秘密のパンケーキ!


小麦粉、卵、バター、そしてハチミツ。
平凡なしあわせというものは、案外少ないものでできている。



「結構な量ですね。軽く見積もっても、数か月分はありますよ。ほんとうに助かります」
「そうか」
「どこに置きます?兵長」
調査兵団兵舎の、貯蔵庫内。そばかすの多く浮いているやんちゃそうな娘が、きゃしゃな腕に似合わない腕力を発揮して小麦の袋を担ぎ上げながらリヴァイに訊ねる。
「任せる」
「はい」
リヴァイの仕事は、運ばれてきた物がちゃんとしたものかどうか確認するまでだ。どこに何を置けばいいか、それは料理担当の兵士が考えればいい。まさか粉ものを水場や窓の近くに置いたりはしないだろうし、貴重品のハチミツをその辺にぽいと投げ置いたりもしないだろう。もしそんなことをするようなクソ野郎が南区兵団の食糧担当なら、即刻転属命令を出してやる。
そもそも、確認作業も任せればいいのだ。
リヴァイは兵士長であって、食材管理長じゃない。兵士の長であるということは、俯瞰で見れば兵士ひとりひとりの健康管理まで含むのかもしれないが、それくらいひとりでやってくれと思うのがリヴァイの考えで、あまり細すぎたり逆に太り過ぎたりしていると自身の生死にも直結するので、その辺は本人に任せるようにしている。
それに、体調管理は座学のなかにきっちり入っている。みな自分の膂力で扱える武器やその重さは把握しているし、細身に見える彼女でも何の躊躇いもなく小麦の袋を担ぎ上げたのだから、こう見えて調査兵団全体のレベルは高い。
 だが、その優秀な食糧係の彼女にも任せられない仕事だった。難易度の話ではない。リヴァイが、自分自身の目で確認する必要があったということだ。
「それにしてもよくこれだけの材料を回して貰えましたね」
「……そうだな」
彼女が驚くのも無理はない。
この食料品たちは、いつもより五倍も多い荷馬車に積みこまれて兵団の門をくぐった。ハチミツなどは王都の、しかも貴族の館にしか回らないという噂の逸品だ。白い小麦も、バターも、この辺で手に入らないことはないが、いずれも高い。
それがこれだけ一気に集まるのだから、たいしたものだ。
「需要と供給が折り合ったんだろう」
その需要と供給を生みだしたのは自分だとはいわない。リヴァイは検品と称して、幾らかの小麦、卵とすこしばかりハチミツを部屋に持ち帰った。





「リヴァイ」
「なんだ」
「私の部屋のなかに、日々、お前の私物が増えていくのはどうしてなんだ」
「いいじゃねぇか。俺の部屋よりもずっと広いんだ。それくらい目を瞑れ。団長だろ。部屋と同じくらい度量の広いところを見せやがれ」
「なるほど。ではそのことには目を瞑ろう。確かに、まだ目にあまるほどじゃないしな。二、三の替えの服と、皿とカップ、それに食材が幾らかだ。今日またそれも増えたみたいだが」
ふーっとため息をつき、南側調査兵団の団長、エルヴィン・スミスは机に片腕を乗せた。視線の先には、リヴァイが暖炉の手前で熱心になにかを混ぜ合わせている。
「腕一本しかないっていうのによ。仕事の量は減らなくて残念だな、エルヴィン」
「右手を残してくれてまだ良かった。左手だと慣れないうちはスピードが追いつかないからな」
「……そうだな」
作業に夢中なのか、それとも別の理由で顔をあげたくないのか、エルヴィンの方をちらりと見ることもせず、とにかく一心不乱だ。
団長の仕事は、壁外においては兵を率いることが一番だが、壁内ではそのほとんどが事務仕事だ。ありとあらゆる書類がエルヴィンのところにまわってくる。その量は膨大だ。すべてに目を通し、サインと押し印をするのがエルヴィンの役回りだが、たまに上官であるピクシス司令直通の書類までもが(たぶん意図的に)紛れ込んでいるので、右から左への流れ作業では駄目だ。
書類の中身を見て、その宛名を確認するところくらい、誰か他の奴に任せればいいといわれても、生来の性分でエルヴィンにはそれができない。たとえ信頼できる誰かがいたとしても、結局二度手間には違いなく、それなら自分でやってしまった方が早いと考えるのだ。そういう意味では損な性格だといえる。
前回の壁外調査で、エルヴィンは腕を一本失った。左手だった。利き手側でなかったことはほんとうに幸いだ。前線を離れはしたが、すぐに用済みではなく、まだ人類のために動けることをエルヴィンは心の底から感謝した。
そういうわけで、王都から戻ってもひたすら暗躍と自室で山のような書類と戦う日々なのだが、そこになぜかリヴァイは毎日のように顔を出したがる。そしてことあるごとに物を持ち込む。
暖炉の季節になると、もともとその傾向はあったが、最近は特にひどい。「節約だ。一本の薪でひとりをあっためるより、ふたりをあっためる方がいいだろ。どうせてめぇの部屋は広いうえに人が来るからってガンガン薪を入れてるんだし、俺は寒がりなんだ」というのがリヴァイの、説明なんだか言い訳なんだかよくわからない言い分で、別に部屋に応じて薪を焚きすぎているということもしないし、それはお前もわかっているはずなんだがという反論も無駄そうなので、エルヴィンは「そうか」とただうなづくだけだ。
たしかに、作戦を頭のなかで考えているときにリヴァイの意見を訊きたいこともあるし、そういうときにいちいち呼び出さなくてもいいのは便利がよい。
ただ、問題がないわけでもなかった。
兵たちの間にもなんとなくそれが知られているらしく、リヴァイの居所を訊ねる前に、まず団長室を訪れるという事態がまま起こる。それ自体は不本意だったが、まぁ些末なことだ。……部屋のなかで料理をされるということよりは、よほど。

リヴァイに作戦を託した、リーブス商会との密約は成功した。どんな作戦を立案しようと、そこには動ける兵士が必要であり、兵士を動かすには食糧がいる。兵士は人間だ。チェスの駒ではない。腹が減った人間の士気がいちじるしく低下するということを、王政側の人間のどれほど気づいているかわからないが、これでまず、食糧を絶たれるという一番の痛手は受けなくてすみそうだ。
今日、リーブス商会から最初の食糧が運び込まれた。希少品をとリヴァイが念を押したせいか、想像以上のものが運ばれてきたようだ。小麦、バター、ハチミツ。いずれも贅沢品だ。エルヴィンの手元には納品書もある。それに目を落とす。いちばんに目についたのはそれらではなく、彼の好きな紅茶だった。
なるほど、リーブス商会は利口な商売人のようだ。交渉相手のことをよくわかっている。特定の人間の好みを調べることなど、造作もない、というわけだ。

それはそれとして。
部屋のなかでじゅうじゅうと音がする。ついにリヴァイは鉄のフライパンを持ち込み、なにかを焼き始めた。
「パンケーキか」
「ご名答。……と言いたいところだが、まぁこの材料を見れば、それくらいしか推測の余地はないだろうな」
じゅうじゅうという音がだんだんとちいさくなる。音がほとんど聞こえなくなって、表面にぷつりぷつりと気泡が浮いてきたら、ひっくり返す。
エルヴィンのいる場所から、リヴァイの手元までは目が届かないが、手順は見なくてもわかった。美味しそうな匂いはさっきからこちらまで届いている。
「なつかしいな」
「そうか」
「ああ」
リヴァイの声は、そうか?と疑問形ではなく、そうかと納得した声だった。まるで、最初からエルヴィンがそう答えるとわかっていたような。
「父がたまに焼いてくれたな。父は教師だったが、料理はあまり得意じゃなかった。でも作り方だけは教えてくれた。ちゃんと作れて、なおかつ子供に教えてやれたのはせいぜいパンケーキくらいだったんだろう」
「学校の先生とやらだったんだろ、お前の父親は。勉強と料理じゃ習得の仕方が違うんだろう」
「お前はどこで作り方を学んだんだ?」
「俺か?」
 焼きあがった一枚をぽんと皿に落として、リヴァイは考え込んだ。
「さあな。わからん」
「そうか」
「そうだ」
出会って六年になるが、いまだ互いにすべてを明らかにはしていない。それはベッドの中でも、生きてきた道程であっても同じだ。わからないことがあればこそ、相手に執着が生まれる。人心を掴む術のひとつだ。時に本当で、時にきまぐれに、互いに隠すものや場所を振り分けては六年つきあってきた。
だが、パンケーキだ。されど、パンケーキ。
本当にリヴァイが、パンケーキの作り方を教わった相手も時期も覚えていないのか。それともとぼけているかは、エルヴィンにもわからない。わからないことが面白い。そういう風に考えていると、目の前に皿が出された。
「食え」
「食事は終わったよ。定刻通りに」
「だが、腹が減ってるんだろう。遠慮せずに食っちまえよ。どうせ試作品だ」
「どうして俺の腹が減っていると思うんだ?」
「理由は三つある。一つ、今の時間。深夜を過ぎている。見張りの衛兵だって夜食を食う時間帯だ。二つ。今日のお前は小食だった。パンを一切れとスープ一皿。蒸かした芋をふたつばかり。体調が悪いのか、単に腹具合が悪いのかは知らんが、でかい図体なのにそれだけで足りるはずがない。三つ。いつものお前なら俺が部屋で何をしていようと勝手にしろとばかりに書類の山に向き合ってるはずだが、今日に限っては手を止めている。気が散っている証拠だ」
「なるほど。ご名答」
さっきの意趣返しとばかりに、同じ言葉を使って褒めてはみたものの、それが逆にリヴァイを苛立たせたようで「クソが」とかわいげのない一言だけが返ってきた。もっともリヴァイの言葉づかいそのものがかわいかったことなど、六年の間、ただの一度もなかったので、それはそれで照れ隠しの言葉なのだと理解する。
これも六年のつきあいの賜物だ。
「どうした。はやく食えよ」
「それなんだが、リヴァイ。フォークもなしに手づかみで食べろと?」
「必要なのか?」
「……それもそうだな」
そうだ。どうせ片腕なのだ。そしてここは自分の私室だ。リヴァイの他には誰もいない。いや、いたとしても見られることに大してこだわりはない。多少の不自由も誰に知られても構わなかった。
ならば、と伸ばした手を
「待て」
とリヴァイが一言遮る。そして
「ほらよ」
まるでこの世の終わりのような顔をして、彼はどこからかナイフとフォークを持ち出した。
「…………」
フォークはともかく、ナイフは使いようがない。それもまた形式なのだろうか。エルヴィンが勝手に想像をめぐらせて引き取ろうとすると、相手は黙って首を横に振った。
格子状にナイフで線を引き、大部分は四角、残りのまるい部分を残した箇所もきれいに取り分けて、さらに彼はそのひとつをフォークで拾い、エルヴィンの口元に差し出す。
もちろん、そこで茶化すような言い方はしない。そうしたところでエルヴィンに利など一切ないのだから。
ではどうすればいいのか。こたえは簡単だ。黙ってそれを口にすればいい。
誰かに無為に食べ物を与えられた場合、相手がまったく知らない相手なら安易に口を開くのは愚の骨頂だ。もし毒でも入っていたら、相手を詰るより先に簡単に口を開けた自分を呪う言葉を吐くべきだ。それくらい、相手に口を預けるという行為は尊い。

エルヴィンは唇をあけ、だが焦らすようにすこしの間、そうしていた。
唐突な空白の時間にリヴァイが苛立つ。彼の苛立つタイミングはとてもわかりやすい。だからぎりぎりのところを選んでいける。だが、こんな芸当をできるのはこの世界でもエルヴィンだけだろう。
匂いと仕草で煽られた欲を我慢し、ぎりぎりのラインをせめぎ合って、そのいちばん高いところで充たすのは、なにも食事に限ったことじゃない。
わかりやすい代償行為の果てに、たった一口を長い時間をかけて咀嚼嚥下したエルヴィンを、リヴァイは心底軽蔑してみせたような顔で苦々しく見下ろした。
「溜ってんなら素直にそういえよ」
「いいや。……といいたいところだが、」
どうせなら食事と同じでゆっくり愉しみたいし、だがそれには圧倒的に時間が足りない。
今のすこしの間に、数ミリも減らなかった書類の山をちらりと見て、あとは察してくれと笑うと
「しょうがねぇ野郎だな」
とリヴァイはただそれだけをいい、あとは狂った機械のように黙々と、そして延々と材料のある限りパンケーキを焼き続けた。



淫猥な餌付けは最初だけで、あとは自分でなんとかしろよと放り出されたので、エルヴィンは右手にペンを持ち、時々それを焼きたてのパンケーキに持ち替える。上品な食べ方もいいが、野戦の最中のように手づかみで食べるのもいい。書類を扱うそのたびに、手をなにかで拭かなければならないのが面倒といえばそうだが。
「最初にお前が材料を運びこんできたときには想像もしなかったが、結構な量ができあがるものだな」
「物の質がいいからだろう。そう考えるとリーブス商会も必死だな。そう仕向けたのは俺たちだが」
「もちろんちゃんと正規の金は支払うよ、この通り」
ぴらりと見せた一枚の紙は、確かに上記商品を受け取ったという調査兵団団長の署名と押印つきだ。
「悪党だな、俺たちは」
リヴァイがいう。
「そうだな。否定はしない」
エルヴィンが答える。
だが悪くない。と、ふたりは胸の内でそうつぶやく。
少なくとも、これで世界が変わるはずだと信じている。
王政も自分たちも狂人だ。
どちらが先に相手を食い潰すか。
人が人を食らう。それがこの世界の唯一の理。
でも、それにもいつか果てがくると信じている。信じたいと願っている。
だから、リヴァイはパンケーキを焼き続け、それを夜食代わりにエルヴィンは食べ続け、その合間に少しだけキスをした。

明日からまた、誠実に戦い続けるために。







その日、調査兵団の中庭の掲示板には、とある秘密の告知が出された。もちろん秘密というからには、おおっぴらに広報はされていない。だがいつしかそれは調査兵団員すべてに知れ渡った。


【夕食後、談話室にて配給物あり。各自携帯食器を持参すべし。もしくはその場で手づかみ可。ハチミツ入りパンケーキ!】


 ハチミツ入りパンケーキ!

その部分は、誰かが勝手に書き足した落書きだ。
秘密が秘密の体をなしてない。
そんな笑い話をしながら、談話室は笑顔と商会への感謝の言葉でいっぱいになった。




end.
 SCCにて無配。  こんな穏やかな時間が今後兵団にあるといいなぁ。