Bitter Choco Liqueur
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ビターチョコリキュール
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「お姫様四重奏」
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その日は、雨が降っていた。この季節、央都では珍しい雨だった。大粒の水滴が激しく城の石壁にたたきつけられる。空は厚い曇天に覆われ、日の光は届かず、城内は暗い。南方でよく見られるような荒い天候が、央都の街並みを濡らしている。
僕は、セレスティアとともにティルダの部屋に見舞った。侍女たちは、部屋の外に追い出した。昼前にも関わらず、燭台の上にはろうそくが灯されている。
ティルダは目を閉じ、床に伏せていた。かすかな呼吸にあわせて、彼女の胸が上下する。ティルダの白い肌も、金色の髪も、前に見たときよりも透き通っているように見えた。儚げで、いまにも消えてなくなってしまいそうだ。
昨日より、ティルダの監視は厳しくなっている。彼女の世話には、オルストレムの女官だけではなく、レイグラントやマリ=ルイスの者が必ず立ち会うことになった。
「食事に混ぜた薬がよく効いているようです」
セレスティアが、ティルダの脈を取りながら言った。処方された薬のおかげだろうか。先日、ティルダの身体から湧き立ち、むせかえるようだった甘い臭いは、いまではほとんど気にならない。
「ティルダ姫には、解毒薬と鎮静薬、それに蟲の活動を鈍らせる薬を与えています。しばらくは、ぐっすりと眠り続けるでしょう。ただ……」
説明を続けるセレスティアが、一瞬だけ言葉に詰まる。
「……文献の記録よりも、体力の消耗と自我の衰弱が激しいように見えます。ティルダ姫の中の蟲は、毒の強い変種かもしれません」
僕は、視線をティルダからセレスティアに移す。淡々と職務につとめるセレスティアの顔からは、表情を伺うことはできない。
「ティルダの身体から、蟲を抜くことは可能か?」
「いずれは可能ですが、今は現状の治療を続けるのがよろしいかと存じます」
僕の質問に、セレスティアは顔色一つ変えずに答えた。僕は、ティルダ姫を眺める。眠り姫の口元が、かすかに動く。
「……母様……」
まどろみの中のティルダが、誰に言うでもなく呟いた。
ティルダの居室を後にするとき、オルストレムの侍女、レイグラントの衛兵、マリ=ルイスの医術師と入れ替わりになる。
オルストレム族王国の侍女は、すれ違いざま僕らのことをにらみつけた。自らが仕えるティルダ姫に卑しい蟲がとりついていることを、彼女たちは分かっているのだろうか。あるいは、何も知らずにティルダの変調は僕らの陰謀だと思っているのかもしれない。
夕暮れのように暗い回廊を、セレスティアを引き連れて歩く。
廊下の向こうから、すすり泣く声が聞こえてきた。ティルダの部屋からではない。前からだ。僕とセレスティアは、顔を見合わせる。
ぐずるような涙声は、僕らのほうに近づいてくる。
「う、うぅ……えぐ、えぐっ……どうしよう、どうしよう……!」
「ほら、泣くな。コレット、大丈夫だ。落ち着いて。まずは、ヴァレリオとセレスに相談しよう。な」
鳴き声の主はコレットだった。それをエミリエがなだめているらしい。
僕とセレスティア、エミリエとコレットは廊下で鉢合わせとなった。コレットが赤く腫れた瞳を、丸く見開く。気のせいか、コレットの白百合をかたどった髪飾りが、雨に打たれて萎れている様に見えた。
「あ、ヴァレリオ様……」
コレットは僕の前に歩み出ると、震える手で握りしめていたものを差し出す。くしゃくしゃになった書簡だった。コレットの涙のせいではない。雨の中、大急ぎで届けられたのだろう。
「エミリエ、この書簡が届いたのは?」
「つい先刻だ。運んできた使者殿は休ませてある」
僕は書簡を開いた。現在テオフィラ連郷国をまとめているアドラシア大郷主の署名がある。
中身に目を通す。簡潔な内容だった。テオフィラの各地で雨が降り続いていること。多くの犠牲者が生じ、水に呑まれた郷も出始めていること。最後に、ロメスディクス王妃候補であるコレットを通し、央国に援助を求める旨が書き記されていた。
西方のテオフィラは、さらに西の大砂漠と接している本来ならば乾燥した土地だ。乾いた土は、降り注ぐ慈雨を地中に蓄えられない。
書簡にはテオフィラの地図が同封されていた。被害地域に印が付けられている。連郷国全土の、およそ三分の一。コレットの出身郷は被害に遭っていないようだが、水害がこれ以上拡大しないとは言い難い。
「エミリエ、セレスティア」
僕が名を呼ぶと、二人は身を正した。
「人を呼んでくれ。貴族と大臣を召集し、緊急の合議を執り行う」
その日の午後、央城内の議場に各公務を任された大臣、実務を担う文官、有力貴族の代表が集まった。僕は議場の間の最奥に設けられた、一際豪奢な椅子に腰を降ろす。
テオフィラの天候がおかしくなり始めたのは、今に始まったことではなかった。数年前から雨が増え始め、主要産業である牧畜に影響が出始めていた。はじめのうちは一年限りの異変だと誰もが考えたが、一年、二年とそれは続き、年を追うごとに雨量は増え続けていた。
ロメスディクス央国に対し、傘下国は国富の割合に応じて税を納め、有事の際には央国の名の許に支援を受ける。央国と傘下国の間には、そのような約定が結ばれている。
故に、テオフィラの一件は他人事で片づけられない。そうでなくても天候不順が始まって以来、西方から央国への税収は極端に落ち込み、テオフィラ人への慈善事業のための出費は増え続けている。
いつかは、抜本的な対処をせねばならない。
誰しも、心の準備はできていた。それ故、会議自体は滞ることなく進んだ。このような場では、王妃となる者は出身国の大使として振る舞う。当事者であるコレットは、故郷を案ずるあまり合議をできる状態ではなかった。
エミリエとセレスティアが、コレットの言うべきことを代弁した。エミリエは治水のためにレイグラント武候国の工兵団を動員することを提案し、セレスティアはマリ=ルイス選王国の優秀な技官を召喚する旨を申し出た。
テオフィラの大郷主は、自ら対処することが可能のはず。出費を惜しむが故に、ロメスディクス央国の支援に頼っているのではないか。
そう主張して支援に反対する者もいた。僕は、ロメスディクス王として西方援助の陣頭指揮を望む意志を伝え、自ら兵団を率いると宣言した。
すると、反対の声はなくなった。皆の予想よりも幾分早く、合議は終わりを告げた。
夕食後、僕は三人を自分の居室へと招いた。エミリエとセレスティアは、出身国への伝達や配下たちとの協議に追われ、若干疲れの色を見せている。祖国の支援が決定されたことで、コレットは落ち着きを取り戻しつつあった。
侍女に命じて、茶を用意させた。その後、人払いを告げる。なれた様子で侍女たちは部屋を辞した。
「ヴァレリオ。本国に急使を出した。一週間程度で、工兵を央国入りさせられる。第一陣の規模は数百名といったところだろうが、必要に応じて後続を用意するつもりだ」
茶を口にする前に、エミリエが報告した。
「殿下。マリ=ルイスの技官も同時期に到着するかと。技術指導に当たる一級技官と補佐を任せる二級技官の編成を組むよう伝達しました」
セレスティアが続いた。僕は二人の言葉を聞いて、うなずきを返す。茶を一口含み、舌を潤した。
「ヴァレリオ。おまえ、本当に西方まで工兵団を引っ張って行くつもりか?」
「そうだよ、エミリエ。それに、王妃候補たちにも一緒に来てもらおうと思っている」
エミリエの質問に、僕は答える。
「殿下がそのようにおっしゃられるのなら」
「私は初めから行くつもりだったぞ?」
「も、もちろん私もご一緒します……!」
三人の姫君たちは、一斉に肯定の言葉を口にした。
「ティルダ姫もだ」
僕が残った姫の名を告げると、三人は同時に沈黙する。
「……なあ、ヴァレリオ。ティルダに対する恨み辛みは無しにしても、今のあいつは病人みたいなものだ。足手まといになる」
エミリエが意見を聞いて、僕は首を横に振る。
「エミリエがそう思っているように、オルストレム出身のティルダを敵視する人間は多いよ。僕がいない間に、謀殺しようとする者が現れるかもしれない……それに、淫蟲を手配したのがオルストレムの者だとすれば、ティルダは身内に利用されるかもしれない」
僕の反論をエミリエは唇をかみながら聞く。
「なにより、ティルダも僕の王妃候補なんだ」
最後に付け加えると、三人はまた黙り込んだ。僕は茶を口元に運ぶ。ぬるくなった液体が唇を濡らす。我ながら空虚な言葉だと思った。三人の姫君たちは、どう感じただろうか。僕はこの国に火の粉がかからぬように、ただそれだけのためにティルダをかばおうとしている。だとすれば、僕は空っぽの王様なのかもしれない。
「セレスティア」
僕が名を呼ぶと、彼女は顔をあげる。
「ティルダの蟲を完全に抜く治療法はあるかい?」
セレスティアの蒼い瞳が、僕の目を見つめ返す。彼女は何事かを思案している。聡明な頭脳の中では、稲光のように思考が駆け巡っているだろう。
「それでわざわざ西方まで行くとおっしゃったのですね」
セレスティアは僕の意図を理解したらしい。央城内でティルダの中から禁制の蟲が出てきたとなっては大騒ぎだ。西方の、それも辺境を回るのであれば、人目を避ける機会はいくらでもある。
「……分かりました。確実に治るとの保証はできませんが、極秘で本国に治療法を尋ねてみましょう」
セレスティアは瞳を閉じて、ため息をつく。
「ただし、一つ条件があります」
開かれたセレスティアの瞳が、僕を見据える。
「ティルダ姫から蟲を抜くことに成功した暁には……ロメスディクス王宮において一夫一妻制を導入していただきたく存じます」
一瞬、セレスティアが何を言っているのか理解できなかった。エミリエとコレットも同様だろう。
「おい、セレス……それは、どういう意味だ……?」
エミリエの声が震えていた。
「ロメスディクス王は一人の王妃のみを妻として迎えるべきだと言っているのです。そもそも王は民の規範となるべき存在。民たちは一人の夫と一人の妻で結ばれているのに、王のみ幾人もの妻をめとるというのは奇妙な話ではありませんか」
セレスティアは滔々と言ってのけた。エミリエが椅子から勢いよく立ち上がる。
「……ふざけるなっ!」
エミリエが怒声をあげる。
「セレスっ! おまえはロメスディクスの規範を愚弄する気か!? レイグラントでは男が何人も嫁を取るのは珍しくないんだぞ!!」
エミリエの激情も無理はない。ロメスディクス王宮の一夫多妻制は、元はと言えばレイグラントから取り入れられた文化だ。母国の風習を愚弄されたようにも感じるだろう。
「あなたの国の話は、武人階級に限ったことでしょう。それにマリ=ルイスやテオフィラでは、支配階級であっても一夫一妻が普通です」
対するセレスティアは動じる様子もなく、エミリエと目も合わせようとしない。エミリエは今にも殴りかからんと、拳を固く握りしめている。
「おまえがそう言うんだったら、私にも考えがある……」
エミリエは絞り出すように言った。
「ロメスディクス王が一人の妻のみをめとるようになったら、レイグラントの工兵は一人たりとも動かさないっ!!」
エミリエの宣言が居室に響く。
「公私を混同するのは感心しませんね、エミリエ姫」
「黙れ! 言い出したのはおまえだろうが! セレスっ!!」
セレスティアの皮肉と、エミリエの怒号が交錯する。エミリエの激情をひとしきり受け流したセレスティアは、僕のほうに向き直る。
「私は初めから、ヴァレリオ殿下に申し上げているのです……殿下、ご決定を」
「ヴァレリオ! 言うことを聞く必要なんかない! なんでセレスやティルダのために、央国のしきたりを変えねばならないんだ!?」
セレスティアの冷徹な瞳と、エミリエの血走った瞳が僕に向く。戸惑い涙を浮かべたコレットも、つられて僕のほうを見る。
僕は目をつむり、黙考した。
「……セレスティア。君は、僕が一夫一妻制度の導入を約束したら、ティルダの治療をしてくれると言うのだな?」
「はい、その通りです」
泉に湧く清水のように澄み切ったセレスティアの声が響く。
「エミリエ。君は、ロメスディクスの規範が複数の王妃を迎え入れるものである限り、工兵団を動かすのだな?」
「あぁ、その通りだ」
彼女が握る剣のように強くしなやかな意志のこもった声音で、エミリエが返事を告げる。
「余は、ロメスディクスの王位を継ぐ者として告げる」
僕は目を開く。僕が言葉を発すると、エミリエ、セレスティア、コレットの三人に鋭く緊張が走る。
「王妃候補セレスティアの進言を聞き入れ、ロメスディクス王と王妃は一夫一妻とするよう王宮規範を改めることを約束する。なお、規範の改定は半年後とする……それまでの間、ロメスディクス王宮の規範は一夫多妻。それ故、王妃候補エミリエは工兵団の動員を遂行せよ」
「ヴァレリオっ!」
エミリエが悲鳴じみて僕の名を呼ぶ。僕は、彼女を一瞥する。
「ロメスディクス王となる者との約束を違えるのか?」
僕は『王』として、エミリエに問うた。彼女は身を震わせたまま、石のように黙り込む。
僕は居室の執務机から紙とペンを取る。いましがた告げた内容を簡潔に書き記し、最後に自らの名を署名する。約定書となった紙をセレスティアに差し出した。
「仮にも王との約束だ。この証書は、その時まで大切に保管するように」
セレスティアはうなずく。紙を受け取る色白の手が、小刻みに震えていた。
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