ。
普通の友人間であれば誰でもやるようなちょっとしたものだったが、麻衣にとっては初めてのこと。
プールを飛び出して、どこに行くともなく歩き回る。
「麻衣お姉ちゃん、どうしたの?」
一人悩む麻衣に、誰かが声をかけた。
顔を上げると、そこには初等部6年で超能力仲間の如月美海(きさらぎみみ)がいた。
「あ、美海ちゃん。…大丈夫、なんでもないよ」
「本当?なんだかお姉ちゃん、元気なさそうなの」
面倒見のいい麻衣は幼くして戦う美海を心配し、よく声をかけている。そのため美海も彼女を慕っている。
この子には心配させたくない。
「ごめん!私、ちょっと用事があるからもう行かないといけないの」
つとめて笑顔を作ると、麻衣は美海から離れ、また一人歩き出した。

「私、ひどいことしちゃったなあ…」
人気のない校舎の裏で、麻衣はヒザを抱えて落ち込んでいた。
普段明るく責任感が人一倍強いだけに、ショックを受けるともろい。
それがスランプを長引かせる要因でもあるのだが、本人にその自覚はなく、さらに焦ってしまう。
悪循環に悩む麻衣。ずっと自分を責めていたために、近づく影にも気付かない。
突如彼女を襲う、ぞっとする寒気。はっと顔を上げると…複数のナイトメアがいた。
「きゃぁっ!」
慌てながらも、優れた反射神経で後ろに飛びのき能力を放つ。清らかな水が弾丸となり、一体を撃ち抜いた。
続いて大波が襲い来るナイトメアを二匹、三匹と打ち倒す。だが目の前に注意しすぎるあまり、後ろががら空きになる。
背後に気付いたのは、ナイトメアに射程範囲内まで入られたときだった。
「ああっ…!」
間に合わない。やられる。
思わず目をつぶる麻衣。衝撃波の放たれる音。だが、攻撃は来なかった。
恐る恐る目を開けると、ナイトメアは何者かの攻撃を受け、今にも消滅しようとしていた。


「よかった。麻衣ちゃん、大丈夫?」
目の前には、仲間であり先輩でもある朝倉優美が微笑んでいた。
「優美先輩!先輩が助けてくれたんですね!ありがとうございますっ」
麻衣はいささか大げさに、丁寧なお辞儀をした。
「自分が油断してたせいで先輩に迷惑かけちゃって…すみません!
もう、いっつも私、ドジだからみんなに苦労ばかりさせてしまって…」
「麻衣ちゃん、そんな大げさなことじゃないわ。私たち仲間じゃない、助けるのは当然よ。
ナイトメアは私が確実に仕留めたから、安心してね」
「はいっ!…って、あれ、優美先輩、失礼ですけど攻撃技を使えなかったはずじゃ…」
不思議そうな顔をする麻衣に、優美は微笑んでうなずいた。
「失礼じゃないわ、本当のことだったもの。でもね、頑張ったら使えるようになったの」
人を信じやすい麻衣は、優美の言葉をあっさり受け入れてしまった。
「そうなんですか…ああ私、もっと努力しないと…」
「新しい技を覚えたい?」
「はい!もっとみんなの役に立てるようになりたいんです」
「それなら、私のやった方法を試してみる?他の皆もそれで新しい技を覚えたのよ。
しかも、精神力を鍛えた影響で、運動や勉強でも新しい力を発揮できるようになったの」
麻衣は目を見張った。
普通の人間ならこんな通販グッズのような話は全く信用しないところだが、彼女は違った。
「あのっ…優美先輩!自分、能力でも水泳でも、人間関係でも未熟さに悩んでるんです。
最近は体重まで増えてきてる感じだし…節制が足りなくて」
麻衣は悔しそうに、自分の胸と尻に目をやった。
実のところ、愛らしい童顔に似合わぬスタイル抜群の体には男子生徒の注目が集まっているのだが、
そういった方面に疎い彼女にはトレーニングの邪魔としか映らない。
「大丈夫よ、麻衣ちゃん。全部上手くいくかは分からないけど、間違いなく成長できるから。私についてきて」

一方、科学庁の秘密研究室。
液状のリバースエナジーの満たされた巨大な培養槽が、無数に設置されている。
異形のナイトメアたちが数多く浮かぶ中…人間の女性が数体。
目を閉じ、安らいでいるように見える彼女たち。だが脳内では会話が弾んでいる。
「まあ、優美さんが新たな『仲間』を連れてきますのね」
「朝倉さん…どうやら新しい手段を用いたいらしいわ。自分の魅力の価値も分からない子に、ね」
「でも、智美お姉さま。新しい手段を使えば、あの子も自分の価値に気づくんでしょ?」
「そうだけれど、桐生院さんの能力を使えばすぐに洗脳できるのでしょう?それをいちいち…時間の無駄じゃないかしら」
「まあまあ、落ち着いてくださいませ。タナトス様も、見込みがあるから彼女を選んだのでしょう?」
「そうだよ。あたし達はタナトス様の操り人形なんだから、タナトス様の命じるまま動こきましょ」
「…そうね。さあ、そろそろ目覚めましょう」
3つの培養槽から液体が排出され、3人の少女がゆっくりと中から出てきた。
波打った金髪で、西洋の魔女あるいは女王のような大人っぽく険しい表情をした娘。
青いショートカットで、悪魔の姿をして鎖で己が身を拘束した、長身でスタイルのいい娘。
絹のような長い黒髪をし、和風の巫女服を妖艶に着崩した娘。
「さ、人間の姿をとらないとバレちゃうよね」

優美と麻衣を乗せた車は、科学庁研究所の前に止まった。
「優美先輩、科学庁とつながりがあるんですね!すごいです」
麻衣は目をキラキラさせ、尊敬のまなざしでひとつ上の先輩を見つめている。
「さあ、麻衣ちゃんこっちよ。他の皆もたぶん待ってると思うわ」
長い廊下を歩き、いくつもの扉をくぐり、二人はある部屋の中に入った。
全面が磨かれた金属でできたその部屋は、まるで鏡張りのようにすべてが映って見える。
「こんにちは、矢沢さん」
上品な物腰の3年生、篠原智美が美しい金髪を揺らして微笑む。
「ハアイ、麻衣♪よく来たね、元気?」
長身でスタイルのいい2年生、杉浦泉が気持ちよく笑う。
「麻衣さん、ごきげんよう。本日はお日柄もよろしゅうございまして」
世間ずれした挨拶をするのは、黒髪が美しい名家の箱入り娘、桐生院深雪。


「智美先輩、泉先輩、それに深雪ちゃん!みんなパワーアップしたんですか?」
驚く麻衣に、優美も含めた4人は笑って答えた。
「ええ、そうよ。私、自信がなかったけど、生まれ変わったわ」
「あたしも今まで悩んでたのがバカみたいって分かったわ。頭がすっきりした」
「深雪…自分の力の正しい使い道を知りましたのよ」
「私、攻撃技だけじゃなく、人に力を与える新しい回復技も今は使えるの」
以前よりも明るい表情で、自信に満ち溢れた美人4人。
彼女らに囲まれると、ますます自分が惨めに思えてくる。
「…先輩!私にも強くなる方法、教えてください!頑張りますからっ」
「麻衣ちゃん…強くなったら、私たちのために全力で敵を倒してくれるかしら?」
「力を得たら、あんたは運命の命じるまま動くようになるわ。いいの?」
「はいっ、優美先輩、泉先輩!」
戦いを好まないはずの優美、運命に従うことを好まなかった泉だが、麻衣は気付かない。
「じゃあ矢沢さん、使える素材になってくれるわね?足を引っ張る目障りな存在になったら…承知しないわよ」
「智美様、麻衣さんなら大丈夫ですよ。わたくし達が見込んだ、人間には珍しい逸材ですもの」
「智美先輩…深雪ちゃん…?」
だが、物腰柔らかなはずの智美と深雪の奇妙な発言には、麻衣も違和感を覚えた。
よく見ると…彼女らの瞳には、どこか異質な部分がある。
そしていつのまにか空気中に、青い霧のようなものが充満している。
頭がぼんやりとし、身体がふらついてくる。このままでは危ない。
「せ、先輩、ここから出ましょう!このままじゃ私達、危な……あうっ!?」
麻衣が動くより早く、背後から奇妙な金属の糸が巻きついて、自由を奪った。

「麻衣ちゃん…何が危ないの?
リバースエナジーが満ちて、こんなに力の出る空間なのに…ねえ」
振り向けない。だが磨かれた壁に、後ろにいる優美の姿が映っている。
銀色に輝く、露出が多く丈の短いセクシーな衣装。優しいようで無慈悲な微笑み。
優美に続いて智美、泉、深雪も次々に姿を変えていく。
明らかに人ではない、だがずっと妖しく、強く、美しい姿…ナイトメアと人間の融合体へと。

「そ、そんな…!みんな、ナイトメアに!?」
驚愕する麻衣に、4人の美しいナイトメアは笑い、しかし口々に言葉を叩きつける。
「そうよ。麻衣ちゃんが全っ然気付かない間に、ね」
「…矢沢さんが鈍いからよ。普通の人間なら気付くはずだわ」
「まあ、あんたが気付かないのは定めだもん。何やってもうまくいかないのも、ね」
「水泳でも人付き合いでも無能なんでしょう?水だけに…雑魚、と言う表現がぴったりですのね」
リバースエナジーで意識が朦朧とする中で、麻衣を責めさいなむ言葉が次々と飛んでくる。
「いやーっ!言わないでください!私…私、分かってるんですっ!私には何もできないんですっ!」
外見も声もほぼそのままの、かつての仲間。
ナイトメアと分かっていても、彼女らのいたぶりは恐ろしいほどの苦痛となって麻衣を苦しめる。
たまらず麻衣の精神は悲鳴をあげた。

もうイヤだ。自分がもっと何でもできれば、苦しむことも苦しめることもないのに。
「じゃあ、麻衣ちゃん…私達がお手伝いしてあげる」
拷問のようだった周囲の声が、急に柔らかくなる。
「矢沢さん…硬くなってはいけないわ。気を楽にして、力を抜いて…」
上品な智美の声が耳をくすぐる。
ぼんやりとしてきた視界の中に、花束が映り、目の前に差し出される。
甘い香りが鼻腔から頭の中に満ち…麻衣の思考は輝く夢の世界へと一気に飛んだ。


「はわぁ…」
麻衣の表情から覇気が抜け、口は開き、頭はゆらゆらと力なく揺れている。
肉体的にも精神的にも抵抗力を失くした体に、優美のコードがしゅるしゅると入り込んでくるのが感じられる。
感覚がぼやけ、誰かは分からないが…
首筋に熱い息を感じる。唇にも柔らかい奇妙な感覚がある。体を誰かが優しく触っている。
まさか自分に寄生する気なのか。彼女はうめいた。
「だ…駄目ぇ…わたし…ナイトメアなんかに…ぃ…」
だが、精一杯の抵抗のつぶやきを、優美の声が優しく否定した。
「麻衣ちゃんはナイトメアなんかにならないわ。麻衣ちゃんは人間だもん」
その声は身体の内外で振動となって、麻衣の脳内に幾度となく反響する。

「そうよ…矢沢さんは人間だわ」
「麻衣がナイトメアなわけ…ないじゃない」
「ご安心くださいませ、麻衣さんは…人間ですのよ」
「麻衣……人間……ナイトメアの……」

甘い囁きが、絶えず耳をくすぐり、脳内に到達する。
しかしとろけるような夢の中に落ちていく麻衣に、もはや意味は理解できない。
体のあちこちに刺激を感じながら、麻衣は意識を失った。


どれくらい経ったのだろうか。
「…はっ!?」
麻衣はがばっと身を起こした。
だがそこは科学庁ではなく…見慣れたアカデミア学院の教室だった。
「あ、あれ?私、いつの間に学校へ…」
「何やってんの、麻衣?寝ぼけてる?」
教師やクラスメートがまたか、という目で麻衣を見ている。
「いくらうっかり者だからって、夢と現実ごっちゃにしないでよねー」
「ご、ごめんなさいっ!」
授業を聞き流しながら、麻衣はこっそりと自分の体を調べてみたが、何かをされた跡はない。
優美に体を侵食されたのをはじめ、何かをされた感覚はあったが、気のせいらしい。
妙に鮮明な夢だったが、戦い詰めで変なことを考えてしまったせいだろう。
授業終了後、彼女はいつも通り屋内プールに向かった。久々にずいぶんと体が軽い。
「麻衣ちゃん、なんだか今日は顔色がいいね」
マネージャーの里香も、出会い頭に少し驚いて言った。
「うん、なんだか調子がいいの。スランプ治ったかも」
「じゃ、着替えてきて…。すぐウォームアップ始めよう。あたしは計測用具借りてくるね」

更衣室で麻衣は服を脱ぎ、いつも通りの水着に着替えようとした。
だが、鏡に自分の姿を映したとたん…彼女は何かの異変を感じた。
いや、気付いた、と言った方がいいのかもしれない。
自分の肉体。幼さを残す16歳としては、抜群に発育した肢体。そして愛らしい顔。それが生み出す魅力に。
「私の体…こんなに、立派だったんだ」
鼻の奥で、一瞬つんと甘い香りが広がったような気がした。
そのかぐわしさに一瞬視界かぼやけ…
次の瞬間、麻衣の身体には、普段と違う服が装着されていた。
先ほどまで着ていたジャージとも、着ようとしていた水着とも違う。
まるで皮膚のように薄く柔らかい、それでいて金属のような光沢を持ち、ぴったりと張り付く素材。
その表面には模様が走り、意味ありげに妖しく明滅している。
全身を覆うようでいて、ところどころに切れ目が入り、肉体の際どさを演出する。
それが水着なのか自分の体なのか、麻衣には分からなかった。
分かるのは、それが恐ろしいほどに着心地よく、また視覚的にも心地よいということだ。


「イヤ…わ、私、何考えてるの?こんな、か、格好で人前に出たり、ま、まさか泳ぐなんて…」
だがその独り言と裏腹に、体は更衣室から外に出て、その姿を人に晒そうとしている。
ドアの前で、麻衣は必死に抵抗した。頭が痛い。体がうずく。
「や、やだ、見せたく、…見られた…みられ…た…いっ?」
この姿。みんな見たらどんな顔をするだろう。間違いなく注目する。
「見られた…いぃ…見せる…みせるぅ…魅せるわ」
そう言葉を発した瞬間、麻衣の心身はすうっと楽になった。
男どもの意識は釘付けになるだろうし、女からは違った視線が飛んでくるだろう。
どんな顔をするのか。期待で麻衣の胸が高鳴った。
彼女は更衣室を飛び出すと、飛び込み台へと駆け上った。
「あ…あれ、麻衣?」
「え…」「うわ」「すごい…」
案の定、突然の麻衣の挙動とその姿に、多くの視線が集まる。
だがそれだけでは不満だった。もっと、もっと。
「うふ、ふふふ。もっと見てっ。魅せてあげるからぁ」
我慢できなくなって、思わず麻衣は超能力を使った。
彼女のシンボルである「水」が飛び込み台から、雨のようになって屋内プール全体に降り注ぐ。
花のような甘い香りと、薄桃のような色がついた雨。
「あ、ああ…」「ん…」「おお…」
水に溶け、プールサイドの内外にいた全ての人間がそれを浴びた。
たちまち誰も彼も、麻衣を見つめ、その魅惑的な体と、それ以上の何かに釘付けになる。
「里香ちゃん…まだいないの?じゃあ…ひと泳ぎしよっと」
ふわりと麻衣は台から身を躍らせ、かぐわしい香りを放つプールに飛び込んだ。


「な…何?どうしたの、これ?」
戻ってきた里香はその異常に気付いた。
芳香を漂わせるプール。うつろな目をした人々。そして、その視線を一手に浴び、気持ちよさそうに体から水を滴らせる麻衣。
「麻衣ちゃん、何やってるの!?勝手に泳いじゃ駄目じゃない。
そ、それに…どうしたの、その格好?」
それに答えず、麻衣はすっと里香の方へ近寄る。
里香はどきりとした。麻衣から立ち上る素敵な香り。そして妖しく濡れた体に。
「里香ちゃん…私、頑張ってるよ。すごいでしょ、この体?私の素敵な身体」
「な、何言ってるのよ、麻衣ちゃん…」
「もっともっと努力しなきゃ。私より素敵な人、いっぱいいるもんね…もっと魅力的に…ふふふっ」
「ま、麻衣ちゃんおかしいよ!いつも言ってる『ナイトメア』に何かされたの?」
その言葉に…麻衣はびくっとした。
身体にはりついた衣服が、きゅっと身を締め、模様が不気味に光る。
「んあうっ」
そして次の瞬間、彼女はより一層妖しく、不気味に微笑んだ。
「そんなわけないよぉ、里香ちゃん…私は人間…人間だもんっ…くだらない人間なの…」
その手がすうっと伸び、里香の身を優しく、しかししっかりと包む。
「私は人間だから…ナイトメアなんかに、かなわないの。里香ちゃんにも教えてあげる」
麻衣は唇を里香に近づけた。
甘い香りが、超能力を持たない里香の自意識をたやすく狂わせる。
「ま…麻衣…ちゃん」
「里香ちゃん…里香ちゃんは友達っ…大好きっ…だからぁ…」
里香は頬を紅潮させ、ものほしそうに口をそっと開いた。
それに応えるように、麻衣の口から何かが覗いた。
彼女の衣服とよく似た色の、液体と固体の中間物質でできた、蛇か蟲のような物体。
麻衣の口から顕れたそれは、拠り代を欲しそうにふるふると動いている。
「さ、里香ちゃん…」
「うん…麻衣ちゃん…」
唇が重なり、深く絡み…麻衣の喉から里香の喉へ、物体が流し込まれる。
喉を鳴らし、里香はそれを飲み込んだ。
「はぁう…麻衣ちゃん…大好き…」
ぐったりして、口から液をしたたらせたままの里香を、麻衣は満足そうに見つめている。


「よくやったね、麻衣ちゃん」
声の方を振り向くと、そこには優美、智美、泉、深雪という4人の少女…
いや、4体の女性型ナイトメアが微笑んで立っていた。
「ああっ、優美先輩…みんな…キレイ…」
今の麻衣にはなぜか、ナイトメアが恐るべき敵と映らない。
いや、むしろなぜナイトメアを敵だと思っていたのだろう。
美しく、強く、人間よりはるかに優れた精神力を持つ、進化した生物なのに。
「矢沢さんも人間にしては見事よ。私達の宿題、ちゃんとこなせるようになったのね」
見下した目で高慢に言い切る智美の言葉も、麻衣にとっては心地よかった。
「そ、そんな、私みたいな人間なんかが、智美先輩にほめてもらえるなんて…」
「何言ってんのよ、麻衣。人間の分際で智美お姉さまのお言葉に恐縮するの?
あんたはナイトメアの下僕なんだから、大人しく礼だけ言っておけばいいの」
明らかに人間と異なる姿をした泉が、冷たく言う。
「す、すみませんっ、泉先輩…この矢沢麻衣、卑しい人間でありながら…」
深雪がくすくす笑いながら割って入った。
「まあまあ、麻衣さんがそこまで恐縮する必要はございませんのよ。
智美さんだって泉さんだって、麻衣さんの価値を見出したからその身体に『技』を仕込んだのですもの。
麻衣さんは人間とはいえ、優れた人間ですの」
「『技』…?」
いぶかしむ麻衣。
「それについては、この僕が説明してやろうか」
いつの間にか彼女たちの後ろに、一人の若い男が立っている。

「ああ…タナトス様」
ひざまづく女性型ナイトメア達を見て、麻衣は慌てた。
「タナトス様!?偉大なるナイトメアの長ですか?そ、そんな方が」
「かしこまる必要はないよ、矢沢麻衣。
君に手伝ってもらいたいことがあったので、彼女らを通してお願いしたんだ。…説明してやれ」
彼女らは一礼すると、麻衣に微笑みかけた。
「ナイトメアに超能力を持つ人間を襲わせ、その体を奪う…それが私達のやり方だった。
でもそれでは、人間の精神力に阻まれる可能性も高いし、手間がかかるの。
大量のナイトメアを作り出すのも、能力を持つ人間を探すのも時間が必要だしね」
「だから人間を使って、その体でナイトメアを培養するテストをしてみたかったのよ。
人体で孵化したナイトメアなら、能力を持たない人間に寄生できるかもしれないとタナトス様はお考えになったのよ。」
「手始めに、麻衣。あんたの体を改造して、あたし達の分身を注ぎ込んでみたのよ。
吐き出されたり、あんたが自分をどうかしたらマズかったけど…
まあ、あたしがあんたの体に楽しいことをたっぷり仕込んであげたからその心配はなかったね」
「深雪がたっぷり後催眠をかけたから、もともと心配する必要はなくってよ。
…ああ、お召し物は、優美さんがナイトメアの因子をたっぷり含んだ素材を用意してくださいましたの。
体内と体外からくるナイトメアの力に、体がうずいて仕方なかったでしょう?
能力も高まったようですし、わたくし達としても驚くほどの大成功ですわ」

麻衣は驚いた。
自身の体内と肌にナイトメアが住み着くことが、こんなにも嬉しく、心地よいことに。
「矢沢麻衣。お前にはこれからも、ナイトメアの培養体として働いてもらいたい。
役に立たない人間たちを僕達の奴隷として使ってやるためにね。
十分な活躍ができれば、お前もいずれ僕の分身として生まれ変わらせてあげるよ」
「ほ、本当ですかタナトス様!」
もはや麻衣は我慢できなかった。
体の中と皮膚でうずく感覚が高まっていく。
もっと多くの人間にナイトメアを植え付けてやりたい。
自分は、人間という卑小な生き物を救ってやる権利を持っているのだ。
本当ならさっさと人間を辞め、全滅させてやりたい。
だが自分の主人と、尊敬する先輩達は奴隷を所望しているのだ。
「私達も手伝うね、麻衣ちゃん。
麻衣ちゃんほどじゃないけど、私達も素体は人間だからナイトメアを培養できると思うの」
「嬉しい…私、頑張りますっ!
早くナイトメアになれるよう、全力で人間どもの精神を喰らいますね。
持って生まれたこの肢体と能力は、タナトス様とナイトメアに尽くすためだったんだぁ…。
ああ、私生まれ変わったみたい…みんなにもこの感覚、教えなきゃあ…」
「そうとも。そこにいるお友達のようにね」
タナトスの指差した先には、里香が立っている。
ナイトメアを完全に受け入れたらしく、奇妙に輝く目からは意思が消え去っている。
脱ぎ捨てた服の下には、麻衣とよく似たスキニースーツが装着されていた。
「麻衣ちゃん…あたし、ナイトメアになったよ…
みんなにも、この感じ、教えようよ…」
里香に促されて、麻衣がさっそく次の獲物を選ぼうとしたとき。
「麻衣お姉ちゃん!美海、泳ぎに来たよ」
プールの外から、何も知らない幼く無垢な少女の声が聞こえた。

この日から、ナイトメアに関する都市伝説はすさまじい勢いで下火になっていく。
代わりに麻衣から、そして4人の女性型ナイトメアから常人寄生用ナイトメアが広がる。
そしてその過程で発見されていくナイトメア培養素体から、また…。

人間よりナイトメアの人口の方が多くなるのも、そう遠い先のことではないだろう