サーカディア・ナイトメア泉


智美の演奏会から数日後のこと。
昼休みの学院中庭で、超能力を持つ女の子たちが集まっていた。
高等部1年のスポーツ科で水泳部の矢沢麻衣。
初等部=いわゆる小学校6年の如月美海(きさらぎみみ)。
史学科1年で、箱入り娘の桐生院深雪(きりゅういんみゆき)。
そして音楽科2年の杉浦泉。
「朝倉先輩は特化コースに行ったんですよね!それじゃ一緒に戦えないじゃないですか!」
少しクセ毛のショートカットの麻衣が聞いた。
「まあ、それは素晴らしいことではございませんの?…違いますの?」
いかにも日本女性といった感じの、しかし世間とずれている深雪は首をかしげている。
「麻衣お姉ちゃん…優美お姉ちゃんはもう美海達と一緒に戦えないの?」
服装にも顔立ちにも幼さを残す美海が、心配そうに聞いた。
「美海ちゃん…特化コースの勉強の厳しさは有名なの。
課題を終わらせられたら別だけど…すっごく頭いい人でも大変みたい」
「そうなんだ…優美お姉ちゃん…」
「泉さん、占いで分かりませんの?優美さんの勉強の進み具合とか」
深雪のその言葉に、全員が泉の方を見た。
「あーもう、分かったわよ!すぐやってみるからそんな見ないでよ」
嫌がりながらも、彼女は手早くタロットカードを取り出した。
泉の占いと言えば音楽科のみならず学院内でよく知られている。
超能力というほどではないが、なぜか的確に状況を推測・分析できるのである。
さらに泉本人のアドバイスも分かりやすく、吉凶どちらが出ても励みになるのが特徴だった。
力を入れているバンドよりも占いの方が人気なのを本人は気にしているが、頼られて悪い気もしない。
手馴れた動きで、すぐにその結果は出た。が、泉は怪訝そうな顔だった。
「…あれ?何これ」
「どうしたんですか、杉浦先輩?」
「今までに出たことない変な結果…。優美の勉強運は最高。運動運も最高」
「まあ。優美さんは体育がお嫌いではありませんでしたの?」
深雪に言われるまでもなく、優美が体育苦手なのは見た目で想像がつく。それが最高とは。
「で、優美お姉ちゃんは美海たちと一緒に戦えそうなの?」
「それがさあ…現在仲間運最悪、でも次第によくなっていくって出てるんだよね」
「まあ。それではいずれ戻ってらっしゃるのですね。…泉さん、納得いっておりませんの?」
タロットカードをしまいながら浮かぬ表情の泉に、深雪は心配そうに聞いた。
「あ、うん、なんか意外だったからね。…じゃ、あたし作曲あるから。みんなまたね」


音楽科の個室にこもってシンセで作曲。泉の日課だが、どうも手につかない。
確かに優美の運動運は意外だった。
だがそれよりも泉にとって驚きで、嫌だったのが、こっそり占っていた相性だった。
優美と、自分の嫌いな先輩の篠原智美が、相性最高。
現在の仲間運というのも、半ば本当で半ばは嘘だった。
実際に出た結果は「優美・智美との相性最悪。ただし泉と智美の相性はいずれ最高になる」。
なんで篠原先輩なんかと、という気持ちからつい嘘が出た。

「…あーもう、調子悪いわ。イライラする」
この不機嫌はここしばらく、智美とケンカする前からずっと続いていた。
バンドでプロデビューを目指していた彼女に、先日プロデューサーがダメ出しをしたのだ。
「君の音楽は、全て何かの真似ごとだ。プロになるために決定的な何かが欠けている」
それがプロデューサーの言葉だった。
そんなつもりで作曲をしてきたわけではなかった。
だが聞く人間のことを考えてしまい、結果的になじみのあるような曲になったのも確かだ。
しかし自分流の作曲をしても「独創的すぎて…」と言われるのがオチなのだ。
「あーもうイラつく!何なの偉そうにあのオヤジ!これでもくらえっ」
腹立ち紛れに力を放つ泉。タロットカード状の気弾が壁に突き刺さり、すぐに消えた。
苛立ちが収まらない。先日それがつい、煮え切らない篠原智美への怒りとなって顕れた。
智美も、周囲の人間も、レコード会社も…そして自分も、全てに腹が立って仕方ない。
「…は〜、こんなんじゃ弘樹と一緒にナイトメアやっつけにも行けないっての」
心を落ち着ける必要がある。彼女はタロットカードセットを取り出した。

「あくまで占いであって運命じゃないからね。人生決めるのは自分でしょ」
彼女の口癖である。
それを反映してか、彼女自身を占うと常に「運命の輪」=変転する未来、のカードが出る。
だがそれは、明確な指針が出ないということでもある。
他人のことを見れても自分のことは分からない、そこに彼女は孤独を感じていた。
長身で、スタイルも良く、健康的な褐色の肌をした大人っぽい彼女にも悩みは尽きないのだ。
「誰か、あたしに明確な運命出してくれないかな…」
明日の天気などどうでもいいことを占いながら、彼女は無意識のうちにつぶやいていた。
そこに誰かが扉をノックする。
「開いてるから入っていいよ」

普段ここまで来る暇人と言えば共にナイトメアを倒す仲間を探す弘樹くらいだが、入ってきたのは優美だった。
「こんにちは、泉さん」
「優美じゃない。珍しいね」
同い年ではあるが、しっかりと泉の性格を分かっているため優美のことは嫌いではない。
「優美、特化コースに転籍になったんでしょ?あんまし顔見ないから弘樹とか心配してたよ」
「そうなの。でも仕方ないわ」
淡白な反応に、おや、と泉は思った。
弘樹との相性を占ってほしいと訪ねて来たときは、いい結果が出たことで喜んでいたのに。
「あれ、あんた服のセンス変わった?前と制服の着こなし違うじゃない」
泉が驚くのも当然だった。
以前の優美は真面目一辺倒とまではいかないまでも、規則に違反しない制服の着方をしていた。
だが今はスリットの入った短いスカート、ヘソ出しに胸元をアピールした袖なしの上着といった改造制服を着ている。
優美自身の見た目が清楚であるだけに、不思議なアンバランスさとセクシーさがある。
それを言うと、優美は頬をかすかに赤らめた。
「ご、ごめんなさい。特化コースの友達がどうしてもって薦めるし、制服の加工も許されてるからつい…」
その純粋な様子に泉は安心した。いつもの優美だ。
「いいんじゃない?むしろそういうセンスあたしは好きだよ」
「でも、なんだか偉そうじゃないかしら。自分だけ好きなように制服を着るなんて…」
「与えられた権利を使わなかったら宝の持ち腐れじゃん。それに特化コースに入ったのはあんたの実力でしょ?」
いつも通り話が弾む。やはり相性最悪なんてバカバカしい結果だった。
となると…智美との相性も、妙に気になってくる。
そもそも叩いたのは明らかにこっちが悪い。今さら謝りに行くのも気まずいが、顔見せくらいはしておくべきか。
「…ゴメン、あたしちょっと音楽科の用事あるんだ。せっかく来てくれたのに悪いね」
「ううん、いいの。久しぶりに泉さんと話して元気出たわ」
そそくさと出て行く泉を見送りながら…優美の瞳がナイトメアのものに変わった。
「私の分身に会いに行くのかな…ふふ、待ってるわ…」
露出した腹部や鎖骨に、うっすらと奇妙な模様が浮かび上がった。


音楽科ピアノホール。どうやら今日の智美はそこで練習するらしい。
と、入口に話好きのピアノコース生が何人かたまっている。
「…篠原先輩、最近ますますムカつくよねー」
「親の七光りでますます偉そうにしててウザーい」
「でもうらやましいよね、私も親が有名人だったらなあ」
また、こういう連中か。泉が何かイヤミでも言ってやろうとしたとき、その後ろから声が響いた。
「私のことについて話すより練習したらどう?そうでなければどこか行って。邪魔なのよ」
鋭い声に、学生達は慌てて逃げていく。後ろを振り向くと、当の智美本人が険しい表情で立っていた。
泉は開いた口がふさがらなかった。彼女の知っている智美は、上品すぎて何も言えない癪に障る人だったから。
「杉浦さん…感謝するわ。この私のために、何か言ってくれようとしたのね」
波打つ金髪をなでながら、智美は自信満々に言った。
こういう先輩なら、多少気取ってはいるが弱気であるよりむしろいい。だが、明らかにおかしい。
先日の演奏会で見せた態度や演奏と言い、何かが違っている。
謝るよりもむしろそちらの方が気になった泉は、質問をぶつけることにした。
「あのさ、篠原先輩。なんかあんた変わったような気がするんだけどさ、なんで?弾き方も含めてさ」
その言葉に、智美は急に以前のような弱気な微笑みを返した。
「ちょっと、演奏の仕方でコツを習って…でも自分では納得いかないからイライラしていたの」
自分にとって理想的な演奏と他者の求める演奏が違うのはあり得る。しかし、それだけでは妙だ。
「杉浦さん、よければ私の演奏聴いてくれる?ちょっと意見が欲しいの」
何かある。変化の理由を探るためにも、泉は彼女の演奏を聴くことにした。

ピアノの前に座る智美と、その横に立つ泉。
智美の白く細い手が鍵盤に触れた瞬間、泉はくらくらとする、酔うような感覚を覚えた。
演奏会の時と同じだ。音色以外の何かが作用する、嫌な感覚。
しかしその正体を突き止めようと考える泉は、逃げようとせずその感覚に耐えようとした。
聴くことと耐えることに集中するあまり、周囲に意識が行かなくなる。
いつの間にか背後に優美が立っていたことなど、全く気付かなかった。
「…うっ!?」
優美が背後から抱きつき、泉の露出したヘソに指を軽く押し込む。
同時に、智美が手に花びらを作り出し、泉の口に放り込んだ。
口から鼻、喉、頭に広がる強烈で甘美な匂い。そして腹部から脳髄を揺さぶるような衝撃。
びくんびくんと何度か痙攣した後、泉はうつろな目で立ち尽くすだけになった。
「…篠原さん。私の横に座って、この天才的な演奏をよく聴くといいわ」
智美はもうピアノなど弾いていないが、言われるがまま泉は彼女の横に座り
演奏に合わせるかのように頭をゆらゆらと揺らし始めた。
「寄生させるのに成功しましたね、智美さん。次はどうしますか?」
「…私がやるわ。杉浦さんがタナトス様に大人しく仕えるようにしないと」
瞳をナイトメア化させ、手や頬に奇妙な模様を浮かび上がらせた智美が、泉の額に手を触れた…


砂漠の中にそびえ立つ塔。その頂上にはエジプト風の神殿があり、神を祭るオルガンらしき楽器がある。
「うそっ、あたし…ナイトメアに追い詰められたの?いつの間に…」
ここが自分のイデアだということは、自分の根幹でもある楽器があること、プライドを示す塔の頂点に自分がいることで分かる。
「…西洋タロットじゃなくてエジプトタロットのイメージなあたり、さすがあたしだな」
よく分からないところで自信ありげにつぶやく彼女に、小型のナイトメアが襲ってきた。
だが、彼女の手に1枚のカードが収まった途端、そのまとっていたバリアが消える。
次の瞬間にはカードが刺さり、ナイトメアは跡形もなく消滅した。
「あんたらの手の内なんて見えてるのよ」
襲ってくるナイトメアは次々と障壁を打ち消され、続く攻撃で散らされていく。

息ひとつ切らさず雑魚を一掃した頃に、巨大なナイトメアが現れた。
スティールワイヤーに似ているが、より有機的な物質でできた奇妙な姿。
そのコアはグロテスクな花に見えないこともない。
問答無用で泉はタロットカードをうならせる。が、ナイトメアの動きは思った以上に機敏だった。
花の部分を軽くかすっただけで、数枚の花びらが甘い匂いを残し、ひらひらと散る。
「杉浦さん…あなた変わらないのね」
ナイトメアから発せられる聞き覚えのある声に、攻撃を続けようとしていた泉の手が止まる。


グロテスクな姿が急に小さくなったかと思うと…篠原智美の姿に変わった。
巨大だったコアは彼女の髪に飾りとして挿され、ツタが彼女の細い体を締め付けるように伸びている。
妖艶な黒のナイトドレスと相まって、恐ろしいほどの美しさが出ている。
「ちょ…ちょっと、篠原先輩!そんなまさか…」
「ふ…私は生まれ変わったのよ。くだらない人間を超越した存在に」
静かな口調と裏腹に、その表情は険しい。人間が目障りでしょうがない、そういう目で泉をにらんでいる。
「ば…バカ!なんであっさりと敵になっちゃうのよお!」
好みや性格が合わなかったとはいえ、音楽に対する姿勢は間違いなく音楽科随一だった。
周囲の期待と自分の理想のギャップさえ克服すれば、いい演奏家になれると密かに認めていた。
でもまさかナイトメアの手に落ちるほど、心に隙間があったなんて。
「…あんたが悪いんだよ、篠原先輩。悩みぶちまけられずに、そんな奴にとり憑かれちゃってさ!」
苦し紛れにイヤミを放つと、泉は容赦せずにカードを放った。
一度ナイトメアに乗っ取られたら、救う手段はないと弘樹から聞いていた。
智美のためにも自分のためにも仕留めるしか道はないのだ。
一方、ナイトメアから人間の姿になって一層身軽になった智美は次々と攻撃をかわす。
とはいえ先見性のある泉の攻撃を完全に避けきれるものではない。
彼女の体に絡みついたツタや花が切り落とされ、その白い肌にも細い傷がところどころ付く。
しかし、その目に浮かぶ見下すような感情はまったく消えることがない。
「篠原先輩…いや、ナイトメア。あんたの偽先輩面見るの、最後にしてやるよ」
彼女は手元に20枚以上のカードを取り出した。
…だが、そのカードは放たれる前に、すうっと消えうせた。
「…え?」
その上、泉自身からもエネルギーが消えていく。がくりと体が崩れる。
気がつくと…切り落とした花やツタが、彼女の体のあちこちにまとわり付いている。
エネルギーが吸い上げられ、奪われていることに、泉は今になって気付いた。
「攻撃されてることにも気付かないなんて…不完全な意識体ね。
不愉快だから、あなたを進化させてあげるわ、杉浦さん」
冷酷な笑みを浮かべながら、智美が泉の方へ手を伸ばした。
ツタが絡まりあい、泉の首と両手両足に巻付く。まるで囚人を縛る鎖のように。
「ちょ、ちょっと!離して、よ、あ、あうっ…」
首に巻かれたツタから花が伸び、彼女の顔に花粉を吹き付けた。
甘い香りに体がしびれ、頭の中で妙なる音楽が響く。クラシックピアノの音だ。
「さあ、大人しく来るのよ…杉浦さん」
智美はツタを引き寄せると、神殿の中へ入っていく。
泉は今にもおかしくなりそうな意識を必死で保ちながら、それに引きずられるしかなかった。


白い大理石でできた神殿の奥にある、どこの様式とも言いがたい造りのオルガン。
その前に泉は座らされていた。
ツタがオルガンに絡みつき、もはや逃げることはできない。
「さあ、杉浦さん。私の言うとおりに、クラシックの曲を弾くのよ」
「い、嫌…よ…!誰が、クラシック…なんか」
嫌うことにさしたる理由があるわけではない。
音楽を創り出そうとする者として、古いというだけで崇められる曲に尻尾を振りたくない。
ただそれだけの理由だが、人間のイデアというのはそういった「思い」で構築された世界である。
そのイデアの中で、嫌っている音楽を強要されることは想像を絶するダメージとなる。
泉の精神は本能的にそのダメージを避けようとした。
「ぐ、うぐっ…」
首に巻かれたツタが絞まり、同時に花が花粉を吹き付け、耳元で音楽を奏でる。
目の前にあるオルガンが、グランドピアノへと変貌した。
もはや拒む余裕もなく、気を失いかけながら彼女は弾いた。脳内に鳴り響く曲そのままを。自分の味を加えることすら許されず。
「い…いや…だ」
全身に激痛が走る。意思を浸食され、彼女の塔が次第に砂の中へ沈んでいく。
「そうね、杉浦さん…次は、あなたの嫌いな流行の曲を弾いてもらうわ」
「……!」
自分から望んで、将来のためと割り切って弾くなら、それは我慢できる。
だが嫌いな曲を、何の利益もないと分かりながら弾かされるほどの屈辱はない。
ましてや1年後には忘れられそうな曲を…
「あ…が…うがぁ」
少しでも抵抗の意思を見せればツタが彼女を責めさいなむ。もはや泉に普段の強気さはない。
「やめ…かはっ、やめて…篠原先輩…篠原智美さん…」
顔色ひとつ変えず、智美は言い放った。
「…先輩の私に命令?おしおきよ」
「ああがあ…!ご、ごめんなさい、智美…さま…」
智美はふっと笑うと、彼女の髪に挿した黒バラを泉の顔の前に差し出した。
黒い花粉がむわっと泉の鼻に、口に、目に入り込む。
「あ…あう…うっ…?」
泉の顔から苦痛の色が消える。目の焦点が定まらなくなり、世界が金色に見え始める。
「…ご褒美よ、篠原さん。痛みを和らげてあげる」
「ふわ…あ…ありがとう…ございますぅ…」
また大きく塔が沈んだ。
「さあ、弾きなさい」
しゅるしゅるとツタが伸び、彼女のヘソや腹部、感じやすい部分を刺激する。
頭に張ったツタは彼女の記憶を読み取り、彼女のアイデンティティを崩す音楽を探し続け、彼女の耳元で鳴らす。
そして体に巻きついた植物は彼女の衣服を切り裂き、彼女を支配する衣にならんとする。
彼女の思念が崩れるに従い、オルガンだった楽器はピアノから、歪み、ねじれ、穢れていく。
「い…いや…がっ…くはあぁ…はぅん…ぐ…ふうぅ…とも…みさまぁ…」


どれだけそれを繰り返しただろうか。
気がつけば塔は地中深くに沈み、神殿の中は闇に包まれている。
智美は長い間沈黙したまま、楽器を弾き続ける泉を見つめている。
その泉の服は、エジプトの巫女を思わせる露出の多い衣に変化している。
もはや苦痛も、それを和らげる脳内麻薬も感じなくなったのか、淡々と弾くだけだ。
不意に泉の耳元の音楽が止んだ。びくっと泉が震える。
「智美さま…何を弾けばいいの」
「あなたの好きな曲を弾きなさい」
泉は動かない。
「智美さま、命令して。そうでないとあたし弾けない」
智美はにこりと微笑んだ。
「杉浦さん、弾く曲をあなたの中に埋め込んであげるわ。タナトス様を称える賛美歌を」
「たなとす…?」
「考える必要はないわ、杉浦さん…」
ツタが伸び、泉の体内に入り込み、ナイトメアの種子を埋め込んだ。
「空っぽになったあなたの意思に、すぐ種子が根を下ろすわ…
さようなら、人間の杉浦さん」
智美が消えた後、泉はぶるっと体を震わせた。
「はうっ…あ、ああ…」
種子は次々と発芽し、人形と化した泉のイデアに合わせて独自の進化を遂げた。
地獄に最も近い地底で崇めるもの…それは神ではなく、悪魔。
泉の肌が青白くなり、コウモリのような翼が背中から生え、角が伸びる。
首と手足に巻かれたツタは金属の鎖となり、スタイルのいい泉の肉体を拘束する。
鋭く爪の伸びた青い指によって、オルガンが悪夢のような音色を奏で始めた。
「あたしは杉浦泉…。タナトス様の巫女にして、従順なしもべよ…」
内部に忌まわしい模様が浮かび上がった神殿。泉はその巫女にして、虜となった。
永遠に従順に、オルガンを奏で続ける悪魔へと……


「目覚めた気分はどうかしら、杉浦さん?」
智美の質問に、泉はどこか覇気のない笑顔で答える。
「智美お姉さま…とてもいい感じよ。何も考えず服従することがこんなに気持ちいいなんて」
「では、片山弘樹については、どう思うかしら?」
「かたやま…ひろき…?」
一瞬ぼんやりとした表情になる泉。だが、答えは速かった。
「あたし達のご主人様の敵よね。弱い人間を守ろうとする、愚かな奴よ」
今度は優美が聞いた。
「泉さん、弘樹の側に私たちと同じ力を持った人間がいるよね。
どうすればいいと思うか、泉さんの意見があったら聞かせてほしいわ」
泉はきょとんとした顔をしている。
「質問の意味が分からないわ、優美様。あたしに命令してくれない?」
優美は嬉しそうににこりと笑った。
「智美さん、面白い寄生のさせ方ね」
「可愛いでしょう?自分の生き方、とか言ってた人間も私の力でこうなるのよ」
「うふふ、扱いやすい駒ができたね」
優美は再び泉の方へ向き直ると、言った。
「じゃあ、泉さん…あいつの仲間をタナトス様の下僕へと目覚めさせてほしいの。できる?」
「やるに決まってるじゃない、それがタナトス様のお望みなら」
「じゃあ篠原さん、いつも通り占いをしながら、あの人間の仲間が来るのを待つのよ。
そしてチャンスが来たら動きなさい。
あなたは私たちの…そしてタナトス様の分身。あなたの思念は私たちにもすぐ届くわ。いい?」
泉は微笑んだ。ただしいつものような明るい笑いではなく、人形のようなうつろな目で。
「人間のように感情のあるふりをして紛れ込めばいいのね。わかった、智美お姉さま、優美様」

こうして今日も泉は中庭で占いをしている。
以前にも増して的中率の上がった彼女の占いだったが、その分効果的なアドバイスは減った。
「あたしはナイトメア、杉浦泉。タナトス様の操り人形にして使い魔。
もっともっと、あたしと同じ人間型のナイトメアを生み出さなくちゃね…」
誰もいない時、カードを整えながらこうつぶやく泉の姿があった。
彼女がうっとりと見つめるのは、悪魔のカード。堕落・誘惑を象徴する。堕とされ、新たな獲物を待つ、今の彼女自身でもある。