Paradaigm Shifter
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パラダイムシフター
【第2部31章】落ちてくる、この空の下で
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『導子力場<スピリタム・フィールド>、三次元形態安定……仮想カタパルト、展開完了……突然の作戦変更だけど、OKということね。お姫さま!?』
「無論だ。むしろ、望むところだ……この男に自分の手で一矢報いずして、ことを済ませるなど、悲憤慷慨の極みだからだ」
腕組み姿勢からコンマ秒未満で右ストレートを放ち、次元巡航艦の船体を拳圧で貫こうとしていたグラー帝の耳に、上部甲板から女の声が届く。
「うおおぁぁぁ──ッ!!」
導子技術による急加速と戦乙女が持つ生得の飛翔能力が乗算され、魔銀<ミスリル>の盾の内側に身を伏せるアンナリーヤの身体は、音速を超えるスピードで射出される。
「……ぐっ」
ヴァルキュリアの王女の構える突撃槍<ランス>の穂先が、グラー帝の眉間に突き立てられる。傷を負わせることはかなわないが、超高速体の衝突で、さしもの屈強なる偉丈夫も大きくバランスを崩す。
グラトニアの専制君主の身体が、空中で一回転する。戦乙女の姫騎士は、右向きの螺旋を描きながら、『塔』の中腹へ向かって落下していく。
アサイラが叫んでから、ここまで3秒。グラー帝が体勢を立て直すまでに、4秒。
「小細工に次ぐ、小細工。不快極まりないとは、このことである。しかし、これにて……一言以ておおうならば、仕舞いである」
虚空を踏みしめた偉丈夫は、『シルバーブレイン』の鼻面へ拳を突き出す。手応えが、ない。それほどまでに船体が脆すぎた、というわけでもない。専制君主の腕は、間違いなく宙を切った。
刹那の内だけ、まるで蜃気楼のごとく次元巡航艦の姿が消滅したことを、グラー帝は理解する。そして拳を引いた、いま、この瞬間、船体は眼前に間違いなく存在している。
『パンチが当たる瞬間だけ……同一次元の同一座標に転移<シフト>して、回避運動をとったということねッ!』
なにをした、と問おうとする偉丈夫の思考を先読みするように、『シルバーブレイン』の艦外スピーカーから、年端のいかぬ少女の声が響く。
『そして、これは……小細工なんかじゃない! おじいちゃんが、何十年もかけて構築して、実用化に至った導子技術の、れっきとした応用ということね!! アサイラお兄ちゃん……これで、かっきり5秒! どうッ!?』
「……よくやってくれた、ララ。十分だ。ここから先は、俺の仕事か」
グラトニアの空に響く青年の声を聞いて、屈強なる専制君主は背後を振りあおぐ。『塔』の側面に口を開いた大穴のなかに立つアサイラが、小さく見える。
「あやとれ! 『精神蒼尾<ソウル・ワイアード>』──ッ!!」
「が……ッ」
黒髪の青年が、叫ぶ。グラー帝が、うめく。偉丈夫の肉体が、すさまじい速度で後方へと引っ張られていく。専制君主の目に映る『シルバーブレイン』の船体が、見る間に小さくなる。
──ズグオオォォォンッ!!!
鳴動するような衝撃音が、超巨大建造物の内部に響きわたる。つまらなそうな表情で、がれきだらけの床に大の字で転がるグラー帝は、何事もなかったかのように立ち上がり、蒼銀に輝く刃の『龍剣』を携えたアサイラとふたたび対峙する。
「これでも無傷とは、恐れ入る……あきれた頑丈さじゃないか、裸の王さま?」
「……差し合いのうちに、幾本もの糸を絡みつかせ、それを『塔』の壁面や柱に結びつけ、余の肉体を引き寄せた……ということである、か」
「わかってるじゃあ、ないか。ララが見せてくれたのは科学者の技術<テック>だが、俺のは正々堂々とした小細工だ」
グラー帝の衝突から、何秒経っても、超巨大建造物の振動はおさまらない。むしろ、少しずつ揺れは大きくなっている。壁や床に入ったひびは次第に大きくなり、天井からはとどまることなく破片が落ちてくる。
「おまえにダメージを与えられる気配はないが、衝突した『塔』のほうが先に壊れそうじゃないか? 身体が頑丈すぎるのも、考え物だな」
「余の……グラトニアの象徴である『塔』が、ここまで揺さぶれるとは何事か? 一言以ておおうならば、憤懣である」
「さあな。手抜き工事じゃないか? 納期に無理があったんだろ」
無表情を崩さないグラー帝は、声音に苛立ちと憤りをにじませ、アサイラは不適な笑みを口元に浮かべつつ、一歩、踏み出す。
「……おまえは、何者か?」
黒髪の青年が、いまさらのように尋ねる。諸肌をさらす偉丈夫は、いぶかしむように目元を動かす。
「愚者め、もう忘れたのか? 余は、グラトニア帝国皇帝、グラトニオ・グラトニウスである」
「違う……そういうことを、聞きたいんじゃない」
アサイラは、蒼銀の輝きを放つ大剣を構え、切っ先を専制君主へ向ける。グラー帝は、苛立ちに片目を見開き、両の拳をボクシングスタイルに構える。
「……皇帝とかいう、くだらない仮面をはぎとったおまえは、何者か?」
「ここに至って、哲学論争でもするつもりか……かく言う汝こそ、何者であるか?」
「俺の名は、アサイラ・ユーヘイ……故郷である『蒼い星』への帰還を目指すものだ」
黒髪の青年は、強い意志の宿った声音で言い切る。筋骨隆々たる偉丈夫は、不快な存在を排除しようと敵意とたぎらせ、前傾姿勢をとる。
「余は……この宇宙にあまねく存在する次元世界<パラダイム>を、ひとつへ統合する存在である。愚者よ……余に任せておけば、汝の『蒼い星』もいずれ同化されよう。さすれば、故郷への帰還という望みは果たされる」
グラー帝は、最後通牒のごとく重々しく告げる。アサイラは、静かに首を横に振る。
「違う……それはグラトニアであって、『蒼い星』ではない。俺の、故郷じゃあない」
「あらゆる存在、そして次元世界<パラダイム>は、常に千変万化するもの……余の征服事業、次元統合も、一言以ておおえば、その一環である。受け入れよ、愚者よ」
「仮に、そうだとしても……抵抗は、させてもらおうか! 全力でッ!!」
大剣を振りかぶるアサイラと、拳を突き出すグラー帝は、崩壊し始めた『塔』の床を同時に蹴り、眼前の相手へ向かって挑みかかった。
「ふむ? なにか……我輩にとって、有利な形の……不確定要素が、働いた……かね」
超巨大建造物の根本に立つ『伯爵』は、難儀そうに頭をあげる。周囲の地面には見渡す限り、漆黒の重力フィールドが広がり、『塔』の基部を蝕み続けている。
髭の乱れた伊達男の転移律<シフターズ・エフェクト>、『世界騎士団<ワールド・オーダー>』を構成するひとつ、『塔<タワー>』が持つ能力だ。
これほどの超巨大建造物となれば、少しでも基礎部分をかき乱してやれば、おのずと自重で崩壊する……はずだった。
しかし『伯爵』の見立ては、なかなか、思うように進んでいない。偏執狂ともいえるほどの強度だ。『塔』の天頂付近で、なにか大きな衝突が発生したようだが、それでも完全な破壊には至っていない。
「ふむぅ……建築物に対して適切なコメントかは、わからないが……なんとも、まあ、あきれたしぶとさかね……設計者の執念すら、感じるよ」
髭の乱れた伊達男の声音と表情に、余裕はない。『塔<タワー>』によって展開される重力フィールドは、能力主にも影響を与え、無視できない負荷となっている。
型くずれを通り越して、完全に潰れ、見るも無惨に平面と化したシルクハットを逆手で撫でながら、『伯爵』はため息をつく。
「やれやれ……我輩にとっては思い出深い、お気に入りの帽子だったのだが……ことが終わったならば、修理を手配するか、はたまた新調するか……」
『──なんとなればすなわち、デズモンド! 『塔』の解体を、急いではくれないかナ!?』
髭の乱れた伊達男の感傷をかき乱すように、導子通信機から『ドクター』の早口の声が響く。『伯爵』は、再度のため息を吐き出す。
「ふむ……キミが仕事を急かすとは、ずいぶんと珍しいことではないかね。ドク?」
『──すまない、デズモンド。柄にもないことを、言ってしまったかナ……とはいえ、臨界が近づいているのは確かだ。早いに越したことは、ない……』
「いや、こう見えて我輩も、だいぶ無理をして急いでいるのだが……半年という突貫で建てられたのが信じられないほどの頑健さだ。いったい、どんな人物が設計したのかね?」
『──なんとなればすなわち、この『塔』は、モーリッツくんの作品かナ』
「ふむ、道理で」
髭の乱れた伊達男は、合点の言った表情を浮かべる。旧セフィロト社の元技術解析部主任、あの神経質な導子技術者が手がけた建造物というのならば、このしぶとさにも納得がいく。
「とはいえ、これ以上、どうやって押し込むべきかね……我輩、出し惜しみしているつもりは、ないのだが……」
苦虫を噛み潰したように口元をゆがめながら、『伯爵』は独りごちる。『塔<タワー>』の重力フィールドを強めることは可能だが、当然、能力主への反動も大きくなる。
これ以上の出力は、自滅を招きかねない。かといって、ほかの『世界騎士団<ワールド・オーダー>』を起動するほどの余裕もない。魔力も絞り尽くして疲労困憊、すでに青色吐息の状態だ。
伊達男以外に動いている協力者たちにしても、同様の状態だろう。むしろ帝国の戦力を相手取って、十分に善戦しているレベルだ。だからといって、それで満足できる局面というわけでもないのが、ジレンマなのだが。
──バサリ……バサリ……
頭を悩ませる『伯爵』は、力強く悠然とした羽ばたきの音を聞く。『塔<タワー>』の重力フィールドの影響範囲では、一般的な動物はおろか、並の魔獣や飛行機械ですら、空を舞うことは困難となるにも関わらず。
「ふむ……これは、これは……」
ずうん、重い地響きを鳴らしながら、岩山のごとく巨大な存在が、髭の乱れた伊達男のすぐ隣に着地する。人ではないが、『伯爵』にとって見知った相手だ。
赤茶けた荒野のごとき鱗を持つドラゴン。全身には大小無数の傷を刻まれ、その双翼は痛々しいまでに黒焦げとなっている。この巨龍もまた、いずこかの戦場で死闘をくぐりぬけてきたのだろう。
「ふむ……暴虐龍、ヴラガーンではないかね。龍皇女どのの宮殿以来かな……このような異郷の地で再会するとは、奇遇であることだ」
『シュー、シュー、シュー……相変わらず慇懃で、まわりくどい話し方をする男ぞ。貴族かぶれめ……つうッ』
ふん、と面倒くさそうに鼻を鳴らした暴虐龍は、苦痛にうめくような声をこぼす。
「貴龍ほどのものが、手負いかね?」
『貸した翼をぞんざいに扱われて、このザマぞ……このがれきの山を崩すというのなら、貴族かぶれ、オレにも手伝わせろ。腹いせだ』
ヴラガーンは首をめぐらせ、次元世界<パラダイム>に突き刺さる巨大な釘のごとき『塔』の天頂へ視線を向ける。『伯爵』は、せんべいのようになったシルクハットを持つ手で、どうぞ、とジェスチャーを示す。
『──ドオウッ!』
暴虐龍は、思い切り吸い込んだ空気を肺のなかで圧縮すると、吐息<ブレス>として放つ。呼気の弾丸を穿たれ、盛大な崩落音とともに、超巨大建造物の側面に大穴が開く。
『気に喰わん、気に喰わんぞ……ッ!』
四肢で地面を蹴ったヴラガーンは、重力フィールドも意に介することなく、『塔』の崩壊地点から首を突っこむ。ふたたび圧縮空気弾を撃ちこまれると、建築材が内側から破裂するように吹き飛ぶ。
『なにもかも……気に喰わんッ!!』
暴虐龍は、神話伝承に登場する大蛇のごとく身をくねらせながら、超巨大建造物の内部へ潜りこんでいく。不定期に破砕音が響き、ますます壁面に走るひびが大きくなっていく。
「ふむ、さすがは荒ぶるドラゴンといったところかね。この威容を見せつけられれば、千年まえの龍戦争において、龍皇女どのと死闘を演じたという話も、信じざる得ない」
ヴラガーンの暴虐と『伯爵』の重力フィールドが相互作用を形成して、『塔』の崩壊は加速度的に進んでいく。髭の乱れた伊達男は、耳にはめこんだ導子通信機の調子を確かめる。
「あー、ドク。聞こえるかね? 頼もしい援軍が到着した。『塔』の解体は、どうにか目処がついた。そちらは、崩壊に巻きこまれぬよう注意してくれ」
『こちらでも確認できているかナ、デズモンド。それと、このワタシのことは心配無用だ。たったいま、回収部隊と合流したところだ』
仔細まではわからないが通信機越しに、初めて聞く女の声がする。あの青年は、この半年のあいだに、伊達男の知らぬ協力者を得たか。
「ふむ、体術のみならず、人望のほうも一目おかねばならないかね。あるいは……あの『淫魔』が、執心するくらいだ。ああ見えて、とんだ色男かもしれない」
にやり、と口角を歪めた『伯爵』は『塔<タワー>』による重力フィールドの出力をゆるめることなく、眼前の超巨大建造物を見あげる。
ぴしゃり、と音を立てて、神が怒りを示す稲妻のごとく、ひときわ大きな亀裂が超巨大建造物の側面に走った。
──オオォォォ……ンッ!
次元世界<パラダイム>そのものが鳴動するような音を立てて、『塔』全体が本格的な崩壊を始める。壁面の部材が剥離し、『伯爵』へ向かって倒れこんでくる。
あまりにもスケールが大きすぎて、遠近感がつかめない。伊達男自体、崩落の開始を、なんらかの錯覚かと思ったくらいだ。
大小様々のがれきが重力フィールドに引っ張られて、地面に叩きつけられていく様を目の当たりにして、ようやく『伯爵』は事態の進展に実感を持つ。
「……ふんッ!」
髭の乱れた伊達男は、右人差し指と中指で挟んだ『塔<タワー>』のカードをひっくり返す。重力フィールドの引力が反転し、斥力フィールドとなって『伯爵』を包みこむと、落下物と土煙から能力主の身を守る。
超巨大建造物の内側に潜りこんでいったヴラガーンの身を、一瞬、髭の乱れた伊達男は案じる。人智を越えたドラゴンの力を眼前で見せつけられたことを思いだし、すぐに考えを改める。
「あの龍に限っては、心配なぞ、かえって無礼になるだろう。それよりも、いまは……CQ、CQ。こちら、『伯爵』! ドク、聞こえているかねッ!?」
伊達男は、導子通信機に向かって、がなり立てる。斥力フィールドの周囲をおおい、完全に視界をふさいでいる土煙のごとく、ざりざりと砂嵐のごとき音しか返ってこない。
「ふむ……建設がモーリッツの手によるものならば、当然、『塔』も導子技術の塊であるはずだ。通信機と、なんらかの干渉を起こしても不思議ではないかね……」
なにも見通せない、煙幕におおわれた空を『伯爵』は見あげる。一瞬だけ、逡巡するも、すぐに瞳に決意の光を宿す。
「正直なところ……我輩、過労死の心配をせねばならないレベルで、魔力が枯渇しているのだが! いまは1秒の躊躇でも、状況が変わりかねないかね……『促成』の、樹術ッ!!」
髭の乱れた伊達男の詠唱に応えるように、足元から1本の樹が生えてくる。蛇のごとくのたうつ幹は、『伯爵』の足場となって、数十メートルを一気に上昇する。
急伸長する樹のうえに乗って、大地全体をおおっているのではないかと思うほどのぶ厚い土煙の層から、髭の乱れた伊達男は抜け出す。
眼下の視界を遮る微粒子の波のなかに、巨大な影が映る。難儀そうに黒焦げの双翼を羽ばたかせて、ゆっくりと浮上してきたのは、暴虐龍だ。
『シュー、シュー、シュー。なんだ、この砂埃は……気に喰わんにも、ほどがあるぞッ!』
「ヴラガーン! 無事だったかね!?」
『オレを誰だと思っているぞ、貴族かぶれ! それよりも、この有様はなんだ!?』
「軌道エレベーターサイズの超巨大建造物が崩落したのだ。体積的に考えて、この程度の土煙が発生しても不思議ではないかね……」
『……気に喰わんぞ! わかっていたのなら、さきに言わんかッ!!』
頼れる協力者の安泰を確認した『伯爵』は、あらためて周囲を見まわす。超巨大建造物の余波で、地表は一面、黄土色の噴煙におおわれている。
間違いなく、『塔』は崩壊した。ときおり巨大な建築部材が、ゆっくりと思い出したかのように地面へ向かって落下して、土煙の海原に沈んでいく。
髭の乱れた伊達男は、導子通信機に耳をそばだてる。ドクター・ビッグバンからの応答は、まだない。
「ふむ……ドクに限って、脱出しそびれるような下手を踏むとは、思えないが……ときに、ヴラガーン。なにか、違和感のようなものは覚えないかね?」
『こんなときに、何事を聞くぞ……妙に、身体が軽い気はするが……』
「ふむ、ふむ……やはり、そういうことかね……」
『勝手に納得するな、貴族かぶれめ! オレにもわかるよう、かみ砕いて説明しろッ!!』
暴虐龍は長い首をめぐらせ、巨岩のごとき瞳を見開き、伊達男の顔をのぞきこむ。人間はおろか、並のドラゴンでもすくみあがるひとにらみを受けて、なお、落ち着いた表情の『伯爵』は顔をあげる。
「我輩、旧セフィロト社に在籍していたころ、重力フィールドを武器としていた時期が長かった故、気づいたのだが……貴龍、見えるかね?」
髭の乱れた伊達男が見据えるのは、崩れゆく『塔』の天頂だ。ヴラガーンの視線も、つられて上方を向く。
完全に崩壊した地表の基部から、幾本もの亀裂が頂上へ向かって走っていく。しかし、高度が増すほどにスピードは遅くなり、建築部材の粉砕速度も鈍くなる。
壁面の割れ目の上昇が、やがて止まる。超巨大建築物は、中腹付近までは完全に脱落しながらも、いまだ上層部は形状をとどめたまま、宙に浮かんでいる。
『なんぞ、これは。根本を失って、なぜ立ち続けている……大規模な魔法<マギア>でも、かけているのか?』
「いや、おそらく……魔法<マギア>でも、技術<テック>でもないかね。我輩のカンだが……天と地の引力が釣りあい、無重力状態が発生している可能性が高い!」
『伯爵』は、背伸びをすれば頭をぶつけてしまいそうな錯覚を覚える閉息感に満ちた空をにらみつけながら、歯ぎしりする。導子通信機を再起動し、ドクター・ビッグバンの応答を乞う。
「CQ、CQ……ッ! ドク、これはどういうことかね!? グラトニアの地に、いま、なにが起こっている!!」
『──なんとなればすなわち……引き寄せられ、落下してくる次元世界<パラダイム>群と、グラトニアそのものの重力が干渉しあっている結果と考えられるかナ』
通信が、復旧した。若干ノイズが混じるが、伊達男の友人である白衣の老科学者の声が耳道に響く。
スローモーションのような速度で落下するがれきの狭間を縫うように飛翔する、蒼碧の輝きの軌跡が見える。ドクター・ビッグバンが言っていた、回収部隊とやらか。
「やはり、か……しかし、ドク! 見ての通り、『塔』の破壊には成功した……大規模次元融合は、停止するのではないかねッ!?」
脈拍の上昇と、血の気の引く悪寒を覚えながら、『伯爵』は通信機に向かって、がなり立てる。通信機越しの老科学者の声が、一瞬、沈黙する。
『……臨界点を、突破された可能性があるかナ』
老科学者が、抑揚のない声で応答する。髭の乱れた伊達男は、めまいを覚える。通信内容は聞こえずとも、ただならぬ『伯爵』の様子に、ヴラガーンが息を呑む。
「もはや……為すすべはない、と? 我輩の故郷、ユグドラシルも……長き雌伏の時を越えて、ようやく復活を遂げたというのに……グラトニアに呑みこまれるのかね?」
『まだ、確定したわけではないかナ……至急『シルバーブレイン』に帰投し、状況の確認と、必要に応じた対抗策の算出を試みる!』
風切り音に混じって、どこか強がるようなドクター・ビッグバンの声が、通信機から響く。肩を震わせる伊達男は、高々度に浮かぶ銀色の船影に向かって、蒼碧のラインが一直線に伸びていく様を見た。
「グオラッ」
「グヌウ!」
激しく振動し、ところどころ崩落すらしている足場の悪さをものともせず、グラー帝が拳を伸ばす。アサイラは、寸でのところで直撃を回避する。音速を超える拳圧が頬をかすめ、切り傷を刻む。
黒髪の青年は、ひびだらけの柱を遮蔽に使いつつ、彼我の間合いを保とうとする。諸肌に傷ひとつない偉丈夫は、まるで石ころでも蹴飛ばすように、『塔』の部材を破壊しながら接近してくる。
アサイラが右手に握る大剣、『星辰蒼尾<ソウル・ワイアード>』は刀身を糸に変じ、戦闘空間全体に縦横無尽に張り巡らしている。
人間の反射神経を超えて繰り出される暴君の破滅的な一撃を、黒髪の青年はワイヤーから伝導してくる振動で察知し、ときに直接的に軌道をそらして、紙一重の回避をかさねてきた。
「グオラッ」
「グヌッ!」
グラー帝が、足元のがれきを蹴り飛ばす。無数の石片が、散弾のごとく全身にあたり、アサイラはうめく。偉丈夫は、隙をつくような急接近から、大振りの、しかし動態視力の限界を超えた速度のアッパーカットを放つ。
「ウラア……ッ!」
黒髪の青年は、無数の戦闘経験から暴君の攻め手を先読みし、後転で回避運動をとる。グラー帝の一撃は、ぶんと宙を切る。拳をまっすぐ伸ばされていたら、踏みこみ次第では致命傷を喰らっていた。
「……グヌゥ」
空中で後方回転したアサイラは、着地と同時に両ひざの脱力感と鈍痛を覚えて、小さくうめく。
偉丈夫の攻撃の数々をいなし続けているとはいえ、常に死線にさらされる状態で、疲労が蓄積している。かすり傷のダメージとて、一撃の重さを考えれば無視できない。なにより、グラトニアの専制君主自身が、黒髪の青年の巡らす策に順応しつつある。
「どうした、愚者よ。なにをしている。余を倒すつもりなのか、と思っていたが、先刻からの動き……一言以ておおうならば、時間稼ぎにしかなっていない」
「グヌウ……」
悠然と足を踏み出しながら口を開くグラー帝に対して、アサイラは歯ぎしりをする。眼前の偉丈夫が言うとおりだ。
自分は致命傷を回避し続け、なおかつ、相手には小さくてもダメージを与え、蓄積させていく。黒髪の青年は、そう考えていた。
しかし、現状は真逆。アサイラは確実に消耗し、いまや暴君の攻撃をかわすだけで精一杯。じょじょに、それすらも厳しくなりつつある。
黒髪の青年は、ふらつきながらも徒手空拳を構えなおす。問題は、疲労とダメージのみではない。手の内を、相手に知られつつあることでもない。
戦い続けるうちに、ただでさえ圧倒的な専制君主の身体<フィジカ>能力が、わずかずつ、しかし確かに向上している。対面し、拳を交えているからこそ、確信できる。
「気づいたか。一言以ておおうならば、然り、である……グオラッ」
「……ウラアッ!」
アサイラの胸中を見透かしたかのように、グラー帝はつぶやく。ほぼ同時に、無造作な右ストレートを放つ。黒髪の青年は、とっさに側転して、身をかわす。
「グヌ……ッ!?」
破裂音と崩壊音が、屋内に反響する。アサイラは、呆然とうめく。偉丈夫の拳から生じた衝撃波が、『塔』を貫通した。第六感が、そう告げている。
黒髪の青年は、それでも眼前に起こった現象を、にわかに信じることはできない。この超巨大建造物は、都市ほどの直径を誇る。それを貫通するなど、戦車の主砲はおろか、下手なミサイルですら及ばない破壊力だ。
「こいつ自身の力が……増大している、のかッ!?」
「然り、である。次元融合の進行に比例して、余の構成導子量は上昇し続けている……時間稼ぎをすれば、有利となるのはこちらのほう……理解したか、愚者よ?」
伸ばした腕を引き、ボクシングの構えをとりなおすグラー帝は、双眸を冷ややかに光らせる。アサイラもまた、腰を深く落とし、自身の体術を構える。偉丈夫は、あきれたように息を吐く。
「なお、抵抗するか。ひざを突き、頭を垂れ、敗北と過誤を認めるならば、苦痛なき死を恵む慈悲は、余にもある。大規模次元融合が完了すれば、余の構成同士量は、もはや次元世界<パラダイム>規模から、宇宙そのものとなるのだぞ?」
「知ったことか。だったら、宇宙とも殴りあってやるだけだ……グヌッ!?」
黒髪の青年は、うめく。無傷の偉丈夫は、動いていない。『塔』全体が、ひときわ大きく振動した。専制君主は、心底つまらなそうに目を細める。
超巨大建造物の壁が、床が、柱が分解していく。がれきの欠片と化した『塔』の部品たちは、しかし落下することなく、空中に浮遊している。アサイラもまた、足の裏の感覚がなくなり、無重力状態のごとく身体が宙を漂う。
「なにごとか、これは……ッ!?」
「ひとつは……誰ぞ、不届きものが『塔』を破壊したか。余の象徴を灰燼に帰そうなぞ、一言以ておおうならば、傲慢不遜である。のちほど、なんぞ罰を下さねば、な」
亀裂が広がり、隙間から陽光が差しこんでくる様子を見やりながら、グラー帝はつぶやく。アサイラは、周囲に張り巡らせた蒼銀のワイヤーをたぐって、どうにか体勢を整える。
「そして、もうひとつ。愚者よ……この無重力状態は、汝らの反抗が無意味である証左である……」
威圧するような輝きを宿した偉丈夫の双眸が、黒髪の青年を射抜く。
「……余の『覇道捕食者<パラデター>』によって引き寄せた次元世界<パラダイム>たちは、閾値を超えた。あとは放置しても、勝手に落ちてくる。大規模次元融合は、グラトニアの名のもとの侵略政策は、ここに果たされる」
「神様にでもなろうか、ってご高説じゃないか」
「一言以ておおうならば、否である。神になるのではない。余は、すでに神となったのだ」
グラー帝の言葉を聞いたアサイラは、無重力状態に翻弄される身体を『龍剣』の刀身から作り出した糸の張力で支えながら、拳を握り直し、眼前の相手をにらみかえす。
「さっき言わなかったか、裸の王さま? 宇宙相手でも、殴りあってやるってな!!」
周囲に浮かぶがれきを蒼銀のワイヤーでつかみ、どうにか姿勢を維持する黒髪の青年は、無重力状態でもなお、不動の体勢を保ち続ける偉丈夫に対して声を張りあげた。
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