つめたい夜に
しんと静まり返った王宮ほど、わくわくするものはない。元アンティヴァの黒カラスにとっては、すくなくとも自然に笑みが浮かぶほどの好条件だ。
夜も更けた。
見上げていると不安になるほどの大きな月が、ブライトの終焉を否定しているかのような夜だった。
本来ならば、夜ほど警備が増えるものだ。夜陰にまぎれて悪人は悪事を働く。
けれども今、その警備は嘘みたいに手薄い。


ブライトを鎮めたウォーデンの帰還を祝うパーティは三日三晩続いた。
享楽に慣れていない実直なフェレルデン人は、大半が会が開けると途端に寝入ってしまったが、ゼブランにとってはこの程度の酒宴はまだ序の口だ。
アンティヴァの王宮では一週間続くこともざらだったし、オーレイではほぼ毎日だと言っていいだろう。
必要であれば、睡眠時間を操ることなど彼には造作もないことだ。
(王宮も、夜警の手が必要だろうしね)
猫のように夜歩きを楽しみながら、立ったまま目を閉じている衛兵の頬にゼブランは丁寧にあいさつをする。金髪美人のまだ少女からすこし出たくらいの、若い衛兵だった。
(さて、この時間に遊べそうなのは……)
いちばんに思い浮かんだのは、恋人であるウォーデン、クーズランドの姿だ。だが、彼も疲れているだろう。なにしろ今回の立役者だ。
久しぶりに兄にも会えたと言っていた。積もる会話を邪魔する気はさらさらない。
ウィンは夜が早い。オグレンは酒樽の傍でひどい匂いをさせて転がっているだろう。彼はいい友人だが、あの匂いはできれば避けたい。
堅物クナリ族のスタンと、王宮に入れなかったシェイルはそもそも問題外だし、あとはレリアナだが……彼女は彼女で別の夜の楽しみを思い出しているかもしれない。
同族同士の楽しみはそれはそれでいいものだが、今はそんな気分ではなかった。
残るはアリスターだが、彼はいったい今どこにいあるのだろう?
「これは、お客人……どうかされましたか?」
衛兵のひとりに呼び止められた。
ゼブランは昔からの習性で足音をさせずに歩いてしまう癖があったが、それにも拘わらず気づいた衛兵に、彼は鮮やかに笑ってみせた。
「僕を覚えてくれているのかい?」
「は。もちろんです。閣下。その、自分は祝賀会でも最前列で警備をしておりましたから……」
組し易い相手というのは、二秒でわかる。今目の前で話をしている男も、そうだ。
まっすぐで、純情で、ある意味幼くて、疑うことを知らない。人はこれすべて善と思いたがる種類の者は大抵そうだ。
「閣下っていうのはそぐわないな。やめてもらえる?」
「しかし……、ではなんとおよびすればよろしいので?」
「ただのゼブランでいいよ。もっと仲良くなればゼブでもいい。ともかく、ありがとう。僕たちが安眠していられるのも、君のおかげってことだ。そうだろう?」
「それが自分の役目ですから。しかし、……失礼ながら、あなたは安眠なさっておられないのでは?」
男のおずおずとした返しに、ゼブランは思わず笑った。
「ご名答!ちょっとまだパーティの興奮さめやらずってところなんだ。……やさしいんだね。それともフェレルデンの人間はみんなそうなのかな?」
ゼブランの声に、男は図らずも顔を赤らめた。
「わかりかねます。ただ、フェレルデンの男は花よりも実を選ぶでしょうな」
「知ってるよ。お世辞なんかは言わないってことだろう?」
彼は、思っていた以上に機転の利く男のようだった。さきほどの居眠りをしていた少女兵もそうだが、王宮の警備をまかされているだけあって、見目のいい人間を揃えているらしい。
フリーであれば、さっそく夜の遊びに誘うくらいの好みのタイプだったが、ゼブランは会話を楽しむだけで終えることにした。
「ところで、ちょっと訊ねたいことがあるんだけれど、教えてくれる?」
「なんでしょう?」
「王陛下の義理の弟……、アリスターの居場所はどこか教えてもらえる?」
この質問にも男は快く答えてくれた。アンティヴァやオーレイではやはり考えられないことだ。
権謀の渦も、ここフェレルデンでは少なくとも両大国ほどではないらしい。
ブライトの危機を乗り越えたばかりの辺境国では、むしろのその方がいいことだと思える。
ゼブランはフェレルデン式に真面目に礼を尽くし、教えられた上階の一室へと向かった。


*

冷たい床は重い花崗岩だ。重厚な作りの堅牢な王宮は、ところどころに冷たく濃い闇を抱えている。
大層な礼を尽くしてもてなされているとは感じていたが、やはり王族の、それもマリク王に連なる血統の持ち主とはやはり一線を引かれていたらしい。
アリスターの部屋は上階の、奥まった場所に据えられていた。貴族であるウォーデン・クーズランドとも離されている。
扉は大きな樫の木の一枚扉だった。石だらけの王宮の中で、そこだけがやすらぎのように思える。守りの象徴ともいうべき扉に、自然とゼブランは吸い寄せられた。
その前には、衛兵がふたり立っている。
「こんばんわ。いい夜だね」
親しげに声をかけたゼブランに、衛兵はまっすぐ背を伸ばして答えた。
「こんばんわ、閣下。アリスター殿下は、もう就寝なさっておいでですが」
「本当に?確認してみたかい?」
「もちろん、本当に眠ったかどうか確認させていただいているわけではありませんが……」
「そうだろうとも。賭けてもいいけど、まだ彼は寝ていないと思うよ。……というわけで、中に入らせてもらってもいいかな?」
衛兵はふたり、顔を見合わせた。
「では、そのようにお聞きして参りますので……」
「待って!その……これは、ちょっとしたいたずらでね」
もちろん、大事な客を守る彼らの立場は理解しているものの、中に知らされると本末転倒だ。どうにかして、この遊びの趣旨を理解してもらわねばならない。
すこし悩んだあげく、ここはやはりフェレルデン式に実直に話すべきだとゼブランは判断した。
「いたずら?」
「そう。なにしろ、彼はもう我々にとっても高嶺の花でね。こうしていつものいたずらを仕掛けるのも最後になるかもしれない。だろう?」
「いたずらとは例えばどんなことなのですか?」
そこに身体的危害が加えられることを恐れているのだろう。ゼブランはすこしもったいぶってから、男に耳打ちをした。
「……それは……、まあ、なんといいますか……」
「刺激的?」
「そう、ですね。はい、閣下」
「わかってくれてうれしいよ。それと僕のことはゼブラン、でいい」
「それはしかし……」
シーッと、ゼブランは男の声が大きくなる前にそれを制した。
「彼に気づかれる」
至近距離で唇に指を当てられ、赤面した男にゼブランは勝利を確信する。

余計な騒ぎは起こしたくない。黙ってこのまま見逃してくれればいい。朝になればアリスターは何事もなかったように、君に目覚めのあいさつをするだろう。

そのようなことを告げて、ゼブランは首尾よく寝室に入り込んだ。