厄災の日
突き抜けるほど明るく晴れた日に、東京から厄災がやってきた。
少なくとも、館林弦の中であの日はそう記憶されている。

厄災は、勝手に北海道にやってきて、勝手に和央の席に座り、勝手に和央と知り合いになりやがった。
----------これを厄災と言わずしてなんという?

相性は最悪だ。
ところかまわず徘徊するすみれを介して、和央があいつの家に行くのも気に食わない。
あいつの父親がまた犬好きですみれを構うのもアレだし、すみれもすみれで、勝手にばくばくあいつの家のものを食いまくってるらしいし。

「わふん?」
弦と和央の間から邪気のない顔をしたすみれが、ひょっこり見上げてくる。
「……わふ?」
「お前のせいだ」
ただでさえ低い声をもう1トーン低くして、弦は呟く。
すみれは聞いているのかいないのか、ひたすら無邪気に舌を出し、尻尾を振っている。
(……ひょっとして)
さっきからイライラが止まらないことを、ひょっとしたら見透かされているのかもしれないな。
でもそんなところで空気読まないでもいいから、あいつの家に勝手に入り込むのだけはやめろ。
や・め・ろ。
「なにすみれと喧嘩してんの。ねぇ、弦。首って体の中でいくつあるっけ?」
「あ?」
「さっき言ってたっしょや。あの子が。なに?首ってつくところあっためると風邪引かなくなんの?」
頭一つ分とはいわないけれど、かなりそれに近い身長差の目線から和央が覗きこんでくる。
丸い大きな黒目とくっきりした二重瞼と伸びすぎの前髪と、細い首筋。
それがそのまままっすぐ視界に飛び込んでくる。
これは、ちょっとした脅威だ。
「首とー、足首とー、手首と……、あ、弦、もうそろそろ離してもいんじゃないかな」
「……あ?」
「手」
和央の左手はすみれに。右手は、弦に繋がっている。
正確には弦が一方的に和央の手首を掴んでいるのだが。
離さなくてもいいんじゃないかと思ったのはここだけの秘密だけれども、和央の手首を掴んでいた指を弦は渋々放した。
昼日中の天下の往来で、男子高校生同士がそういう行為に至ってしまうのにはもちろん訳がある。


(足首!あっためんのよ!「首」という「首」をあっためんのよ〜〜〜〜)

そう、あの女は言ったのだ。
虚弱なのに靴下が嫌いで、そんな格好のまま寒風吹きすさぶ北の大地を歩く和央に、いみじくも。

(なんだあれ。お前は和央のかあちゃんかってーの)

ほっそりとして繊細な顔立ちの和央の母親と比べるのも可哀想なくらい、本人はちんちくりんだというのに。ガキだというのに。
女という生き物は、どうして時々本質を揺さぶってくるんだろう。

だからあいつ、住友糸真に出会った瞬間、嫌な予感がしたんだ。
とても、とても嫌な予感だ。
それはいつ空から降ってくるかわからない厄災を不安がる子供のように、弦の眉間に皺を刻む。




「…………乳首?」
「はあ!?」
昼日中の天下の往来で、男子高校生が急に「乳首」と言ってしまうのにはもちろん訳がある。
言った本人はこれ以上ないくらい可愛い笑顔で小首をかしげていたりするのだが、聞かされた弦はそれどころではない。
「和央。お前、いま……なんつった?」
「”乳首”って言いました」
残念。聞き間違いではなかった。
しかしこの愛らしい顔から下ネタが飛び出しても、あんまりいい気持ちはしない。
そりゃあ、和央だって男なのだからそれなりにそういう話は出たり引っ込んだりするものだと、弦だってわかってはいるのだけれど。
「んだよ……まだ、あの女の言ったことなんか考えてんのか」
「だって、首っていう首って言われたらさあ。考えるじゃん。考えるっしょ?」
「そんで思い出したんかよ」
「うん」
それが、乳首。なるほど。
「……………………あっためてやろか?」
「弦、それ、タメが怖いから。マジで怖いからやめて」




晴天の下、空気が冷たい。
季節の変わり目に、和央はいつも咳をする。
喉と胸の間、骨の隙間から息が漏れてしまうような、聞いていると不安にかられるような咳をする。
咳が出ると熱が出て、下手をすると何日も和央は寝込んでしまう。

それがなくなるのなら。
あいつが言うように、首という首をあっためることで回避できるのならば。
たとえそれが和央のからだのどの部分でも温めてやれるんだがな、と弦は躊躇いもせずそう思う。

つめたい手首を離してしまった指が、もう一度同じ場所を探して空を彷徨った。
ふたたび掴まれた手首を、弦の顔を見上げはしても和央は無理やり引き離しはしない。
代わりに、なぜという顔をする。
「…………家までのついで、だ」
「でも、僕ん家もうすぐそこだよ?」
「…………」

徒歩にしておよそ三十秒。
ご近所というか、すぐ目と鼻の先というか。
東京から不意にやってきた転校生、住友糸真をやはり弦は厄災だと呪った。


end
弦が和央の手首掴んだのを見たとき、最初はなんにも思ってなかったんですが、あとからじわじわきました。あれ反則。