バランス
「見せろや」
「なにを?」
「さっき授業中に描いてた”静物画”だよ」
そそくさと美術室を出ようとしたところで、おら、と少しばかりきつい口調で、和央は弦に声をかけられた。
「”静物画”なら提出したじゃん」
「そっちじゃねぇよ。その前に描いてたやつは、丸めてポケットに押し込んでただろーがよ」
そう言うと弦の鋭い視線は、和央の不自然にもたついているズボンのポケットに見入る。
「……まあ、そうだけども」
まあいっか。別に隠すほどのものじゃないし。
でもどうするつもりなんだろう。
弦の横顔を描いてたってことは弦だって知ってるはずなのにね。
はい、とポケットから出した形のまま弦に渡す。
適当に描いた単なる素描だからと思って適当に畳んだのだが、弦はそれもお気に召さないらしく、丁寧に丁寧に皺を伸ばしている。
(ほんと、どーすんだろ)
弦はしわくちゃの画用紙に見入っている。
和央はそんな弦の横顔に見入っている。
そして画用紙の中の弦は今は和央を見ているような格好で、きれいな三すくみが完成した。

「これ、似てるか?」
「さあ?」
適当に描いたとはいえ、そこそこ似せては描いた……つもりだけれど。
正直いって自信はあまりない。
「なんで俺を、……描いたんだよ」
なんで、と言われましてもね。なんでだろうね。
少し小首を傾げて考えて、できるだけ正解に近い答えを出す。
「すくなくとも、タマネギとかじゃがいもよりかは、描きたいって思ったから、かな」
「……」
じつになんともいえない表情で弦がこちらを見た。
反射的に和央は、あはっと笑って、書いている途中、窓からの光で弦の髪がきらきらしていたことなどを思い出す。
弦はきっと認めはしないだろうけれど、たぶん本能的に描きたいと思わせる顔なのだ。
鋭い目も高い鼻も、顎から喉にかけての男特有の骨格やら、反して長い髪やら。
総じて弦は男、なのだ。それはやっぱりちょっとばかり羨ましかったのかもしれない。
つい去年まで平気で女子に間違われていた立場としては、やはり、すこしばかり。


気が済んだのか、弦は丁寧にそれを折りたたんで自分のポケットに入れてしまった。
そんなものが欲しいのかと和央はすこしばかり驚いたが、別にいいかとそのままスルーした。
並んで教室へ戻る途中、和央はふと思いだしたことを口にする。
「でも、あれだね」
「うん?」
「弦と弓ちゃんってやっぱり似てないね。むしろ正反対?」
弦は背が高い。そして目つきが鋭い。どこから見ても男で、そして決してとっつきやすいとは言いがたい。
彼の姉である弓は、まったく逆だ。
ちいさくて、柔らかそうで、どこから見ても女の人で、いつもニコニコしていて。やさしくて、懐きやすい。
「……」
また、弦がなんとも言いがたい表情で見おろす。
それはもう、何度となく言われ過ぎたことだからだろう。
まさか小学校以前からの親友にいまさら言われるとは、といったところだろうか。
ポケットに手を突っ込んだまま、ぶっきらぼうに弦は訊ねる。
「おれが”弓ちゃん”に似てたら、お前どうするよ?」
「はい……?」
弦が、弓ちゃんに似てたら?
ええとそれは、一体どういう意味だ?
弦がちいさくて、柔らかそうで、いつもニコニコしていてってことか?
「似てたら。なあ、どうすんだよ」
「き……」
「き?」
「気持ち悪い……うわっ、ちょ、ちょっと待って!ヘッドロック反対!」
「うるせ」

ぼーっとしているところに首筋に腕をかけられて、足を引っ掛けられるとテキメンに技は決まる。
そのまま引き倒れ、ふたりは廊下に転がった。
何してるの、もー、とずっと見ていたのか、国重晴歌の声がどこからか聞こえる。他のクラスメイトは「またやってる」とばかりに笑顔のまま完全スルーだ。

「言うにことかいて、気持ち悪いってどういうことだ」
「そういう意味じゃなくて、……ええと、えーっと!」

弦は弦のままだからいいのだ。
弓が好きなのと、弦が好きなのは別なのだ。
言いたいことは決まっている。間違ってはいない。
だけども、どうしても口から言葉は出ていかないのだ。

(どうして言えないんだろ)

上に乗っかる弦の重みは苦しいけれど、不思議に心地いい。
けれど、言えばすぐにそれも去ってしまいそうな気もして不安になる。

そうして。
曖昧で不確かなバランスの上に、今日も幼なじみ達は居続けるのだ。


end
1巻のあのあと。弦を描きながら、和央が弓ちゃんのことを思い出さないわけはないと思って。あれを弦が後生大事に持ち帰ってたりしたらいいなあという希望も込めて。