王子と太陽

僕はうるさいものがなにより嫌いだ。僕は騒音より静けさを好む。
休憩時間はもっぱら読書で、今読んでいるものは小六法だ。延々と続く、意味のあるようで今の僕にはまったくない文字の羅列は、ただ安らかな静寂を与えてくれる。
そんな僕にとって、この男ほど不必要なものはない。
斉藤大洋。
どこかで聞いたことのある名前だとしても、僕には一切関係ない。
また、どっちが苗字でどっちが名前だかわからないとしても、僕にはやっぱり一切関係ない。
ただの隣席に座るクラスメイト。それ以外の関わりはノーサンキューだ。
それなりに拒否する雰囲気を醸し出していると思うのだが、こいつにはまったく通じないらしい。
本当に僕は困っている。
時も場所もシチュエーションも何も考えない、こいつのコミュニケーションアタックに。


「王子、次なに食べる?」
僕が何を食べたって君には関係ないだろう?
「王子、肩にチョウチョが止まっているよ」
蛾が止まっているんだったら指摘してくれ。
「王子、今日もイカしてんね」
お前は今日もイカレてる。
「王子、三時間目の理科、移動教室だって」
それは……まぁ、あ、ありがとう。


一事が万事そんな具合だ。いい加減うんざりする。
僕の席は教室の真ん中辺り。だからもちろん、あいつの横にも前にも他に人がいる。
なにもこんなにそっけない僕を相手にしなくてもいいのに、どうして性懲りもなく話しかけてくるのだろう。
にこにこと、人の良い顔で笑う。肩を無理やり抱いてくる。どうでもいいことを星の数ほども話して、共通点を見つけようとする。
何度話かけたって、無駄なんだよ。
自分だけの世界に篭れる繭のような本から顔を上げて、お前に答える勇気も出ない僕に。


「王子、王子」
まただ。
また、話しかけてくる。
僕はやっぱり顔を上げることができず、俯いたままだ。
「王子、王子。なぁ、王子」
どうしてこいつはこんな風に人に話しかけることができるんだろう。
あっけらかんと、太陽みたいに。
羨ましくないといえば嘘になる。僕に足りないものをお前は持ってる。


「王子さま」

 ある日の呼びかけに、僕はむっとして本を閉じ、顔を上げた。
 それは僕の一番呼ばれたくないあだ名だったからだ。
 王子智樹。それが僕の名前だった。
 王子というのは単なる苗字だ。その苗字を揶揄して「王子様」と言う安易なあだ名は定番中の定番で、だからこそもう今更いいじゃないかという気分になる。
 この時もそうだった。またか、と思った。僕は苛立ちとともに、幾らかの失望を覚えた。
 今までこいつは、こいつだけはそんな呼び方を一度もしたことはなかったから。
 それだけで、と人は思うかもしれないが、そんなことだけで僕は、他の奴等とこいつはちょっと違うんじゃないかと思っていたのだ。
 名前で人を揶揄うような、そんな小学生みたいなことはしない奴だと、心のどこかで認めてさえいたのだ。
 でも違っていた。
 やっぱりこいつも数多いるほかの奴等と一緒なんだ。


「やめてくれないか」
 正面から軽蔑を込めて睨んだ僕を見て、斉藤は意外な行動を取った。
「やった!」
 彼は手を叩いて喜んだ。かと思うと、顔を紅くしてまじまじと僕の顔を見つめる。
「……ほんとに利くんだなぁ」
 まったく意味がわからない。
 理解不能の行動に僕は睨み続けることができず、逆に不安になる。
「どういうことだ?」
「おれ、お前にどうしても言いたいことがあって。聞き流して欲しくなかったから、お前と同中の奴になんかないかって聞き出したんだ」
「…………」
 悪い予感がした。僕は慌てて小六法を開いた。
 逃げきれない火照った耳に、密やかなあいつの一言が追いすがり、辿りつく。

「好きなんだけど、付き合ってくれる?」


本当に僕は困っているんだ。
時も場所もシチュエーションも本当に何も考えない、こいつのコミュニケーションアタックに。

「今は授業中だ!」
「授業中じゃなかったらいい?」
「良くない!」
「ほらー、そこ。斉藤と王子。仲がいいのは結構だが、私語は休憩時間か放課後にしろ」
 先生の言葉に教室中がどっと笑い崩れる。


 僕はうるさいものがなにより嫌いだ。
 僕は騒音より静けさを好む。


……でも当分逃げられそうもないな。



end
一度やってみたかった名前ネタです。