私ガ本当ニ望ムモノ

『私ガ本当ニ望ムモノ』
神羅万象チョコ〜テラス悪堕ちSS

魔王マステリオンとの闘いに決着がついて1000年、かつての聖龍、獣牙、飛
天、鎧羅の4国は『神羅連和国』として一つの国家となり、平和と秩序を維持し
てきた。しかし…


「はあ…」
『神羅連和国』の指導者、皇帝テラスは小さなため息を一つついた。
「いかがなされました陛下。お体の具合でも悪いのでしょうか」
領内の治安の報告に来ていた聖龍公爵リンドウが声をかける。
「大事無い、ただ、最近どうも寝つきが悪いみたいでな。まあ、これだけ各地域で
地震が続いているのじゃ。心配で眠れなくもなろう」
そう、今『神羅連和国』内部では各地域で原因不明の地震が頻発していた。国内の
学者を総動員しても原因は特定できず、またそれと時を同じくしてそれまで人間と
共存していた原生モンスターが町を襲撃したり、旅人に襲い掛かってきたという報
告が上がってきていた。そのモンスターの中には今まで見たことも無い、まるで悪
魔のような容貌をしたものもあったという。
明らかに何かしらの異変が起ころうとしている。しかし、その原因は杳として知れ
ず、国全体に重苦しい空気が流れていた。
それらのことにテラスが頭を痛めていたことは確かだ。まだ幼い身でありながら国
全体、民全体のことを考えていかないといけないテラスに微かな罪悪感を感じなが
らもリンドウは
「左様でございますか。ですが陛下、あまり気を重く持つのはお体に毒です。原因
は我らが必ず突き止めます故、是非とも心安らかに為されますようお願いいたしま
す」
「うむ。そうじゃな…」
リンドウの心遣いにテラスの顔に少しだけ笑みが戻ってきた。
「それではリンドウ、おぬしの地域の状況を聞こうか」
「わかりました。まずは…」


「はあ…」
これで何度目のため息なのだろうか。床に入っても重い気は晴れるどころか、ます
ます重くなっている気がした。リンドウは昼間ああ言ってくれたが、自分の立場を
考えたら心安らかになるはずはない。もしかしたら、今もどこかで誰かが家ごと潰
されたりモンスターに襲われているかもしれないのだ。
国を守らねばならない。国民を守らなければならない。自然を、生物を、大地を…
自分はこの国の全責任を持つ皇帝なのだから。
しかし、自分は何も出来ない。ただ豪奢なだけの椅子に座り、重いだけの冠と杖を
身にまとい、部下の報告に眼と耳を通すだけ。
「わらわは、無力じゃのう…」
テラスは自嘲とともにその体をくの字に丸めた。
2年前、遊説に出ていた両親が不慮の事故で他界して以来、テラスは若干10歳に
して『神羅連和国』の皇帝に即位した。いくらなんでも幼すぎるのではないかとの
意見もあったが、両親の教育の賜物か、それとも天憮の才なのかテラスは指導者と
して充分な知性と見識を持ち、聖龍、獣牙、飛天、鎧羅各地域を治める4人の後見
人の力添えもあって国家運営に支障をきたすことは無かった。
だが、いくら皇帝のしての力量が高いと言っても、その実体は若干12歳の少女で
ある。その幼すぎる体にかかる責任は、それに反比例して大きすぎた。
ここから逃げ出したい。冠も杖も投げ捨ててただの女の子に戻りたい。そう思った
のも一度や二度ではない。いや、実際実行しようとしたこともあったはずだ。
しかし、そんなことができるはずもなかった。責任の放棄、我侭、理由はいくらで
も頭に浮かぶ。しかし、何よりもテラスは
『父と母が愛した国を放り捨てて、自分だけ逃げるわけにはいかない』
と常々考えていた。あまりにも早く両親を亡くしてしまった少女には、皇位を捨て
国を捨てることは、両親を捨てるに等しい行為だった。
「父上、母上…、なぜテラスを残して逝ってしまわれたのですか…」
両親が生きていれば、自分は今皇帝にはなっておらず少女のままでいられた。朝か
ら晩まで訳のわからない書類に目を通すことも、家庭教師の理不尽な学習に付き合
うことも、多数の国民の前で虚勢を張り巡らすことも無かった。毎日気心の知れた
友人と遊びまわり、他愛ない話に花を咲かせ、時には駄々をこね、思い切り笑った
り泣いたり怒ったり出来た。


父が、母が死ななければ、こんな苦痛を味わうことも無かった。

父が、母が死んでいなければ、自分はただの少女でいられた。


父が、母が生きていれば、毎日こんなに悩む必要は無かった。



な ん で 父 は、母 は 自 分 に こ ん な 人 生 を 与 え た の だ。
憎 々 し い。 死 ん で し ま え ば い い の に


「…!わらわは何を考えているのだ!」
突如心の中に巻き上がった黒い感情に、テラスは思わず大声を上げた。
父や母に怨嗟の声を上げるのみならず、死んでしまえばいいなどと考えるなど…
ましてや、両親はとうの昔に死んでいるではないか。罰当たりにも程がある。
「疲れているのじゃ。わらわは疲れているのじゃ。もう寝よう。眠ってすべてを忘
れよう」
ただでさえ青白かった顔をさらに青く染め、テラスはシーツを頭から被ってベッド
の中に潜り込んだ。小さな体をさらに小さく屈め、両腕を胸の前で抱え込んだ。体
の震えが止まらず、大きなベッドが小刻みに揺れていた。
その口元からはカタカタと歯が鳴る音が響き、瞳は慙愧と後悔で見開き、涙が止め
処なく流れ続けた。
寝よう、寝ようとしたが、その瞳はなかなか下におりようとはしてくれなかった。


なぜだろう、体の節々が突っ張っている感じがする…
いつの間にか眠ってしまっていたのか、テラスは妙な感覚を体に感じ意識を呼び覚
ました。
確かベッドに潜り込んでいたはずだが、頭を出してしまったのかその視界はシーツ
ではなく部屋の景色が見える。あれはお気に入りの本を読むときに座る机、あれは
いつも朝の光を送り込んでくれる窓。あれは一日の疲れを癒すために寝るベッド…
「ベッド?!」
まだ少し夢うつつだったテラスの意識が一気に覚醒した。自分は今までベッドに潜
って寝ていたはずだ。ではなぜ起きた時にベッドが見えるのか。
まずは状況を確認しないと。そう思ったテラスはベッドに近づこうとした。
しかし、踏み出すはずの一歩は前に出なかった。いや、前に出ようとしたのだが何
かが引っかかって踏み出せないのだ。
何事かと思って足元を見ると、足首に何かが巻かれている。白い糸のようなものが
足首から部屋の壁に向かって一直線に延びていた。
いや、それは脚だけではなかった。手、首、腰、あらゆる所が糸によって縛り付け
られテラスの四肢を拘束していた。
「こ、これはどうしたことじゃ?!」
起き抜けに起こったあまりにも非現実的な状況にテラスの頭はパニックになりかけ
た。その時
「おや、お目覚めになられたようですな」
部屋の隅あたりからゾッとするような低い声が響いてきた。拘束されている首をな
んとか声のする方向に向けると、二人の怪人物が視界の中に入ってきた。
月明かりの中に見える姿は、一人は全身が痩せこけ、薄汚れたフードで頭を覆って
いるが、その中に見える顔は眼だけが爛々と光り輝くおぞましい骸骨になっている
もう一人は頭に蜘蛛のような兜を被り、手には見るからに邪悪な文様が描かれた石
盤を抱えている小男。どう見てもこの世のものではない。
どこの者とも知れぬ怪物が寝室に入り込み、しかも自分は身動きが取れない。震え
る心を必死に抑え、テラスは気丈に怒鳴りつけた。
「おぬしらは何者じゃ!何故にわらわの寝所に潜り込んだ!」
「おお、これは名乗りもせずに失礼いたしました。私の名前はボーンマスター。マ
ステリオン陛下の使者…。と申し上げておきましょう」
マステリオン。その言葉を聞いた途端、テラスの表情に衝撃が走った。


「マステリオンじゃと?!ならばその使者となればおぬしら…、皇魔族と申す輩か!」
現在より1000年前、この中央大陸に忽然と現れた皇魔族。この世界とは異なる
世界から現れたという彼らはマステリオンと言う人物を頂点とし、時の皇帝を殺害
してこの世界を我が物にせんと侵略を開始してきたという。
しかし、マステリオンは当時の四部族の長が力をあわせ撃退し、その邪悪な魂は至
宝『聖龍石』に封印され、彼らの野望は阻止されたとされている。
現在自分が皇帝を勤める『神羅連和国』はこの時に出来たと家庭教師に聞かされた
が、自分としては御伽噺程度にしか感じていなかった。そもそも1000年も前の
ことだから記録も記憶もあやふやなものしか残っていない。皇魔族などというもの
も、当時世界征服を行おうとしていた無粋な連中を揶揄したものだろう。その程度
にしか認識していなかった。
しかし、皇魔族は現実に存在した。しかも、自分の目の前にいる。
「ほう…。地上では我らのことはすっかり忘れ去られていたようですね。たった1
000年前のことだというのに、人の心はこうも移ろいやすいものですかね。ヒヒッ」
感情を表現できそうも無い骸骨面をいびつに歪めて笑うボーンマスターの姿に、1
2歳の少女でしかないテラスの虚勢はあっけなく吹き飛んだ。
「だ、誰ぞ出会え!狼藉者じゃ。狼藉者が、侵入したぞ!!」
声を限りに絶叫するテラス。普段ならこんな声を上げずとも寝室の前の番兵がたち
まち入り込んでくる。でも、そんなことを考えている余裕は今のテラスには無かっ
た。
しかし、扉は開かなかった。番兵も入ってこない。
「はやく、早く来るのじゃ!なにをしておる!!」
顔を恐怖と涙で彩らせながらテラスは叫び続けた。しかし、やはり扉が開くことは
なかった。
「な、なぜじゃ、普段は呼ばれずとも入ってくるというのに…」
「ヒヒヒッ、いいねぇ〜。細い心が砕け散る様は」
不意に、今までボーンマスターの後ろにいた蜘蛛男が下卑た笑い声を上げた。
「あんたの護衛兵は全員、グ〜ッスリとおねんねしているってのよ。ほら、これでねぇ」
蜘蛛男…アナンシが懐から取り出したもの。それは毒々しい色をしたキノコのモン
スターだった。
「この魔ッシュルの胞子を吸ってしまった人間は、朝までグウグウ寝ちまうって寸
法なのよ。無駄な努力、ごくろうさん」
このアナンシ、どうやら人間を絶望の淵に落として楽しむ趣味を持っているようだ。
「そ、そんな…」
がっくりと顔を落とすテラス。その表情をアナンシは心底楽しそうに眺めていた。

「わらわを…、わらわをどうするつもりなのじゃ」
数瞬の後、テラスは声を出した。相手はマステリオンの使いという者、自分はこの
国の皇帝。その自分をかどわかしたとなれば、ただですまないのは目に見えている。
しかし、ボーンマスターから戻ってきた返事は意外なものだった。
「いやいや、我々としては貴方をどうこうするつもりは全くございません」
「…どういうことじゃ?!」
自分をどうこうするつもりは無い…思わぬ返事にテラスの顔が一瞬歪む。
「我々が求めているのは…『聖龍石』ですよ」
「聖龍石…じゃと!」
「そう、『我ら』の主、偉大なるマステリオン陛下の魂が封じられたこの国の至宝。
それこそが我々が求めているものです」
ボーンマスターの返答にテラスは直感した。これは自分をかどわかす事より遥かに
事態が重いことを。
「まさか、おぬし等…マステリオンを蘇らせるというのか!」
今まで皇魔族のことを伝説と思っていたように、『聖龍石』にマステリオンの魂が
封印されているということも尾鰭のついた昔話だと信じて疑わなかったテラスだが
こうして皇魔族が現実に目の前に現れたこと。その口からマステリオンの名前が出
てきたこと。それは今まで自分が御伽噺だと思っていたこと…、つまり1000年
前にマステリオンのせいでこの大地に惨劇が繰り広げられたこと。そして、そのマ
ステリオンの魂が未だに『聖龍石』に封印されているということ。
これらが全て『現実』に起こったということを表している。
そのマステリオンを現世に蘇らせる…、それは1000年前に起こった惨劇が再び
繰り返されるということに他ならない。いや、1000年もの間平和な時間を過ご
してきた人間に、1000年前と同じ惨劇というということはありえない。100
0年前よりも酷い惨劇が起こるのは疑いようも無かった。
「御察しの通り。陛下の復活を1000年間、我らは思い続けていたのですよ」
「ま、実は本当のところ魔界でも俺達マステリオン派は肩身が狭くてねぇ、この人
自分の上司が出世したのに自分がはぶられたもんだから逆恨みしてねぇ、陛下を蘇
らせて夢よ再び…、って感じで」
さすがアナンシ、自分の上司でも容赦が無い。
「黙りなさいアナンシ。それ以上口が滑るようでしたら縫い付けてしまいますよ」
「うぇ、そいつは勘弁だわ」
ボーンマスターの一喝にアナンシは首をすくめた。

「と、まあこの話はともかく…。つまり、『聖龍石』を手に入れるために貴方様の
御協力を頂きたい次第でして。なにしろ中央宮殿の奥にある『封印の間』には皇族
の力がないと入れないようなのですから」
「バカを言うでない!そのような企て、成就させると思うてか!『聖龍石』は絶対
にお主の手には渡さん!!そもそも、わらわが協力すると思うてか!」
『聖龍石』を手に入れたいから協力しろだと?あまりに突拍子も無い発言にテラス
は心の余裕を取り戻した。
この骸骨は、自分が自分の国の破滅に繋がるようなことにホイホイと協力すると本
気で思っているのだろうか。本気だったら滑稽だし冗談だったら空気を読まなさ過
ぎる。
(なんじゃ、皇魔族というのはこんな抜けた連中なのか。こんな輩にビクビクしてい
た自分が恥ずかしいわ)
しかし、ボーンマスターから返ってきた返答はまたまた意外なものだった。
「ええ、思いますよ。貴方様は我々の企てに御協力してくださいます。って」
「なんじゃと…」
「我々に協力してくだされば、この神羅連和国といった監獄を打ち消すことが出来
るのですよ。
貴方様を鎖で縛りつけ、一片の自由すら許さない監獄。この監獄さえなくなれば、
貴方様は皇帝などという名ばかりで何の利益も幸福ももたらさない檻から開放され
テラスという一人の少女として振舞うことが可能になるのですから」
「な………?!」
ニヤリと笑うボーンマスターを見てテラスは衝撃を受けた。

皇帝ではなく、一人の少女として生きる。
責任、使命から開放され、ただ一人の人間として生きる。


それは口にこそしなかったが、間違いなくテラスが心の片隅で願っていることだっ
た。
「どうですかな?テラス様」
「そ、そのようなこと願うわけなかろう!わらわは、わらわはこの国の皇帝じゃ!
わらわは、自らの意思でこの国の皇帝の座についておる!そのような俗な願いなど
考えたことも無いわ!!」
自分の心を見透かされた動揺なのか、半ば声を荒げながらテラスはボーンマスター
を睨み返した。しかし
「いえ、そんなことはありますまい。そもそも、貴方様は皇帝とは申せたった12
歳の子供なのですぞ。本来なら温かい家庭で父母の愛情に囲まれ、気心の知れた友
人と他愛ない話で時間を潰し、束縛の無い時間を無為に過ごす。そんな『普通の子
供』が『当たり前』に行う事。それを貴方様は『当たり前』にできているのですかな」
「そ、それは…」

父母には事故で先立たれ
一日中官僚と兵士と家庭教師で囲まれ
分刻みのスケジュールを毎日要求される

それは普通の12歳の少女が行う生活ではなかった。『当たり前のこと』を『当た
り前』に出来ていない。止むを得ないとはいえ、周りの人間が自分に与えた理不尽
な状況を、テラスは改めて真正面からぶつけられた。
「どうですかな?出来てはおりますまい。貴方様はそれでそれでよいのですか?自
分だけ泥を被っても、周りがきれいならばそれでよいというのですか?」

「…ぁ」

「あらゆる責任を貴方様に被せ、なんの責を帯びることも無く、ただいたずらに時
と資源を浪費する官僚や学者を、貴方様は許すというのですか?」

「………ゃぁ」

「貴方様を好奇の目で見つめ、意味も訳もわからず囃し立てるだけで、貴方様のこ
とを少しも解ろうとしない国民を、貴方様は許すというのですか?」

「………ぃゃぁ…」

ボーンマスターの呟きが鼓膜に刺さる毎に、テラスの心に喩えようの無い冷風が叩
きつけられた。
そうだ。まわりは何も解っていない。
国史だの世界だの環境だの、そんなものは自分は何も知りたくはない。
地位だの名声だの尊敬だの、そんなものは自分は何も欲しくはない。

私が知りたいのは上も下も無い人と人との付き合い。
私が欲しいのは何のしがらみも無い一人の人間としての生活。

どれほど恋焦がれ、また憧れてきたか。
どれほど願い、切望してきたか。

だが、周りの人間はそんな当たり前のことすら許さない。
「皇帝だから」「下を治めるものだから」「貴き者だから」

誰がそんなことを望んだのか。私はそんなこと、欠片たりと手望んではいない。
望んだのは周りだ。御輿が紛失してしまったため、代わりを作らねばならないと思
った周りの愚にもつかぬ輩どもが、何も知らない、何も理解できていない自分を都
合のいい御輿として持ち上げ、担ぎ出したに過ぎないのだ。

「陛下が封印されて1000年!長き封印はその効力を弱め、地上にその力を顕現
しはじめました!近頃暴れている原生モンスターや頻発する地震は、まさにその力
の表れ!
いや!大多数の人間は気が付いてはいませぬが、その人間の心すら、陛下の偉大な
お力は揺り動かしているのです。
気づきませぬか!貴方様のお心にも深く根ざす、邪なる息吹が!感じませぬか!他
人の邪心を!!」

ああ、そうか。近頃気持ちが重くなっているのがわかった。
私は、怒っていたのだ。何も考えず私にすがる周りの人間どもに。
憤っていたのだ。何も出来ない周りの人間どもに。
怨んでいたのだ。自分を捨てた、無情な親に。


「今こそ陛下を復活させる、唯一無二の好機なのです!ここで陛下を復活させるこ
とが出来なければ、貴方様はこれから一生人間らしい暮らしを許されず、偶像とし
ての無味乾燥な人生を送ることになるでしょう!
それでいいのですか!貴方様はただ一回の自分の人生が、そのような灰色の時間で
満たされて、よろしいのですか?!」



「…………いやぁ………」


テラスの中で何 か が 切 れ た


「いやあああぁぁっ!!私だって、私だって普通に生きたいのぉ!!友達だってた
くさん作りたいし、いっぱい遊びたいのぉ!!
なんで?何で私だけ『特別』なの?!私だって、普通の女の子だよ?!なんで、ふ
つうに生きられないの?!!なんで私だけ逃げられないの?!もういや、もういや
なのよおおぉっ!!」

涙が止まらなかった。声が止まらなかった。これまでずっと自分で押さえつけ封じ
込めていた心の闇。ずっと、ずっとずっと圧縮されてきた『それ』は、一旦開放し
てしまうと押さえが利かず、次から次へと溢れ出てきた。あまりの濃さに可視とし
て捉えられ、部屋を覆い尽くさんばかりに広がるような感じさえあった。いや、
『それ』は実際にテラスの体から噴出していた。『悪意』と言う名の瘴気が。
「そうです!逃げていいのです!!」
「逃げて………、いいの?」
本来の姿…12歳の少女の姿でわんわんと泣きじゃくるテラスに、ボーンマスター
が語りかけた。
「そうです!このような虚飾に満ちた世界から逃げてしまってもいいのです!この
世界の秩序が貴方様を縛るなら、そのような秩序など打ち壊してしまえばいいので
す!
そして貴方様の本当に望む、本当に必要な世界と秩序を、作ればいいのですから!」
「そんなこと…できるわけが…」
「出来ます!陛下のお力を持ってすれば世界の秩序を崩壊させるなどたやすいこと
陛下のお力を開放させさえすれば、貴方様の望む世界がきっと作れますぞ!」
「私の…、望む世界……」
虚ろな瞳に微かに光が戻る。だがそれは、決して澄んだ光ではなかった。
「私が……世界を作る……。私の…世界を、作る……」
心なしか、噴出した『悪意』がテラスの中に戻っていくような感じがしている。
「そうです!『我ら』の主、マステリオン陛下と共に世界を作り変えるのです!貴
方様にはそれが出来る力があります!」
「私が…私が…陛下と共に…世界を、つくり、かえる………」
もう疑うべくも無い。テラスの体から開放された『悪意』は確実にテラスの内に戻
りつつある。
しかしそれは、テラスの心の内には戻っていかない。むしろ、テラスの外にあった
心の光を塗りつぶして漆黒に染め上げていく。
自分の心の中に表現しようの無い闇が広がっていく。だが、それに嫌悪感は無かっ
た。
なぜならそれは、自分が心から望んでやまないものだったからだ。当たり前のこと
を当たり前に思ってきた。それが開放されただけだ。なぜ嫌がることがあるのか。

連投規制を喰らっていました。ちょっとゆっくりめにUpします

「さあ、誓うのです!我々と共にマステリオン陛下を解放し、地上を絶望の闇に作
り変えていくことを!さあ!!さあ!!!」
ボーンマスターが望む世界は明らかにテラスの望む世界とは異なっている。しかし
自らの心を闇に囚われたテラスに、その違いがわかることはなかった。
「……かいます……。誓います!!私は我らがマステリオン陛下を解放し、この世
界を絶望で覆い尽くすことを、誓いますぅぅっ!!」
「よくぞ言った!契約は為された!さあ、テラスよ、その身を陛下の下僕にふさわ
しい姿に新しく生まれ変わらせるがいい!」
テラスの誓いに満足げな笑みを浮かべたボーンマスターがその両手を振り上げると
テラスの周囲に広がっていたテラスの『悪意』が更なる奔流となってテラスの体内
に吸い込まれていった。
「うあああああぁぁぁぁっ!!!」
テラスは自らが生み出した『悪意』の流入に翻弄され、かつそれに伴う魂の開放に
今までに無い開放感を感じ苦痛とも歓喜とも取れる表情を浮かべていた。
(変わる………、私が変える。私が…変わる……、私を、変える……!!)
『私を変える』その言葉どおり、『悪意』の流入共にテラスの外見も変化を始めて
いた。
澄んだサファイアブルーの瞳は禍々しい金色に輝き始め、多少色白だが健康的だっ
た肌は血が通わぬような冷たい青色に染め上げられ、頭に生えた小さくも雄雄しい
角はどす黒い色と共に先が鋭く尖り始めた。
そして最後に、背中に竜を思わせるような黒い鱗と赤い皮膜で出来た羽、お尻から
は悪魔と形容するしかない異形の尻尾が生えてきた。
それはかつてテラスが教えられた皇魔族の特徴と全く同じものであった。
やがて周囲の『悪意』は、残らずテラスの中に再び取り込まれた。その奔流に意識
が飛ぶ寸前、テラスは自分か皇帝になって自由な時間がほとんど取れなくなった後
も、周りの目を盗んではよく自分の部屋に入り込み遊び相手になってくれた、幼馴
染の青髪の少年の顔を思い出した。
が、それすらも『悪意』の奔流は黒く塗りつぶしていった。

数刻の後、テラスはその相貌を開いた。見ている景色はいつもと変わらない寝室だ
しかし、そこから受ける印象はつい数刻前までのテラスとは全く異なっていた。
(つまんない部屋…)
金色に輝く瞳で一瞥をくれると、不意に自分の四肢が糸で拘束されていることを思
い出した。
「いつまで………くっついているのよぉ!!」
少しだけ力を加えて引っ張ると、先ほどまではびくとも動かなかった糸はブチブチ
と音を立てて引きちぎれ、その弾みで糸を縫い付けてあった壁飾りやクローゼット
がばたばたと倒れ落ちた。
自由になった四肢を、テラスはしげしげと眺める。
「うふふ…」
両の眼に映るのは青白く染まった肌。血の温もりも感じさせない感触が心地よい。
寝巻きをずたずたに引きちぎって現れたのは一対の羽。少し力を入れて羽ばたいた
ら、脚が床から離れた。重力を感じない感覚が新鮮だ。
ショーツを貫いて現れたのは一本の尻尾。こう動けと思うだけで自由自在に動き回
る。その気になれば者を貫くことも出来るだろう。
そして何より、心の中が先程までと全く異なっていた。
あれほど重く、沈んでいた心が嘘のように晴れ渡っている。重く垂れ込んだ雲は一
陣も無く消えうせ、どこまでも澄み切っている。
自分はなぜ今までこれほど多くのものを背負い込んでいたのだろう。どれもこれも
自分の意思で背負ったものではない。だからどうだ!その全てを捨て去ってしまっ
た今、自分の心はこれほどまでに軽やかではないか!!
「あは、あは、あはははははっ!!」
笑った。テラスは声を大にして笑った。未だにあるかもしれない自分を押し付けて
いたものの残滓すら、全て吐き出してしまうかのように。
確かにテラスの心は澄み切っていた。そこには何の不純物も障害も無く、どこまで
もどこまでも続く………


何もない、空っぽの心があった。



どれほど笑っていたのだろうか、いつの間にかボーンマスターがテラスの脇に立って
いた。
「おお、お目覚めになられましたか。しかし、寝覚めの挨拶としては、少し大袈裟
ではござりませぬか?」
「構わないのよ。こんな牢獄にも等しい部屋、全部崩れたって少しも惜しくは無い
んだから」
先ほどまであれほど恐れていたボーンマスターの問いかけに、テラスは少しも臆す
ることなく応えかけた。
「左様でございますか。それで、テラス様、陛下のことですが…」
「ええ、これから貴方達を『陛下』の『寝所』へ案内するわ。付いてきて頂戴」
くるっと踵を返し、尻尾をゆらゆらと揺らせながらテラスは寝室の扉の方へ向かっ
た。その姿を見て、ボーンマスターとアナンシは不敵に微笑んだ。
「ボーンマスター様、あっけないもんですねぇ。一国の皇帝ともあろう人間が、こ
うもあっさりと堕ちてくれるなんて。俺の力を使うまでも無かったですねぇ」
「所詮はか弱き人………、と言いたいが、あの小娘は自分を特別にしなければいけ
ないという思いが強すぎたのだ。自分を『光』として強く見せなければいけないと
思えば思うほど、その陰に隠れる『闇』もまた、色濃くなっていくものだ。
『光』が『闇』を完全に打ち消すことは出来はしない。なぜならば『光』と『闇』
は対のものだからだ。それ故、あまりにも強大な『光』を持つあの娘はあまりに巨
大な『闇』を持つ娘でもあるのだよ。
我々は『光』を覆い隠すような無駄なことはしない。なぜなら、『光』はほんの小
さなきっかけを与えることで、たやすく『闇』へと変わるのだからな。ケケケ…」
「ちょっと貴方達、なにぐずぐず喋っているの!さっさとこないと、陛下に会わせ
るより先にあの世へ送っちゃうわよ!」
「おっとっと、姫様がお怒りですよ。ボーンマスター様」
「せっかく1000年待った身、ここであの世に送られてはかないませんからな」
一人でずかずか先を行くテラスに、二人は苦笑しながらついていった。

その朝、中央宮殿は大激震に見舞われた。
かつて無い規模の地震が中央大陸全土にかけて発生し、それが原因か宮殿最深部に
ある『封印の間』の結界にほころびが生じてしまったのだ。
直ちに兵士と宮廷魔道士が『封印の間』に向ったが、『封印の間』を守っていた二
人の兵士は胸板を貫かれて絶命しており、破られた扉の奥にあるはずの至宝『聖龍石』
は忽然と姿を消しており、その代わりとしてどこまでも続くと知れぬ黒々とした『穴』
が宙に浮いていた。
魔道士の調査の結果、この穴は1000年前、伝説の皇魔族が魔界からこの地上に
現れる際に用いた異世界への扉だと断定。奪われた『聖龍石』と魔界への扉の出現
は、この扉を用いた皇魔族が魔神マステリオンを蘇らせるために違いないと結論付
けた。
この報告を受けた皇帝テラスは、伝説の四部族王の血を引く5人の『光の戦士』を
中央宮殿に召集。リュウガ、タイガ、ショウ、シズク、そして年長のオウキに聖龍
石奪還の命を授けた。
「よいな皆のもの、命令じゃ。
絶対生きてわらわの元に帰ってくるのじゃぞ!」
魔界への扉の中へ行かんとする5人にテラスは凛とした表情で訓示を与えた。
(そうよ。魔界の奥の奥、神魔界でわが主の偉大さに触れて帰ってくるのよ。貴方
達が帰ってくるまでに、私が地上をとても住みやすい世界に作り変えておいてあげる)
テラスの王衣の中に隠れている尻尾がプルプルと蠢いている。つい先日、刺し殺し
た二人の兵士の肉の感触が今でも鮮明に脳裏に焼きついている。
あれは気持ちよかった。人の中があんなに心地よいものだとは思わなかった。あの
5人がいなくなれば自分のやることはとても楽になる。はやくやりたい。もっとも
っと、流れる血と、絶望の涙と、苦痛の声をこの体に感じたい。
テラスは自分の考えに頬を赤らめ、両腿を少し擦りあわせた。その間を尻尾が、絶
えることなくプルプルと蠢いていた。


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