英雄王ちゃんと綺礼ちゃん
「もう、終わりだ」
言峯綺礼は困惑の只中にあった。彼が震えながら手にしている金色の杯には、もう何も入っていない。
ひとつの部屋は酒の匂いで満たされていた。部屋の主と同じ匂いがする、と綺礼は思った。
悪い酩酊感を誘うこの匂いを、綺礼は何度もこの部屋で嗅いだ。時には裸で、時には着衣のままで。
もはや、主の匂いなのか、部屋の匂いなのか、その区別さえままならない。それほどに、綺礼はこの部屋に浸かりきっていた。
「ほう……?よく聞こえなかったが」
目の前で、その部屋の主は嫣然と微笑んで見せた。いつになく上機嫌だ。同時に、襲いくるような胸焼けを吐き出さずにはいられない。
綺礼は目を細め、その優男然とした細面を睨みつけた。
「これでもう、終わりにしないか。ギルガメッシュ」
「どういう意味だ?」
「終わりは終わり、だ。意味は、子供でもわかるだろう」
だがしかし、主はそれを赦しはしなかった。やさしい……慈悲深い花嫁のような笑顔で、綺礼を見つめたあと、手にした杯に透明な酒を満たす。
そして、子供のような好奇心でその色を覗き込んだ。
「不思議な色をしている。何をも通すような無欲な振りをして、なにもかも映すつもりか。なんという不敬よ」
自分に対して問うているのか、と綺礼は悩んだ。
いま、部屋のなかには自分たちしかいない。部屋の主、英雄王ギルガメッシュは厳密には遠坂時臣のものだったが、今このときは綺礼のもとにあった。
彼は視線を横に流して、吐き捨てるようにつぶやいた。
「そんなことは、今はどうでもいいと思うが……?」
口元だけで笑みを表し、英雄王は一ミリも動かず「横に座れ」と綺礼に命じた。
「どうした?なにを固まっている。我の横に座ってもよいと言っておるのだ」
「にわかには信じがたい」
「ならば信じずともよい。貴様はただ黙って座れ」
傲岸不遜な魂は、即座に言い捨てた。
溜息をついて腰を下ろしたソファは、革の音を立てて綺礼の方に深く沈み込む。
自分が格別重いわけではない。ただ、彼の方が軽いのだ。
そう、軽い。この青年がいくら腹の上で暴虐を尽くそうと、綺礼にはなんの苦でもない。
綺礼が横に座ると、英雄王は珍しく自分から体を寄せてきた。
「……ギルガメッシュ?」
「聞こえなかったか?我は”ただ、黙って座れ”と言ったはずだ」
そうして、青年は動揺する綺礼の膝に自ら乗りあがった。片時も離さない、自らの金のゴブレットを手にしたまま。
対面に座し、肌さえも触れそうな近さで、やがて彼は自らにとってだけ居心地のいい場所を探り当てた。
「零れるぞ」
「それは勿体ないな」
「英雄王ともあろう男が勿体ない、だと?笑わせる」
「喪失したくないと思うものが、我にはないとでも言いたいのか?綺礼よ」
低く、ほとんど呟いたといってもいいほどの声に、綺礼の思考は立ち止まる。
青年の目を見た。見る気もないのに、見てしまった。鮮やかな赤。彼の好きな魂の飲み物と同じ色をした-----------
「触れるなよ」
淡く金色に輝く前髪が邪魔で、思わず手を伸ばしかけた瞬間、即座に英雄王は切り捨てた。
そんなつもりじゃなかった。そう言いかけたが、嘘はきっと見破られる。仕方なく、一旦は伸ばしかけたその指で綺礼は自分の前髪を掻いた。
「まるで従順な犬だな、綺礼」
「なんとでも言えばいい、英雄王よ」
「なに。従順なばかりではないというのも悪くはないものだ。綺礼。貴様は今生、我のエンキドゥ足るや?」
「我の、といったか」
「我は言葉を違えたことは一度もないぞ」
「どういう意味だ」
「まずはそれを飲み干せ」
嘲るような言葉だが、それが彼なりの悦なのだと綺礼はもう知っている。
指図すらなく手渡されたゴブレットを、綺礼は受け取った。中には酒が満たされている。
零れると彼にかかる。それだけを懸念して、慎重に彼は杯を掲げた。
青年は笑って、両腕をソファの背についた。上から綺礼を覗き込む算段だろう。
「今にも噛みつけそうな位置に首があるが……?」
「できるものならばやってみろ。許可しよう」
言われるがまま、深く切り込んだこのシャツの胸元に酒を浴びせてやろうか。
今ならばそれも可能だ。だが、やめた。直接精霊と対峙したところで、何の利もない。
杯を唇に運んだ。やはり、男と似た匂いがする。舌先で味わっている間は、なんの問題もないのだが。
「そうれ…………いっき、いっき、いっき、いっき……」
「ギルガメッシュ、そのコールはやめてくれないか」
「止めぬ。現世の倣いに興じるのもまた愉悦よ」
英雄王の悦にまみれた声に言われるがまま、綺礼は一気にそれを飲み干した。
「…………っ!」
喉で味わうなどとんでもなかった。
腹は焼け、もう入らないと声をあげる。目の端には、それまでふたりで開けた酒瓶が山のように転がっているのが映った。
(いくらなんでも……飲みすぎだ……!)
それでもどうにかして、綺礼は酒を飲みきった。
空の杯を見せると英雄王は満足げに頷く。
「上等である。綺礼よ、次は我だな」
言うが早いか、彼はおもむろに自分で杯に酒を注ぎ、瞬く間にそれを飲み干した。あっという間だった。
「これはまた……見たとおりの、水のような酒よ」
「アルコール度40%は越えているはずだ、が……」
「あるこーる度とはなんだ。酒の物差しか」
もうなにも言えぬ。酒には弱くないつもりだった。そしてたぶんそれは間違えてはいない。
ただ、彼が強すぎるのだ。
「綺礼。眠ることは許さぬ。夜はまだこれからだ」
「眠るわけじゃない……体がもう、言うことをきかないんだ……」
ソファに座っていてよかった。立っていたままであれば、おそらくその場で倒れていたはずだ。
酩酊感がすさまじい。アルコール度42%ストレートは伊達ではない。
「綺礼」
金色の影が近づいてきた。首筋に、なにかがまとわりつく。鎖のようだと思ったそれは、青年の白い腕だった。
「安酒を飲んでしまった。口直しをさせろ」
清楚な少女のように柔らかい舌が、獣のような荒々しさで侵入する。
視界が、----------金と赤に支配される。
墜ちる寸前、綺礼が聞いたのは英雄王の無慈悲なる玉音。
「夜はまだ終わらないといったであろう?綺礼。目覚めれば、次が貴様を待っているぞ。”山崎十二年”だ」
Fin
善きタイトルが思い浮かびませんでした。英雄王の一人称が間違えていたらすみません。余?我?吾輩?ぎるっち?言ギルです。誰がなんといおうと言ギルのつもりです。OSOIUKE!Fate zeroを見せてくださったしのさんへ。サンキュー、ニューワールド!