死を司る戦乙女



『死を司る戦乙女』

「ハア…ハア…、りりちー、どうして………」
息を切らせて呆然と立ち尽くす少女。その目は足元に気を失って倒れ伏している友人に向けられている。


彼女の名前は愛乃はぁと。東京都立御苑女学園中等部2年A組に在籍し、元気とハート型のア
ホ毛が特徴のごく普通の中学生である。
いや、ごく普通というのは語弊があるか。彼女はこの世界に存在する聖霊(アルカナ)の存在を
感知する事が出来る聖女と呼ばれる存在で、アルカナの力を借りることで数々の超常的な現象
を起こすことが出来るのである。
愛の力で解決できないことは無いと純粋に思っているはぁとと契約している聖霊は愛の聖霊パルティニアス。
はぁとが愛の心を失わない限り、自身の力を無償ではぁとに貸し与えている、はぁとにとって
親友であり、師とも言える存在だ。

それはいつもとかわらない日常のはず、だった。寝坊癖のあるはぁとが例によって遅刻するか
否かギリギリのタイミングで家を発ち、陸上選手もかくやという速さで往来を駆け抜けている
最中、まるで道を塞ぐかのように自分の前にふらりと現れた者がいた。
「あっ、りりちーおはよー。りりちーも早くしないと遅刻しちゃうよー」
はぁとが『りりちー』と呼んでいる少女、本名はリリカ・フェルフネロフ。高位魔族の父と人
間の母を持つハーフで彼女も風のアルカナ、テンペスタスと契約を結んでいる聖女であり、は
ぁとのクラスメートでもある。
自由奔放な性格で自信が気になることしか興味が無く、はぁとに匹敵、もしくは凌駕する遅刻
常習犯である。それ故にこの時間に鉢合わせすることは決して珍しくない…というか普通だったりする。
だが、今日はいつもと違っていた。
普段ならこっちの言葉に軽く受け答えしてくるリリカなのだが、何故か一言も発してこない。
しかも、まるではぁとの前に立ち塞がるかのように俯き加減にじっと立ち尽くしている。
「………?りりちー、どうしたの?お腹でも痛いの?」
ちょっと心配になったはぁとがリリカに近づくと、下を向いていたリリカがゆっくりと顔を持
ち上げ始めた。
「………、ハート………」
はぁとの前に向けられたリリカの顔、その顔を見た瞬間はぁとに戦慄が走った。
リリカの表情、そこには明らかな狂気があった。
「りりちー?!」
「ハートぉ………、あんたの命、ちょおだい!!」
振り上げたリリカの右腕が唸りを上げてはぁとに襲い掛かる。咄嗟にかわすことが出来たが、
伸びた爪が右頬を掠め二つの赤い筋が頬を走った。
「な、なにするのりりちー!!」
「欲しいのよ………、ハートの命が、魂が、首がぁ!!」
目の前に起こっていることが理解できずただ混乱するはぁとを尻目に、狂気に支配されたリリ
カははぁとに怒涛の攻撃を叩き込んでいる。それは普段のリリカを知るはぁとからすれば信じ
られないほどめちゃめちゃな攻撃だったが、いつものじゃれ合いのような雰囲気は無く、確実
にはぁとに致命傷を与える勢いで繰り出してきている。
「やめてりりちー!正気に戻って!!」
「アタシは正気だよぉハート!!だから、あんたの命ちょうだいぃ!!」
いうまでも無くリリカは完全に正気を無くしている。
(こ、こうなったら気を失わせるしかないよ!)
「ごめんりりちー!後であやまるから!愛の鉄拳ぱーんち!!」
意を決したはぁとの右拳がリリカの鳩尾に正確に叩き込まれた。リリカの体が『く』の字に折
れ曲がり、一瞬息が詰まる。



「ぐぅっ!」
が、リリカは気を失いはしなかった。苦しさで顔を歪めたまま両手ではぁとの右手を捉えると
その顔にニタァといびつな笑みを浮かべた。
「これでもう逃がさない………。エグゼキュスィオンンッ!!」
リリカの掛け声とともに背後の空間が割れ、そこから不気味に煌く巨大な鎌が姿を現した。
「な、なにこれ?!」
鎌はゆっくりと、ゆっくりと鎌首を持ち上げてゆく。そして、その頂が天頂を指したとき、
猛然と振り下ろされてきた!狙うは当然はぁとの首。体を捻って避けようにも、手をリリカ
に決められたままではそれも覚束ない。
「アハハハハハ!!さあ死んじゃえ!!」
「いやああぁっ!!パルちゃん!!」
最早絶体絶命の状況、リリカの嘲笑とともに振り下ろされる大鎌がはぁとの首を捉える瞬間、
はぁとが叫んだ自身の契約聖霊、パルティニアスがその姿を表し、大鎌をしっかと受け止めて
そのまま弾き飛ばしてしまった。
「なにぃ?!そんな!」
思わぬ反撃にリリカはうろたえ、ついはぁとの腕を握っている手を緩めてしまった。そして、
その隙を見逃すはぁとでもなく
「今だっ!どっかぁーん!!」
「ぐはぁっ!!」
至近距離からのアッパーがもろに腹部に入り、たまらずリリカは後方に吹き飛んでブロック塀
に背中から突っ込み塀に多数のひびを作った後、そのままずるずると崩れ落ちた。


そして舞台は冒頭へ戻る。
はぁとには信じられなかった。そりゃマイペースで多少自堕落なリリカと衝突したことはある。
しかし、それとて他愛ない喧嘩といったレベルでの話で今回のように本気で取っ組み合ったと
いうことなど過去に無い。
というより、今回のリリカは明らかにはぁとの命を狙ってきていた。おまけにアルカナを召還
してきてまでである。それはやりすぎとかという次元を超越している。
自分はそこまでリリカに恨まれるようなことをしていたのだろうか?いや、さっきのリリカの
態度は怨念、怨恨の類ではない。まるで、他人の命を奪うのが楽しくて仕方が無いといった感じのものだ。
リリカは先程からぴくりとも動かない。完全に意識を失っているようだ。
「ちょっと…、強く殴りすぎたかな?でも、こうでもしないと止まらなさそうだったし…」
とにかく、これでリリカも頭が冷えただろうし、意識が戻ったら落ち着いて話を聞こう。もし
自分に悪いところがあったら直せばいいし、何か悪いことをしたのなら素直に謝ろう。
だが、はぁとの心にある疑念が残っていた。
「でも………、りりちーのアルカナってあんなのだったっけ?」
確か過去に一回、リリカのアルカナを見たことがある。リリカの掌に現れたそれは鳥とも魚と
もいえる形状をしており、可愛らしくも凛々しい姿をしていた。とても、さっきの禍々しい大
鎌とは結びつきそうも無い。
「………、りりちーから直接聞かないとダメだね。やっぱり。
りりちー、もう頭冷えたでしょ?私を襲った訳を教えてよぉ」
はぁとは気絶しているリリカの両肩を掴み、ゆさゆさと揺らし始めた。力が抜けているリリカ
の頭がゆさゆさと前後にシェイクされる。
「ねーえ、ねーぇってばーー」
一向に目が醒めないリリカにはぁとの責めは激しさを増し、残像が見えるか見えないかの速さ
でリリカの頭が攪拌されていく。それに耐えかねたのかどうなのか、リリカの右手がぴくりと震えた。
「りりちー、気が付いた?!」
思わず安堵の笑顔を浮かべたはぁとだったが、その笑顔はすぐに崩されることになった。
「………うぅ………ううっ!」
リリカは突然苦しそうな呻き声を漏らし始め、震えは右手から全身へと伝播していった。


「り、りりちー?!」
「ううっ、ぐうぅーっ!!」
慌ててはぁとが再びリリカの肩を掴みかかるが、その程度では抑えきれないほど激しく全身を
戦慄かせ、赤く染まった顔から汗が止め処なく噴き出し続けている。
「ど、どうしちゃったのよりりちー!しっかりしてー!!」
もうどうしていいのかわからず、はぁとは両腕をリリカに巻きつけしっかと抱きしめるほかなかった。
その間にも、リリカの症状はどんどん激しさを増していき、遂には汗はおろかその身に潜む強
大な魔力まで奔流として噴き出し始めてきた。
その噴き出した魔力はまるで意志があるかのごとく地面へと吸い込まれていき、ある種の紋様…
五芒星を形成していった。が、リリカの容態に夢中のはぁとにはそれに気づく余裕はなかった。
そして、ようやく眼下の異変に気がついたとき、完成された五芒星…魔法陣が紫の光芒を放ち
始め、その瞬間、足元の感覚が消失した。
「え」
何が起こったのか判断する瞬間も無く、はぁととリリカは妖しく光る魔法陣の中へ吸い込まれていった。
「きゃあああああああっ!!」
いつまでも続くかのような落下感に、いつしかはぁとの意識も遠くへ落ちていった。


はぁとが意識を取り戻したとき、そこは昼とも夜とも、屋外とも室内とも取れ、上下も左右も
感覚の取れない異様な空間の中だった。
「ここ………、どこ?!」
光る変な星を描いたものに吸い込まれたのは覚えている。ということは、ここはその中なのだろうか?
「そうだ…、りりちーも一緒に落ちたんだっけ。りりちー、どこー」
はたして本当に前に進んでいるのか解らないが、はぁとはとりあえず足を前に出してリリカを
探し始めた。殆ど視界が利かず手探り状態だったが、程なくして横たわっているリリカを目の
当たりにすることが出来た。先程までの苦しがっている様子は見られず、全身の力が抜けてぐ
ったりとしている。
「よかった!りりちー………、え?」
笑みを浮かべてリリカに近づこうとしたはぁとだったが、倒れているリリカの上に突然異様な
気配を感じ、思わず歩みを止めてしまった。
それは、空間を歪ませるかのように出現した。何もないところからニュッと出てきたそれは禍々しい
法衣に身を包み大鎌を手にした、まさに『死神』と形容するに相応しい容貌を纏っていた。
「だっ、誰?!あなた!!」

−我名はDieuMort。『魔』を司る聖霊−

「アルカナ?!」
聖女であるはぁとは過去に色々なアルカナを見てきたことがある。が、かつてこれほど禍々し
いアルカナをみたことは無かった。
勿論万物にそれを司るアルカナが存在する以上、光の属性をもつアルカナがあれば闇の属性を
持つアルカナも存在しよう。が、このアルカナはそういう範疇では片付けられない、底知れぬ
恐ろしさを感じさせるものがあった。

−汝が新しい我の依代(よりしろ)か。なるほど、強大な魂の力を感じる−

「依代?何のこと言っているの?!」

−これまで我の依代だったリリカ・フェルフネロフは、汝に敗北したことにより我との契約を
 破棄せし事となった。そして、汝は我に新たに選ばれた依代となる−

契約?すると、このアルカナはリリカと契約を結んでいたということなのか?
「ちょっと待って?!りりちーのアルカナはもっと小さくて可愛いのだったよ!」


−それは我がリリカ・フェルフネロフと契約した際に現世から消失した。今は聖霊界のどこかにいるだろう−

「そ、そんなのってないよ!りりちーはあの子をとっても可愛がっていたもん!あの子を捨て
てあなたと契約するなんて、ありえないよ!」

−人間の意志など我には預かり知らぬこと。我との契約の一存は全て我の手に委ねられている−

ということは、リリカは無理やりこの聖霊と契約させられたことになる。
さすがに怒ったはぁとは、顔を真っ赤に染めてDieuMortに向き合った。
「なんで、なんでそんなひどいことするの!!りりちーが可哀相過ぎるよ!」

−全ては、我が存在理由のため。我が目的は対象の『死』。だが、聖霊となった身では我が力
 を振るう依代が存在しない限り、我は物質界で対象を『死』に至らしめることは出来ない。
 故に、力ある者に我が力を貸し与え、『死』を授ける。それが我が目的。存在理由−

DieuMortの発言にはぁとの顔色は真っ青になった。最初に感じた禍々しさを理解する
ことが出来た。このアルカナはただ『死』のみを目的にしている。こんなアルカナが存在して
いるなんて夢にも思わなかった。
なんで、なんでこんな恐ろしいアルカナとリリカは契約してしまったのだろうか。

−もし、我と契約したものが敗北した場合、我はより強い存在、より多くのものに『死』を与
 えられる存在と再契約を結ぶ。そして、敗北した契約者の魂は我に取り込まれる。
 リリカ・フェルフネロフは我と最初に契約した存在に勝利したため、我と契約を結ぶことに
 なった。そして今、そのリリカ・フェルフネロフを倒した汝は、我と契約を結ぶ資格が生まれた−

DieuMortの眼がギラリと光る。対象は当然、はぁと。
「い、いやぁ………、パルちゃん!!!」
恐怖に怖気が立ったはぁとはパルティニアスを呼び出そうとした。だが、パルティニアスの出
現する気配は全く感じられない。
「ど、どうしたのパルちゃん!!」

−聖霊を呼び出そうとしても無駄なこと。この空間は我の世界。他の聖霊が入り込むことは不可能。
 さあ汝よ、我と契約を−

「や、やだぁっ!!来ないで!!」

−抗っても無駄なこと。さあ、我に全てを委ねよ−

DieuMortの右手が、ゆっくりとはぁとに迫ってくる。筋張り、骨が浮き出ている掌がはぁとの
視界一杯に広がってきた。
「やだぁっ!!冴姫ちゃん!まおりん!助けて!!」
目に涙を浮かべ、親友の名前を連呼する。が、勿論助けは現れない。
実体の無い掌がはぁとの胸にズブリと入り込み、はぁとの精神の観念=心を鷲掴みにする。
「やあああぁぁっ!!」

−さあ、汝、我が名を心に刻め−

その言葉とともに、DieuMortの手がはぁとの心をグシャリと握りつぶした。


「きゃああああああ!!………ああ………ぁぁぁ………」
発する悲鳴とともに、はぁとを構成していた心が拡散して口から漏れ出でている。自分の心が
ずたずたに切り裂かれ、次第に消えつつある感触をはぁとは感じていた。
(ああ………、私のこころ、バラバラになっていく。私が、私でなくなっていく。りりちーも、
感じていたのかな。この感覚。
でも、それがいやだと思えない。こうなるのも悪くないと思ってる。
もう、私のこころ、壊れちゃったのかな。あはは。
りりちー、ごめんね。助けてあげられなくて。冴姫ちゃん、まおりん、ごめんね。もうみんなと話すことできないよ。
だって、次に会う時は………)

………二人とも、殺さなくちゃいけないから………

DieuMortに潰され、DieuMortの力で再構成されていく自分の心を感じながら
はぁとの意識はゆっくりと闇に沈んでいった。

−契約は成った−


先程地面に形作られた五芒星が再び妖しい光を発する。その光の中から現れたのは、新たに魔
のアルカナ、DieuMortの契約者となった愛乃はぁとだった。

−愛乃はぁと、我の新たなる依代よ。汝が我に『死』を捧げ続ける限り、我は汝に力を貸そう−

「分かりました。私の主、DieuMort(ディウー・モール)様………」
精気が感じられぬ顔をこっくりと頷かせ、はぁとはふらふらと歩み始めた。行く先は勿論、力
ある魂を持つ、聖女の元。
「捧げなくちゃ…。たくさんの命を、価値ある魂を、御主人様に…」


「い、いきなり何をするんですかはぁとさん!!」
はぁとの目の前に、かつて親友だった春日舞織が血を流して横たわっている。はぁとは指に跳
ね付いた舞織の血をペロリと舐め上げ、光を失った瞳を笑みで歪ませていた。
「うふふ…、まおりん……、まおりんの血っておいしいね。きっと………、その魂もとぉっても
おいしいんだろうね。ねえまおりん………、まおりんの命、私にちょうだい………」
笑みを浮かべるはぁとの背後に、禍々しい大鎌が空間を裂いてゆっくりと迫り出してきた。