サーカディア・ナイトメア優美



海上都市ブルージェネシス。
科学庁の技術力を結集した計画都市で、事実上科学庁の自治都市でもある。
人体・環境に無害かつ尽きることを知らない次世代エネルギー「リバースエナジー」を都市運営に用いるこの都市は
その将来性などを見越して住民も増え、発展の一途をたどっていた。

しかしいつからか、妙な噂が流れ始めた。
リバースエナジーの飽和しているところには、異形の化け物「ナイトメア」が現れる。
「ナイトメア」に襲われた人間は意識不明になるか、あるいは目覚めても凶暴化する。
とはいえ、いわゆる都市伝説であるという説がほとんどであり、
ナイトメアとリバースエナジーの関連性について調べようとした者がしばしば行方不明になっている事実は驚くほどに知られていなかった。

しかしナイトメアは実在した。
そしてそれを見ることができ、退ける能力…いわゆる「超能力」を持つ者もいたのである。

この都市唯一の総合学院、アカデミア学院。
そこの高等部普通科に通う少女・朝倉優美もそのような能力の持ち主である。
元々自分の能力を隠してきたのだが、ナイトメアを倒そうとする転校生の少年・片山弘樹と知り合うことで
彼女は自分の力を使う場所、そして弘樹を通じて同じ超能力者の仲間を得たのである。
とはいえ、彼女には別の悩みもあった…。

「ごめんね、弘樹君…私、今日はどうしても用事があって一緒に戦えないの」
放課後になると仲間同士で集い、ナイトメアの撃退や発生原因の調査に赴くのが彼らの日課である。
「いいんだよ、優美ちゃん。いつも一緒に戦ってくれてるんだから1日くらい」
まだ幼さを残す顔立ちの弘樹は、いつも通りおっとりした笑顔で言った。
今日の優美には、その優しさがいっそう苦しかった。
「私…攻撃技を使えないから、いつも弘樹君の足を引っ張ってばかりね…」
「そ、そんなことないよ!優美ちゃんみたいな回復能力を持ってる仲間はいないし。回復できないとつらいよ」
何の気なしのその言葉に、優美はますます責任を感じてしまった。
「とにかく、今日は大丈夫だよ。また明日から一緒に戦ってくれれば」
「うん…本当にごめんね…」

とぼとぼ帰りながら、優美はうつむいたままだった。長くきれいな髪が顔にかかり、澄んだ緑の瞳にも力がない。
おっとりした性格で一見頼りない弘樹だが、戦闘となると強力な攻撃能力を駆使して戦える。
一方、いかにも清楚な少女といった感じの優美は回復と防護の技しか使えず、1人では戦えない。
弘樹に憧れている彼女にはそれが不満だった。
「超能力はそれぞれの心のかたちが具現化したもの」というが、自分には戦うための何が不足なのだろう。
このままではいけない。そう思いつめるあまり、優美の精神は安定を欠いていた。
それゆえに、メトロから降りて自宅に戻るまでの道に、1人の青年が立っていることにも気付かなかった。

「…待っていたよ、朝倉優美」
名を呼ばれ、彼女は驚いて顔を上げた。
目の前に立っているのは端正な顔立ちの、自分より少し年上と思われる青年だった。
その顔には新聞か何かで心当たりがあった。確か、科学庁の。
「確か…私たちと年がほとんど違わないのに科学庁の高官になってる…」
「御剣晃だ。覚えててくれて光栄だよ。突然で失礼だが一緒に来てもらいたい」
彼のそばには科学庁の専用車が運転手つきで止まっている。
「…君のご家族に、迷惑をかけたくないならね」
優美はぞっとした。科学庁が全権を持っているこの都市で彼らに目を付けられることは死に等しい。拒否しようがない。
「なに、大人しく来てくれればそれでいい。悪いようにはしないから」


車で連れてこられた先は、都市を見下ろせる高層ビルの屋上だった。
「…私に何の用があるって言うんですか」
怯えながらも優美は御剣の顔を見据え、気丈に言った。
「なに、簡単なことだ。君の能力、我々のために役立ててほしい」
「そんな…何のために使うって言うんですか。私たちはナイトメアを倒さないと…」
「そのナイトメアを倒されては困るんだ」
にいっと御剣の顔が歪んだ。
「ナイトメアに襲われた人間は意識不明になったり、凶暴化するという噂は聞いたことがあるだろう?」
「…ナイトメア症候群、って有名になってます」
「それはナイトメアが人間の意識に『寄生』したからだ。
我々はこの物質世界では存在するだけでエネルギーを消耗し、何もせずにいればやがて消滅してしまう。
だが肉体という『殻』があれば、その消費を防ぐことができる。元の精神を奪ってね…」
そこまで聞いて、優美は目の前にいる人間の正体に気付き、震え始めた。
「まさか、あなたは…!」
「そう…ナイトメアだ。それも言わば親玉…『タナトス』と呼ばれているよ」
その名はオカルト雑誌などで聞いたことがある。でもまさか実在したなんて。しかも科学庁の内部に。
すぐに立ち上がって逃げ出そうとする優美。だが振り向いた瞬間、その顔は恐怖に凍りついた。
「スティールワイヤー」と呼ばれる、通常のナイトメアより数倍も大きい異形の存在が立ちふさがっていた。
すぐさま「それ」は肉体を求め、優美に向かって襲いかかった。
「きゃあ―――――っ!!あっ…ああ…ううん…」
精神内に侵入を許してしまった優美は、肉体の制御を失いその場に座り込んだ。
瞳は開かれているが輝きが失われ、口もかすかに開き、意思が感じられない。
「ふふふ…意識体を支配し、そして肉体を得て帰って来い。我が分身よ…」
両手両膝を地に付けたまま、ぼんやりとこちらの方を見つめる優美を見て、御剣は笑った。

人間の精神世界。
「イデア」と呼ばれるその場所は、人間1人1人によってまったく違う姿を見せる。
光が差し、豊かな常緑樹と水に満ち、攻撃的ではない強さと慈悲の両方が宿る、それが優美のイデアだった。
そして優美の意識体、すなわち本体はその中心に立っていた。
自分の本体は現実と全く変わらず動かせるし、服も学院普通科の制服そのままだ。
「ここは…私の精神世界?」
彼女は驚いたが、弘樹と知り合ってからこういうことには慣れっこになっている。それよりも自分の精神に侵入したナイトメアを何とかする方が先だ。
それはすぐに現れた。彼女の意識体を倒し、イデアを我が物とするために。

現実でも精神世界でも戦い方は驚くほどに同じだった。
敵は物理的な攻撃方法を持たず、エネルギー、いわば人間の超能力と同様の攻撃方法で向かってくる。
優美はバリアで敵の攻撃を防ぎ、ダメージを受けても回復する。
こうすれば敵は精神力を消耗するし、言わば敵地である優美のイデアに侵入しているため回復も容易ではない。
精神力を失えば肉体のないナイトメアは消滅する。それを待つ。これが優美なりの戦い方だった。
だが、今回のナイトメアは違った。
エネルギーは尽きないし、攻撃もバリアを突き破るほどに激しい。
みるみるうちに彼女は傷つき、一方相手は弱る様子もなく続けざまに苛烈な攻撃を浴びせてくる。
「そ、そんな…!一体なぜ?」

その頃現実世界の一室には、青白く輝くガスのような無味無臭の気体が満ちていた。
それにあてられたのか、優美の頬はうっすらとほてり、ゆらゆらと頭を揺らしている。
「リバースエナジー…精神エネルギーを物質界に合うよう工夫したものさ。
人体に無害とは言うが、これだけの高濃度だと並の人間は気絶する。
それに何より…この環境ならナイトメアも消滅を気にせず存分に動けるのさ」
「…う……」
「もっとも、超能力者の君にも悪くはない状況だろうがね。そうだろう」
「…ん…うんん…はい…」
かすかにだが、優美は御剣の言葉にうなずいた。精神の支配権が移ってきている証だ。
「さて、普通ならナイトメアに意識体を食い尽くさせて抜け殻にしてしまうところだが…
それでは今後色々と厄介だからね。…新しい試みをさせてもらおう」

「はあ…はあ…ううっ…」
優美はもはや力尽きる寸前だった。
精神エネルギーによる攻撃とはいえ、体はボロボロだし制服もところどころ破けている。
弱った彼女の本体を反映してか、イデア自体も輝きを失い、枯れた木々と黒い雲が一面に広がっている。
倒れないのは現実世界に満ちたリバースエナジーの賜物なのだが、今の優美には知る由もない。
「ま、まだ負けられないわ…弘樹君のためにも…」
もう一度回復を試み、立ち上がろうとしたその時である。
「残念だが…君なんかでは片山弘樹君に必要とされないよ」
甘い声がイデアに響き渡り、彼女の耳を刺した。御剣晃の声だ。
びくっとする優美に、その声は甘く優しく、しかし冷酷に襲い掛かる。
「攻撃能力を持たない。こうやって襲われてもひたすら守るだけの戦いしかできず、それを上回る相手が来ればこの様。
あとは片山君に守られるのを待つだけだ。そんなのは君だけだよ。誰がそんな足手まといを必要とするもんか」
妙に頭に響くその声は、ナイトメアの攻撃以上に優美の抵抗意思を奪った。精神が抵抗を止めれば、もはや力は使えない。
「そう…私は役に立たない…ただの足手まとい…だから助けにも来てくれない…」
だがそこで、急に御剣はとげとげしい口ぶりを改めた。甘く優しく、酔わせるようなささやきへ。
「でも、僕なら君に力をあげることができるんだよ」
その言葉に優美はぴくりと反応した。
「ほ、本当…?弘樹君に必要とされるような力を…?」
「もちろんだ。彼を助け、むしろ彼に頼られるような力を、君さえ望めばね」
今にも意識を失いそうになる痛みの中で、優美は弱々しく、しかしはっきりとうなずいた。
「ふふ、分かった。それじゃ、君の眼の前にいるナイトメアを受け入れるんだ」
「ナイトメア…を…?」
「そう。大丈夫、君が取り込まれるわけじゃない。君がナイトメアと同化し、その力を得るんだ」
あの力。防御と回復には自信のある自分の壁をも破った力。それが自分のものになる。
優美はナイトメアの方を向くと、よろよろとそちらへ歩き出した。
その彼女を迎えるかのように、針金状の鋼鉄…「スティールワイヤー」という呼称の由来となる金属質の触手が伸びた。


「う…」
触手は彼女の体に絡みつくとかすかに振動を始め、彼女の体を心地よく刺激する。
その感触は見た目に反して柔らかく、彼女は両手をだらりと下げ、口を開き為されるがままとなる。
「んん…ああっ…」
その触手は耳や口などといった部分に入り込み、彼女の頭脳や脊髄、半身に音と振動で「何か」を伝え始めた。
その衝撃が彼女の意識体に影響を与え、彼女を変質させていく。
「優美…さあ、君は強くなっていく。強ければ何でも許されるんだよ…」
耳元の甘い声が何倍にも増幅され、彼女の心身は快感と共に嫌でも変わらざるを得なかった。いや、むしろ変わるのが心地よかった。
癒し、慈悲、優しさ…そういった彼女の元の精神に代わって、悦楽、攻撃性といった性質が付与されていく。
「わ…わたしはっ…強い…強くなってく…強ければ、な…なんでも…うあっ」
もはや完全に体をナイトメアに預けきった優美の手足に、彼女を変えていく触手とは別の針金が絡みついた。
彼女の腕や足に薄い金属としてまとわれたそれは、細い手足や胸元を強調するように体全体へ巻き付くと
最後に優美の目の前で束ねられ、ひとつの結晶体を作った。
「さあ、朝倉優美…この結晶体を飲み込み、力を君のものにするんだ。完全体となるためにね」
「ち・か・ら…かんぜん…た、い」
もはや彼女はナイトメアに支えられている状態ではなかった。
ナイトメアの大半は彼女の体に絡みつくか、彼女の体内へ入っているかで、その針金の一部が地に突き立ち、倒れない程度に支えるだけ。
残りの大部分が結晶体となっていた。それを飲めば、ナイトメアのほぼ全てが体内に入り込むのだ。
だが優美は心地よさげに目を細めたまま、口を開いた。その中に結晶体が挿し込まれる。
意思を持っているのか、それは彼女の口の中で少し動くと、こくんと音を立てて体内深くへと入り込んだ。
びくんと優美は一瞬体を大きく震わせ、怯えるように目を見開いた。だが、ほんの一瞬だった。
夢心地でその場にしゃがみこんだ彼女の指先や体から金属糸が伸びだし、イデアのあちこちに広がっていった。
それに反応し、崩壊寸前だった彼女の精神世界は蘇っていった…。
ただし、とげとげしい植物と、冷たい金属でできた人工の植物、そして不自然な光に照らされた異形のイデアとして…。


リバースエナジーが完全に消えた一室で、再び御剣晃と朝倉優美は向かい合っていた。
だが御剣…「タナトス」を見つめる優美の瞳には、以前のような怯えの色はない。
「元の精神体は完全に変え尽くしたんだな?」
「はい、すべて…」
心地よさそうに優美は目を細めた。
「ふふ…お前は僕の分身だ。僕と一緒に強力な分身を作るために動くんだ」
「はい、タナトス様」
にこりと笑う優美は、陶酔した目で彼を見つめた。
いや、それとも生まれ変わった自分への陶酔かもしれない。
「お前は片山弘樹と親しいらしいな。いや、親しかったと言うべきか」
それを聞いて、今まで外見上は変わっていなかった優美に、冷たい笑みが浮かんだ。
「はい。あいつに関しての情報ならお任せ下さい。なんなら私がすぐにでも手を…」
「いや、それはまだ早い」
優美の顔に不満の表情が浮かんだ。
「どうして野放しにしておくのですか?あいつは他の奴とは違います。早めに消しましょう、邪魔にならないうちに」
感情を抑えきれないのか、口調が激しくなる優美。
御剣はそれには答えず机から書類を取り出し、何か書き付けて彼女に渡した。
「お前にはやってもらうことがある。片山を消すのはそれからでいい。僕の言うことに従うね?」
優美の険しい顔が、一転してとろけるような表情に変わった。
「はい、タナトス様。この朝倉優美、分身たるあなたのおおせのままに」
「よし。それではまずこれを使い、アカデミア学院の特化コースに転入しろ。
あそこは科学庁に選ばれたエリートが個人教育を受ける場だし、お前は成績もそこそこ優秀だ。
それほど怪しまれることはないだろう。
そして片山の『仲間』とやらを…1人1人こちらに引き込むのだ」
「はっ」
「ああ、…それから」
御剣は薄く笑って言った。
「特化コースは基本的に制服というだけで、アレンジは個人裁量に任される。目立たない程度に好きにしろ」
それを聞いて、優美…いや、かつて朝倉優美であったタナトスのしもべは色っぽく微笑んだ。


翌日から朝倉優美は特化コースに転籍となった。
校舎は違うし、寮で1日中教育を受けるため、外部との接触は非常に少なくなる。
優美の両親も娘が選抜された喜びで頭が一杯で、彼女の「変化」には全く気付かなかった。
スカートの丈も上着の丈も短くし、色っぽいボディペイントをうっすらと施した彼女。
だが勉学も運動も優秀とあれば誰も何も言わない。
人格など問わない。成績こそが第一なのだから。
そして優美は、外出する時には人格の変容を巧みに隠す術も身につけていった。
「ふふふっ…片山弘樹、私を見下してたあいつ…いつか必ず私の力を見せ付けてやるから。
人間なんかが私の力にかなうはずないんだから」
個人用の運動場で覚えたての攻撃能力を試しながら、生まれ変わったナイトメア優美は微笑む。
瞳孔を鋭く細め、瞳を赤く輝かせながら…